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自分の存在が、誠二を苦しめていたものの一端なのかもしれないと思ったら背筋が冷えた。
無性にいたたまれなくなってテーブルに目を落とす。誠二の顔が見られない。今、誠二はどんな表情をしてるんだろう。今の話を聞いて、どう思ったんだろう。
俺らの間に流れた気まずい沈黙は、ミデルシャさんによって破られた。

「――そういえば噂を聞いたことがあるわ。ダーバラ様の件があってから、信憑性が高くなったっていう」
「どんな噂ですか?」
「魔王様が、伴侶を長年探していらっしゃるという噂」

静かで厳かな響きをもったその言葉が、地下室の壁に吸い込まれる。それを受けてメレンヤさんも慎重に続けた。

「たしかに、国を統治する魔王自身が力を失っては民が路頭に迷う。しかし力を保ったまま子をもうけ、しかもその力を継がせることができるとなれば――」
「ええ、願ってもないことでしょうね。それどころかそんな男性なら、魔王様だけでなく他の魔女も目の色を変えるはずよ」

老夫婦の視線が突き刺さっているように感じて、おそるおそる顔を上げた。
何かを嗅ぎ分けるようにミデルシャさんの鼻がひくっと動く。そのあと彼女は胸に両手を置き、俺に向けて恭しく頭を下げた。

「アキーロには、魔王様の伴侶の資格がある――いいえ、それだけではないわ。世界中の、多くの魔女があなたを欲しがるでしょうね」
「は、はい?」
「ふむ、数多のマダラリュウや魔法使いにとって、彰浩君は、奇跡的で垂涎ものの存在ということだな」
「はは……なにそれ、マジかよ。ガチのハーレムじゃん」

身に覚えのないことを言われたところで、もはや笑いしか出ない。
金太郎に髪をいじられすぎて痛くなってきた。白い産毛を逆さに撫でて毛羽立たせたら、がぶがぶと指を甘噛みされた。
そうやって別のことで気を逸らしていると、隣から唐突にガタン!という大きな音がした。
びっくりしてそっちに顔を向けたら、誠二が椅子を蹴倒して立ち上がった姿が目に入った。
続けて彼は怒りの形相でテーブルに両手を叩きつける。天板がいびつに傾いた。

「な、なに?急にどうしたんだよ、誠二」
「どうしたはこっちの台詞だ!お前っ……なんでそんな他人事みたいに笑ってられるんだよ!」
「えぇ?」

誠二に何故か怒られてる。俺が。その理由がわからなくて戸惑った。
金太郎も大きな音に驚いて跳び退り、そのままパタパタと飛んで木樽の上に着地した。

「だってこんなとんでもない話、信じられるわけねーじゃん。俺自身よくわかんないし」
「自分が種馬扱いされてるのに、そんなのんきに笑ってる場合か!」
「種馬って」

誠二のあんまりな言い草にムッとした。反射的に言い返す。

「でもそれってただの仮説?可能性?の話じゃん。俺が本当に絶対そうってわけじゃないし」
「辺境砦での交渉をお前も聞いてただろ。魔王が直々に足を運んで、しかも財宝を譲ってまでお前を国に取り戻そうとしてる。向こうにはそれだけの価値が彰浩にあるんだよ!それがその証拠だろ!」
「それは……女王様の考えてることはちょっとよくわかんないけど。てかなんでそんなイラついてんの?」
「落ち着いてるお前のほうがおかしい!」
「いやめっちゃ混乱してるし」

と言いつつ、誠二の激昂を見て逆に落ち着いてきた。ていうか引いた。
いつも温厚で穏やかな誠二がこんな風に怒りをあらわにするなんて珍しい。もしかしたら、ここまで怒ってるのは初めて見たかもしれない。
けれど、苛立ちと焦りが混ざった口調と必死な表情を見てたら、ようやく自分の発言の無神経さに気づかされた。
誠二の彼氏としてあの言い方はダメだったよなぁ。

「なんだよ、ハーレムとか言ったのが気に入らなかった?ごめん、喜んでるとかじゃなくて別に深い意味はないから」
「彰浩……けど、魔王の城にいる間に、何かあったんじゃないか?誘惑されたり……」
「ないない全然ない。つーかマジでハーレム感ゼロどころかマイナスだったし。むしろお姉さま方に男として全然意識されてなかったけど?女子仲間扱いみたいな」
「そんなの、お前とならいつどうなってもいいっていう意思表示じゃないのか」

やけに食い下がってくるなぁ。何がそんなに不服なんだろ?
日本語でやりとりする俺らの言葉をメレンヤさんが奥さんに同時通訳してる。
たしかにね、いきなり目の前で他言語使って喧嘩はじめられたら困りますよね。せめてマイルドな表現で伝えてくれますように。
すると、顔を思いっきりしかめた誠二が地を這うような声を出した。

「ベルッティっていったか?交渉の最後であの子から首飾りもらってただろ。そのとき、彼女がお前に言った言葉だって――」
「あーあれね」
「『私の真心をあなたに捧げます』」

それは、誠二が唯一通訳しなかった言葉だ。
城にいる間、お姉さま方に何度もことあるごとに言われるからただの挨拶だと思ってた。実際、彼女たちからは幸運を祈る的な掛け声だと教わった。

「あのさ、それただの挨拶だし。グッドラックって意味らしくてみんなしょっちゅう使ってたけど」
「いいえアキーロ、それはヴォラエルガの言葉で愛の告白のときに使う決まり文句よ。心から好いた方にしか言わないわ」

