48


奥さんに叱られたばかりのメレンヤさんは口を閉ざしている。
肩の上で大人しくしてた金太郎もそろそろこの場所に飽きてきたのか、俺の髪を引っ張って遊びはじめた。

おかしな雰囲気だ。
まだ昼間のはずなのに、外から遮断された地下室は真夜中のように暗い。話の内容と相まって異様な空気で満たされている。
俺は何故か、この先の話を聞きたくないと思った。もうここで終わりでいいんじゃないかって。
なのに誠二が、やや固い声音で続けた。

「特別というのは、どんな風に?」
「そうね、使用人の仲間内で伝え聞いた話だけれど――」

それは、この世界の人間の資質を備えていながら異世界から来た人間だったという。これは『間違えた子供』と一緒だ。
でも子供ではなく成熟した姿で現れ、溜め息が出るほどの美男だったという。そして何より珍しかったのは、何もかもを跳ね除ける肉体を持っていた。
ミデルシャさんが言っている意味がわからなくて、困ったときの誠二先生を見やった。ところが誠二も意味不明って感じで俺に向けて苦笑した。

「それから、『園』の他の住人と違うところがもうひとつあったそうよ。彼はとても短命だったの」
「若くしてお亡くなりに?」
「ええ。こちらに来て約半年ほどで」
「半年!?」

思わず声を上げた。
短いなんてもんじゃない。長寿の魔法使いから見て短命っていう意味かと思ったら、俺らの感覚でもそれは短すぎる。
てことは、その半年の間にダーバラさんと恋人になって子供も出来たってこと?童貞の俺には想像できないくらい情熱的。なのに旦那さんは自分の子供を抱くことなく死んじゃったなんて、切ない話だ。
そしたら苦笑いを引っ込めた誠二が、今度はやけに真面目な表情で重ねて訊いた。

「その人の……死因は、何だったんですか」
「『餓死』よ」

これまた衝撃の情報に自分の耳を疑った。
俺が魔王国にいた頃、あの豊かな城で飢えて困ったことなんて一日もなかった。
食事メニューは豊富で豪華だし、量もどっさり。どれも舌が蕩けそうなほど美味しくて、もう食べられない!ってギブアップするくらいだったのに。
思考停止してる俺のかわりに誠二は次々と聞いていった。好奇心を抑えきれないというように。

「それは、男性側か女性側かのなんらかの事情で、故意に食事を絶たれていたってことなんですか?または食料に困窮していた時代だったとか」
「城には当時の料理長が残したレシピ集があって、それからわかるように食料に困ったことはなかったそうよ。なにより占師長ダーバラ様の伴侶ですもの、お食事や身の回りのお世話にはとても気を遣っていたの。ところが彼は何を召し上がっても口に合わないと嘆いて、ついには、塩をふった麦粥をほんの少しだけしか摂らなくなったのだと聞いたわ」
「それは――」
「わしと逆だったっちゅうことだな」

黙っていたメレンヤさんがぽつりと声を上げたから、全員の目が自然とそっちに向いた。
少し考えたそぶりを見せた誠二が話を続ける。

「つまり、彼にとってはこの世界の食べ物が味覚……というより『体質』に合わなかったってことですか」
「そう考えられるのう」
「えっ、なに?どういうこと?」

誠二とメレンヤさんが納得して話を進めていくのに対し、俺には全然さっぱりだった。
すると誠二は俺の顔をじっと見つめて、そして、小さく息を呑んだ。

「確証はないけど、たぶん……この世界にもオレたちとは逆のことがあったんじゃないかな。ですよね、メレンヤさん?」
「おう、さすが誠二君は察しがいいな。さあ彰浩君も考えなさい。わしらは『普通』の異世界人だから、魔法使いの力を絶ってしまう。しかし『特別』な異世界人だったらそうならない。伴侶に魔力を失わせることなく、さらに自身の子に引き継ぐことができる」

頭の中がはてなマークでいっぱいだ。俺以外の三人はすでに答えが出てるらしく、そろって神妙な表情だ。
『普通の異世界人』と『特別な異世界人』。この世界に俺たちと逆のことがあるって、どういうこと?
考えがまとまらなくて情けなく眉尻を下げたら、呆れ顔のメレンヤさんが噛み砕いて教えてくれた。

「誠二君が言っておった『間違えた子供』の仮説はわしも得心がいく。こっちと向こうの世界はほんの少し違うんだろうよ。それは重力だったり、大気の構成割合だったりな。何万分の一というほどのほんのちょっとの違いだ。だが、それが『わしら』の体には大きな負担だった」
「はぁ」
「聞けば、他の異世界人もそういう境遇だったそうだな。それが『普通の』異世界人だとわしは考えておる」

聞きながら頷く。それなら理解できる。理解ついでに、やっとひらめいた。

「……あっ」
「どうだ、わかったか?」
「うーんと……間違えてない人?って言い方は変ですよね。向こうでいうところの『普通の人』が、こっちの世界での『特別な異世界人』てことですか?」
「そういうことだろう」

満足げにメレンヤさんが深く頷く。
うう、だんだんこんがらがってきたんですけど。
話が入り組んだせいで俺の脳の処理がついに限界に達した。
一方で誠二には何かに思い当たったのか、テーブルにずいっと身を乗り出した。

「じゃあ、彰浩は――」
「うむ。彰浩君はその『特別』なほうなんじゃあないかと、わしは考える」
「俺が?」

いきなり話がこっちに振られたもんだから、三人の視線が同時に俺のほうに集まった。

「今言ったほんの少しの違いというのは動植物にもあてはまる。『特別な異世界人』からしたら、こっちの食物は雑草や土塊でも食っているように感じるのかもしれん」
「でも俺べつに、この世界の食べ物がまずいなんて感じたことないし……つっても、ものによっては苦手なやつだなーってのはあったけどさ。てか短命どころかめっちゃ元気だし」
「そう、そこだ!わしはな、皆の話を聞いて、ようやっと彰浩君が金マダラ様に好かれた理由がわかったぞ!」

メレンヤさんの瞳がランタンの明かりを受けてらんらんと輝く。興奮気味に鼻の穴を広げた彼は、大げさに腕を振った。
どうしてそこで斑竜に話が飛ぶんだろう。おかげで、俺の中でせっかく解けかけた糸が再びこんがらがっていく。
話に巻き込まれた当の金太郎は、俺の髪に鼻先をつっこんでまだ遊んでる。

「いいか、マダラリュウは生物として優れた者を好む。これはさっき話したな?」
「は、はぁ」
「その中で特に上位と見なすのは、あらゆる環境で生きていける者――彰浩君はその点で、並外れた環境適応能力を持っている、という答えに至った」

メレンヤさんは早口で自分の考えを披露した。
『特別な異世界人』がまず直面するのは病気だと考えられる。向こうになかった病原体がこっちにいる可能性が高いからだ。
俺がこの世界に来てから寝込んだのは、そういう病気に罹ったせいだろうという。けれど回復して、その後、体に不調はない。俺は免疫を手に入れたってわけだ。
ダーバラさんの夫もそこはクリアしたものの、食物の摂取という部分で不完全で、結果、異世界に適応しきれなかった。

俺は普通に歩いたり走ったり、食事も問題なく美味しいと感じて栄養になる。向こうの世界とこっちの世界で身体的に特に変わったと思うところはない。
そういった環境の変化、しかも異世界レベルの変化に適応できる人間。そのうえ魔女と子を成すことができる優れた繁殖能力。
斑竜にとってこれほど魅力的な人間はない。王の資質を持つ金マダラに至っては申し分ない保護者だろう、とメレンヤさんが淀みなく語る。

俺らが口を挟めるような隙もなく一息に話したメレンヤさんは、でっかいくしゃみをしたあとまたハンカチで鼻をすすった。

「……あの、つーか、なんで俺?別に普通の、そのへんの一般家庭の日本人ですけど……」
「考えてもみなさい。向こうの世界からこっち来る者がいるということは、こっちの世界から向こうに行った者もいるんじゃないかね?」
「あ」
「はるか昔、大昔の時代なんかはそういうのが紛れていても不思議じゃあなかった。妖怪、鬼、奇妙な現象を綴った物語はいくらでもある。『桃太郎』や『竹取物語』なんかが、こっちの世界から行った子供の実話が元になった話だったとしたら、面白いと思わんか」
「ま、まさかぁ」

メレンヤさんがニヤリと人の悪い顔をして言うもんだから笑い飛ばした。なのに、今まで散々ファンタジーな体験をした俺では否定の言葉が弱い。
話の区切りの合間に、ミデルシャさんが驚いたように口元に手を当てた。

「まあホス、ということは、こちらから彼方の園へ行った方々の子孫がいるということではないの?」
「おおいに考えられる。わしが思うに、その子孫の一人が彰浩君なんだろうよ。しかも、先祖返りといっていいくらいのな」

もう唖然。絶句。
なんてことなく平凡に毎日をのらりくらりと生きてきた俺ですよ?突然そんなこと言われたってにわかに信じがたい。
しかしメレンヤさんは、呆然とする俺を置いてけぼりにして仮説を固めていった。

「誠二君が向こうの世界にいた頃、彰浩君とともにいると苦痛が和らいだと言っていたな」
「はい」
「お前さんはおそらく彰浩君から、こちらの世界の空気を感じ取っていたのかもしれん。呼吸や匂いといった、坊主が発する何かでな」
「そう……なのかも、しれません」

誠二も動揺してるのか目を泳がせている。過去の記憶を探ってるみたいだ。
俺だけじゃなくて俺の家族といて居心地が良かったのも、誠二にとって波長が合ってたからってこと?
だから誠二は子供のときにこっちに来ることなく、向こうの世界で生きていけたのかな。引っ越して俺と離れるまで。

向こうの世界で、俺がいたことで誠二は救われてたんだろうか。
それとも、苦痛を長引かせていただけだったんだろうか――。


prev / next

←back


×
「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -