懐疑の夜


――しばらく遠い学生時代やティアンヌの思い出に耽ってしまったエリオットは、ふと食べかけのパンに目を落とした。

宿屋の女将に頼んでこしらえてもらった夜食は、いつもならば空腹に沁みて美味いのだが今夜はどうにも味がしなかった。
理由は分かりきっている、先刻の不審な男のせいだ。
幸い、夜食を手に入れて帰って来たら男の姿やあの不穏な騒ぎはすっかりなくなっていた。閉館直前に滑り込んだせいかもしれないが、いつも以上の静寂さに安堵したものだ。
エリオットはすっかり冷めてしまった茶を飲んで、残りのパンと全く手をつけていない副菜は明日の朝食にすることにした。

(そういえば……)

先程の紙くずのことを思い出して、懐から取り出す。
道端にゴミを捨てるほどエリオットは育ちが悪くない。自室に戻ってから捨てようと思い懐にしまっていたのだ。
ゴミ籠にそれを放り込もうとしたが、紙くずに模様があることに気付いて手を止めた。よく見れば、紙くずだと思ったそれは紙幣だった。
丸まった紙幣を開いてみれば、中から北部独特の龍の意匠をかたどった装飾品が出てきた。

「?」

金の龍の台座に宝石が埋め込まれている指輪だ。
傷だらけのうえ金属部分が変色していてずいぶんとみすぼらしい。
肝心の宝石もきちんと研磨されておらずほとんど原石の状態で、装飾品としての価値は全くなさそうだ。
この意匠からしてヒノンの装束を纏っていたあの男の持ち物なのだろう。

(それにしても、この紙幣……)

エリオットは指輪よりもそちらの方が気になった。
てっきり北部に流通している貨幣かと思ったのだが、開いてみれば大陸中を頻繁に移動する狩猟者が好んで使う共通貨だ。
持ち運びが軽くコインよりも嵩張らない大陸紙幣は狩猟者ギルド発行のものだ。
ただし、毎日相場が変わり土地と日によってはかなり価値の上下が激しいのでほとんど狩猟者しか使わない。
狩猟者も数日同じ場所に逗留する場合はすぐに現地通貨に両替するほどだ。

ギルドに登録していないしする予定もないエリオットにとっては、その場しのぎの貨幣という印象が強い。
おまけに心付けでしか使わないような小額札で、ひどく汚れている。


――大陸全土で認められている、狩猟者という職業。

それは、頻発する魔獣や魔物の被害から力なき人々を守るという名目で、国や町から、あるいは個人から様々な依頼を受け生計を立てている戦士たちの総称だ。
戦があれば国に雇われることもあるので傭兵と言えるかもしれない。


エリオットはふとあの男の身のこなしを思い出した。
気配を最大限に殺した素早い動きと身のこなしは盗賊や暗者といった者達が得意とする技能だろう。
魔獣や魔物を狩る際に、斥候や罠はずしといった技や、素早く死角から強襲する術が役立つのだと聞いたことがある。
また『盗賊』という名称だがこれはほとんど職務の通称で、実際は盗みを働く賊という意味ではない。
もっとも、遠い昔の時代にはその名の如くの生業をしていた者たちの集まりだったらしいが。

つまりそれらを総合して考えると、先刻のあの不審な男は狩猟者の盗賊または暗者だと思われる。
この指輪の意味はわからないが、単にゴミを押し付けただけかもしれない。
装飾品を安易に捨ててしまうのは気が咎め、考えるのは後回しとばかりにそれを机の引き出しにしまいこんだ。

エリオットは図書館職員に内緒で持ち込んだ蒸留酒をグラスに一杯飲んでから、部屋の灯を落として眠りに就いた。


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