俺と誠二の関係を知らないミデルシャさんが余計なミニ知識を付け足してくれた。
親切心がつらい!そんなの知りたくなかった!
そしたらそれを聞いた誠二の顔がますます渋くなった。美形の怒り顔ってすげえ怖いんですけど……。

「せ、誠二?ち、違うから、ほんとに。つか俺がそんなモテるわけないじゃん」
「…………」
「いやモテるとかモテないとかどっちでもいいんだけど、俺の――」

俺の恋人は誠二だし、と続けようとしたところで、メレンヤさんとミデルシャさんの視線を感じて我に返った。
二人の前で公開告白はだいぶ恥ずかしい。そもそもこの国で同性愛ってどういう位置づけなんだろう?
仮にもフィノアルド様という顔を持っている誠二が、恋愛沙汰でメレンヤ夫妻から白い目で見られるのはちょっと避けたい。

つい言い訳がましく熱くなっちゃったところを踏みとどまる。ところが口ごもったそのとき、階段の上から騒がしい音が聞こえてきた。
ガタガタ、バタン!という無遠慮な音とともに階段の先に光がほんのり差し込む。

「おじいちゃーん、おばあちゃーん!そこにいるー!?」
「ディー?」

慌しく階段を下りてきたのは、仕事に行ったはずのディー君だった。彼のおかげで不穏な空気が霧散した。

「どうした、ディー。仕事は?」
「ちょうど終わったところだよ。みんなずっとここにいたの?」
「まあな。いかん、話し込むあまり時間を忘れておったわい」
「へえ〜、どんな話?……あっ、そうだそうだ!それより大変だよ!城の人がうちに来てるんだよ、今!」

城、と聞いてドキッとした。今まで魔王国の話をしてたからそっちの使者が来たのかと思った。
だけど使者は、領主の城の人だということだった。フィノアルドに急ぎの用らしい。
それを聞いた途端、誠二が怒りの表情を引っ込めて軍人の顔になった。それから蹴倒した椅子も傾いたテーブルもきっちりと直した。

俺も、樽の上で羽を伸び縮みさせていた金太郎を肩に戻す。
そうしてディー君とメレンヤさん、誠二に次いで地下室から出た。
薄暗い場所から急に明るいところに出たから、外の眩しさに目がやられて立ちくらみした。
ふらついたところを誠二に支えられる。
足が一瞬おぼつかなくなっただけなのに、誠二はそのまま俺の腰に手を回してきた。その力強さに胸が妙にざわつく。顔も熱くなった。

「も、もういいよ、大丈夫だから、誠二」

そう言っても一向に離してくれる気配がない。むしろ力が増したもんだから、仕方なくそのまま母屋に戻った。
リビングを通り抜けて玄関に行く。ドアのそばで待機の姿勢をとっていたのは、なんとイディムスさんだった。
もうフィノアルドの顔になった誠二は、ようやく俺から手を離してイディムスさんに大股で近づいた。

「どうかしたか、イディムス」
「はっ!休日のところ申し訳ありません、隊長。北の駐屯地からヒャクメイタチの群れの目撃情報が入りました。至急、駆除に向かうようにとの上からの命令です」
「ヒャクメイタチか、厄介だな……。わかった、今すぐ城に行く」

軍人口調できびきびとした態度になった誠二が急に遠い人に思えた。
思わず「誠二」と小さく呼びかけると、彼はなんとも複雑な表情で俺のほうを振り向いた。

「あの、ヒャクメイタチって何?」
「肉食の害獣だよ。駆除対象だ」
「うむ、ヒャクメイタチは群れで町や村を襲うが、それより厄介なのは、そいつを捕食するハガネコウモリが集まることだな」

誠二のかわりにメレンヤさんが説明してくれたところによると、ハガネコウモリは鋼鉄のように硬い毛と皮膚を持つ害獣だそうだ。
しかも体内に寄生虫がいて、人獣共通感染の重篤な感染症を引き起こす。そこから疫病が蔓延するおそれがあるんだという。
だからその元となるイタチは見つけ次第早急に駆除しないといけない。害獣駆除隊はこういう事態に対応するためにある。

俺がメレンヤさんから説明を聞いている間に、誠二は短く無駄なくイディムスさんとやりとりをしていた。その内容は暗号めいていて、俺にはよくわからなかったけれど。
話を終えた誠二は俺のそばまで来ると、金太郎の眉間を撫でた。そのあと俺の手を掬い取って、強く握りこんだ。

「オレはイディムスの馬を借りて今すぐ城に行く。今回はお前を連れて行けないから、イディムスと一緒にローデクルスの屋敷に戻ってくれ」
「え、うん……誠二、いつ帰ってくんの?」
「状況を見てからじゃないと、なんともいえない」

そう言って軽く首を振る誠二。
変なタイミングで話をぶった切られた俺と誠二の間に、煮え切らないような空気が漂う。

「行ってくる」
「あ、ああ……うん」

こういうとき、行ってこいよ!とか気をつけてな!とか言って背中を叩いたほうがよかったんだろう。
なのに俺はどっちつかずな態度でぐずぐずしてる。皮手袋越しに握られた手が冷たく感じた。
言葉が出ないかわりに、誠二の手の上に空いていたもう片方の手を乗せた。
そのままギュッと握れば、誠二は困ったように微笑んだ。しかしそれも一瞬で、表情を引き締めつつあっけなく手を離してしまった。

「イディムス、彰浩を頼む。屋敷に送り届けたらお前もできるだけ早く来てくれ」
「はっ!」

メレンヤ一家に滞在の礼を述べた誠二は、振り返ることなく馬の背に乗った。



――そうして俺を置いて害獣駆除に向かった誠二は、それから一週間経っても屋敷に帰ってこなかった。


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