50





ぱちぱちと暖炉の火が爆ぜる。
暖かい室内に反して、窓の外は細かい雪が舞っていた。

「う〜……うう〜……」

これは、別に腹が痛くて唸ってるわけじゃない。目の前のどうにもならない状況に、せめて唸り声で抗っているだけだ。
カコン、とこれみよがしな音を立てて駒を置いた金髪の青年は、「はい王手!」とご丁寧に言いながら満面の笑みを浮かべた。
とどめを刺された俺は、情けなく叫びながらテーブルに突っ伏した。
それと同時に盤と駒が踊って倒れる――これはそう、ブラムマール発祥のボードゲーム、クァブロである。
そして初心者の俺を容赦なく負かしたのは、領主の四男坊マルヴィアスだ。

「アキーロ、だんだん弱くなってない?」
「だってなんか……やり方覚えてきたら色々試したくなるし、そうすると混乱してきて最後ドン詰まりになって……」
「あー、詰め込みすぎちゃうってことね」
「そうそれ」

――さかのぼること一週間前。
斑竜研究家メレンヤさんの家を訪問した俺と誠二は、様々な衝撃情報を得た。

メレンヤさんが俺らと同じ日本人だということ。奥さんのミデルシャさんが元魔女だということ。それから、俺が妙な体質(かもしれない)ということ。
その話の最中に城から緊急の命令が下り、誠二は任務によって現地に向かった。

マルヴィアス曰く、トゥリンツァより北に位置する駐屯地に派遣されたとのことだ。
誠二は隊長とは呼ばれてるけど正式な役職は中隊長だから、そういう出向任務も珍しくない。指揮官である大隊長クラスになると城から離れることなく街の防衛が主になるみたいだけど。

一方で俺はローデクルス家に戻り、それからずっと屋敷に引きこもっている。監視役の誠二がいないと外出もままならないからだ。人質はつらいぜ。
二、三日そこらで戻ってくると思ってたのに、誠二は一向に帰ってくる気配がなかった。そのかわりマルヴィアスが屋敷に来た。誠二不在中の護衛役として。
ローデクルス家自体が護衛体制ばっちりの武家屋敷だけれども、魔王との契約上、それだけでは不十分だと言われるかもしれない。だから、代理として領主の息子が護衛につけば文句はなかろう、という話になったそうだ。おまけにマルヴィアスは主に城勤めで、この距離の出張くらいなら業務に支障もないとのこと。

まあ、俺の護衛とかいってもこうしてただ毎日遊んでるだけなんだけど。
ゲームで遊んだり、この国のことを教わったり、初心者向け会話レッスンの毎日。
ときどき見習い君たちも巻き込んで庭で雪合戦までするわで幼稚園かここは?って感じ。いや楽しいんだけど。
むしろ領主様ご子息の末弟じゃないと許されないんだろうなぁ、こんなラクな仕事。
とはいえおかげさまで会話はだいぶスムーズになった。マルヴィアスの話し方が俺と近いせいかもしれない。

そのとき、ゲームの終了を見計らったかのようなタイミングでドアがノックされた。
ばあやさんがお茶と焼き菓子を持ってきてくれたんで一時休戦。昼下がりのティータイムだ。
俺とマルヴィアスはこの家にとってゲスト扱いだから、間食のほかにこんな風におもてなししてもらえるってわけだ。
ベッドで寝ていた金太郎も、おやつの匂いを嗅ぎつけたらしく飛び起きた。おやつは例によって生のセデルーですが。
チーズと胡椒の風味のきいた塩クッキーを頬張っていたら、マルヴィアスは思い出したように片手をあげた。

「そうそう、言い忘れるとこだった。明日のことなんだけど……」
「なに!?誠二が帰ってくる!?」
「違うって。父上から伝言。明日から城のほうに滞在して、だってさ」
「へっ?」

この人、さらっととんでもないこと言ったんですけど。
父上って領主様じゃん。伝言じゃなくて普通に命令じゃん。

マルヴィアスが言うには、誠二の不在が続いてるもんだから、城に来てくれたほうが警備も厚いし身の安全を確保しやすいとのことだ。
……てのはどうせ建前で、人質を監視するなら城のほうが都合がいいってことなんだろ?

「それにさ、アキーロもここの生活にそろそろ退屈してんじゃない?」

ぶっちゃけその通りだ。来た当初は新鮮だったこの立派なお屋敷も、一週間もあれば慣れきってしまった。
そりゃそうだよ、住居だもの。別にエンタメ施設とかじゃないし。
唯一の楽しみは入り放題の温泉くらい。心なしか肌がつるつるのすべすべになった気がする。

「城なら色々設備も揃ってるし、ここより飽きないと思うよ」
「いやぁ、それはどーかなー……はは……」

どう考えても波乱の予感しかしない。
なんといってもアンデナータ卿がいますし。城住まいじゃなくて別邸で寝泊まりしてるらしいんだけど、父子ともども毎日のように城に来るそうだ。
城には領主家兄弟やローデクルスの親父さんがいるから、目立つようなことをしなければ平気だよ、と気楽な調子でお茶を飲むマルヴィアス。
そう言われてもな……正直怖いし行きたくないです。
とはいえそんな風に渋ってみても、俺の意見なんて通らないだろうし結局は従うしかないんだけどさ。
待遇は保証してくれると信じたい。

「ま、城で待機してればセージが帰ってきたときすぐ会えるじゃん?アキーロだってそのほうがいいっしょ?」
「そ、そっか!たしかに!」

現金なことに、その一言で城生活に前向きになった俺。もう今すぐ行ってもいいくらいに。
俺の態度の変わりようにマルヴィアスがからかうような笑い声を上げる。彼は、テーブルに転がった駒を手に取って盤上に戻した。

「明日の朝、城から迎えの馬車が来るからね。特に持ち物はいらないよ。必要なものは城にあるから。あ、ゲームの続きは城でやろうね〜」
「うっす!了解です!」

セデルーにかぶりついている金太郎を持ち上げたら、邪魔するなと言わんばかりに首をそらして、迷惑そうにグェェと鳴いた。
おい、お前も明日から城に行くんだぞ!


ここ数日、代理護衛としてこの屋敷に寝泊まりしてたマルヴィアスは、この日はお茶を飲んだら城に帰っていった。
彼がいなくなったあと、俺も明日に向けての荷造りをした。持ち物はいらないと言われても、持って行きたいものが多少はあるから。

夜になってから、暖炉の前に座って木のカップに湯を注いだ。
カップの中には『城に持って行きたいもの』のひとつが入っている。スプーンでかき混ぜると、『それ』が溶けてお湯は白く濁った。

「はぁぁ……」

カップの中身を一口含むと至福の溜め息が自然に漏れた。
あったまるぅ。そしてなにより美味い!

――何を隠そう、この白いものの正体は、メレンヤさん特製のホワイト味噌汁だ。
一週間前のあの日、メレンヤ家から出る前にお土産としてもらったのが、このインスタント味噌汁。
味噌と出汁と具を混ぜたものを一食分に小さく丸めて焼いたもので、お湯で溶かせばすぐに味噌汁が飲めるっていうやつ。それをたくさんもらってきた。
古くは戦国時代からはじまったというインスタント味噌汁。メレンヤさんはそれをヒントに、こうしていつでも食べられるよう保存してあるそうな。
冷暗所に置いておけばさらに良し、とのこと。今の時期なら外か、暖炉から遠い窓際にでも置いておけばオッケーだそうだ。

……これ、誠二にも飲ませてあげたいな。きっと喜ぶのに。
そのためにも、残りの味噌玉を城に持っていかないと。

俺の頭の中は今、誠二のことでいっぱいだった。
これから恋人としてやっていこうって決めた直後に離れたせいかもしれない。
誠二のことが心配でたまらない。害獣の駆除ってことは、つまり戦いに行ったんだ。あの跳びネズミのときみたいに。
ヒャクメイタチとやらがどの程度獰猛なのかはわからないけど、本当に大丈夫なのかな。ひどい怪我してたらどうしよう。それか病気とか。

しかしそんな風に心配する一方で、初めてのキスや別れ際に握り合った手、誠二の腕の力強さを思い出しては胸の奥が疼いて仕方がない。体もモゾモゾして落ち着かなくなる。
変な感じだ。こういうのが恋しいって感覚なんだろうか。

「誠二……」

誠二が城に行ってしまったあと、屋敷に戻る前にミデルシャさんから、俺がブラムマールに来るきっかけになった『開かずの間』のトラップについて聞いた。魔王城の元メイドさんなら当然知ってると思ったから。
すると、意外な答えが返ってきた。

『あれは、特別な魔法よ。自身が信頼し、必要としている人のところへ姿を移す魔法。たとえば肉親、恋人、友人、恩師……実際に会ったことのある人に限るけれどね』

それを聞いてめちゃくちゃ嬉しかった。
だって俺は、自分から望んで誠二のところに行ったってことだろ?
もし彼がいなかったら、女王様か、城の誰かのところに瞬間移動するだけで済んだんだろう。
でもこの世界には誠二がいた。忘れてしまっていても、俺の深層心理ってやつが誠二を求めたんだ。
やっぱり俺が言ったとおりだったんだよ。俺のほうから誠二に会いに来たんだってこと――この事実を、早くあいつに伝えたい。

「……会いたいなぁ」

何度目かのつぶやきは、薪が燃える音と重なって静かに消えた。


prev / next

←back


×
人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -