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落ちた拍子にケツを冷たい石床に打ち付けたもんだから、痛みに悶絶した。
すると金太郎もブギャッと鳴いて服の隙間から這い出してきた。

「いっててて……」
「大丈夫か?」

腰をさすっていたら、誠二がすぐさま手を差し伸べて俺を起こしてくれた。
だけど今は、尻に痣ができてようがなんだろうが些細な問題だった。いや痛いのは痛いんですけど。

椅子を元に戻して、臀部を刺激しないようおそるおそる腰を落ち着ける。
同時に目が覚めちゃったらしい金太郎がパタパタと飛び上がってテーブルに着地した。セデルー茶のカップに頭をつっこんで匂いを嗅いで、中身が空だと知ると俺の肩によじ登ってきた。
俺に頭を擦りつけはじめた金太郎を撫でてやれば、肩の上で大人しく体を伏せた。

ミデルシャさんを改めて見る。あずき色の巻き毛に丸みを帯びてふっくらした体格は優しげな印象が強い。
けれど、年齢を感じさせない姿――その特徴にベルッティのおばあちゃんを思い出す。

「お城って、その、女王様の……?」
「ええ。王都ヴォーラにあるお城の使用人の一人だったわ。私は清掃の仕事をしていたのよ、四十年ほどね」

なんと、清掃メイドさんでしたか。城内清掃は微力ながら俺もやってたから、勝手ながら親近感がわいた。
しかし四十年とは恐れ入ります。あの広大な城をそんなに長年磨いてたなんて、もはやプロじゃないですか。
つーか今更だけど魔王国ってそんな名前だったんだ。知らなかったよ、そんなものすごい巻き舌を駆使した国名。めっちゃ舌噛みそう。
魔王国にいた頃は翻訳首飾りなんて持ってなかったから、周りから説明されたところで耳を素通りしていっただけだと思うけど。

「さて、さすがにもう察してるとは思うがお前さんらを信用して言おう。わしの女房は魔法使いだ」
「『元』ですよ、ホス。元魔女」

地下室にもかかわらず声をひそめたメレンヤさんに、ミデルシャさんが低く訂正する。
女王様に拾われて魔王国から来た俺にとってはあんまりピンと来ないけど、誠二曰くこっちの国では魔法使いは恐れられ、忌み嫌われる存在だという。
本来なら俺も隔離か幽閉されるべきところを、魔法の力がないからこうして堂々と外を歩いていられる。
つまりミデルシャさんも、俺や誠二、メレンヤさんと同じく大きな秘密を抱えてこのトゥリンツァで生活してたんだ。

「元魔女って、どういう意味ですか?」
「その前に、お前さんらのことをミデルシャに話してもいいかね?彰浩君がかの国から来たということしかまだ伝えとらんのでな」
「はい」

誠二が応える。俺も異存はないから一緒に頷いた。
メレンヤさんは要点をかいつまんで――たぶんミデルシャさんにとって必要な情報だけ――話した。
初対面で見せたような大げさなリアクションで驚きつつも、ミデルシャさんは旦那さんの話をひととおり聞いた。
メレンヤさんは奥さんにもフィノアルド少年とのことを話してなかったそうで、今ここで初めて知った事実に息を呑み、両手で胸元を押さえてオーマイガー!的な反応をした。
そのあとで誠二に目をやった彼女は、皺を深めた柔らかい表情で何度も頷いた。

「そうだったの……」
「別人の名を名乗り偽ったこと、深くお詫びいたします」
「まぁ、そんなやめて。そりゃあ驚きましたけどね、それでも私はあなたをフィノアルド様だと疑いもしなかったのよ。この数年、隊長としてこの街――いいえ、ブラムマールを守ってきたのはあなただった。それは間違いないわ」
「ですが……兄の名に傷をつけたくない一心でやってきましたが、自問自答の日々でしたし、成果に表れているかどうか。……正直自信はありません」

控えめというより気弱な本心をのぞかせた誠二を、ミデルシャさんは祖母や母親らしい包容力でもって受け止めた。

「あなたがしたことは立派よ、誰にでも出来ることじゃないわ。ええそうですとも、もしもあなたを責める人がいるなら、私が箒で叩いてやりますからね!」

エア箒で叩く真似をしつつ茶目っ気のある言い方をしたミデルシャさんを、誠二は眩しそうに目を細めて見つめた。それは親父さんやお母さんを見る表情と似ている。
沈んだ空気が一気に和らぐ。おかげで俺もホッと息をついて肩の力を抜いた。
誠二がこのことで責められたり嫌われたらって思うとやっぱり心配だし、緊張するから。杞憂に終わってよかった。

「あらでもどうしましょう。あなたをどっちの名前で呼べばいいのかしら?」
「ここでは誠二と」
「セージ、と、アキーロね」

ミデルシャさんの視線が俺を捕らえる。大大先輩メイドさんだと思うと背筋が伸びた。
俺を呼ぶその巻き舌の発音が、魔王国の言葉を彷彿とさせる。あの魔王城を知っている身としては、どうしても気になってたことを聞いてみたくなった。

「その……奥さんはどうして向こうからトゥリンツァに来たんですか?」
「ひとことで言うなら、『お城での暮らしが合わなかったから』、かしら」

あんなに快適な城なのに!でもミデルシャさんがいた頃と今は違うのかもしれないし、そもそも使用人と俺とじゃ待遇が違ったのかも?
俺のそんな疑問が顔に出てたのか、彼女は事情を説明してくれた。

「魔王様は美しく聡明なだけでなく、本当に優れた君主様よ。常に国民のことを考えていらして、私たち使用人が働きやすい環境も整えてくださっていた。生活に不便なところは何もなかったの、少しもね。けれどね、『私が』合わなかったのよ」
「えっと、それってどういう意味ですか?」
「集団があれば一人二人は必ずいるでしょう?そこに溶け込めない人間が。『はみ出し者』――それが私」

それだけのことよ、とミデルシャさんがぐるりと頭を振る。

「私ったら、長い魔女生活に嫌気が差してしまったの。子供がほしかったし、愛した人と年を取りたかった。魔女失格ね」
「は、はぁ……? ――なあ誠二、ミデルシャさんが言ってる意味わかる?」

誠二に日本語でこっそり耳打ちすると、彼は軽く肩を竦めた。

「冗談かおとぎ話かと思ってたけど……まさか、あれって本当の話だったのか」
「なんの話?え、もしかして魔王国では結婚しちゃいけませんみたいな法律があるとか?だから女の人だらけなの?」
「そうじゃなくて、魔女――魔法使いは、不老長寿だって聞いたことがある」
「はぁぁ!?」

またもや大声で叫んでしまった。つられたように金太郎がグゲェェ!と鳴く。
不死、とまではいかないけど不老長寿!女王様やヴァレッタ様もサンドラも、ベルッティまでそんなファンタジーな存在だったわけ!?いや魔法使い自体がファンタジーだけど!
てことは、ミデルシャさんっていったい何歳なんだろう?
聞きたい……しかしおばあちゃんといえど女の人に年を聞くのってどうなんだろう……なんてチラチラ見てたらまた見透かされたらしく、ミデルシャさんに笑われた。

「私は二百年は生きてるわ。魔女としては短いほうね。魔王様なんて、誰も知らないような古の頃にお生まれになったそうですもの。女中頭のイアーラ様とイリーナ様でさえ、私よりずっと長く生きておられるのよ」
「マジで!?」

めっちゃ姐さん女房!ていうか『魔王様』って代替わりして今の女王様になったわけじゃなくて、ミデルシャさんが働いてた頃から同じ女王様なの!?
俺が世話になった女王様とミデルシャさんの魔王様がイコールかよ!てかむしろあの双子美少女メイドさんが俺より超絶年上だったことに驚愕しました!
あんぐりと口が開きっぱなしになってる俺に対し、誠二は冷静な口調でテーブルの向こう側に問いかけた。

「メレンヤさんは、そのことを知ってたんですか?」
「おう。ミーディが魔女だということも、その体質もな」
「体質?」

反射的に聞き返すと、メレンヤさんは鼻をすすったあと落ちかけた眼鏡の位置を戻した。

「魔法使いはこの世界では忌避されておる。なぜなら同じヒトだと見なされないからだ」
「えっ、それってひどくないですか?」
「いやいやそうなるのも仕方がないのだよ。たとえば彰浩君は、植物と恋愛して子供を作れと言われてその気になるかね?」
「む、無理ですね……」

どう考えても植物を恋愛対象にできない。ていうか考えたことがない。なにより色々と構造も違うし。

「この世界ではそういうことだ。言葉も通じるしヒトの形をしてはいるが、彼女らはヒトの範疇じゃあない。器量の良し悪しや気立てなど関係なく、この世界の人間は彼女らを性愛の対象から外しとるようでな」
「どんなに美女に見えても、男としてまったく興味が湧かないってことですか?」
「うむ、そういうことだな。魔法使いというのはいわゆる突然変異でな、一世代限りで子を成すことができん。そのかわり、彼女らは自らの身を永らえさせるよう進化したわけだ」

学者らしい物言いでメレンヤさんが告げる。
けれどその言葉にすぐ疑問がわいた。子供が作れない、なのにミデルシャさんには孫のディー君までいる。養子?とか一瞬考えたけど、あんな特徴的な髪は確実に遺伝だよね?

「だったらミデルシャさんはどうして――」
「そうそこだ、よぅく気づいた。進化の、さらにその先に必要なものはなんだと思うかね?彰浩君」
「またですか!えーっと、もっと進化した存在、とか?」
「おう、今度は冴えてるじゃあないか」

ガハハ!と唾を飛ばしながらメレンヤさんが笑う。なんかだんだん酔っ払いオヤジの与太話みたいに思えてきた。

「しかしちょいと違うな。魔法使いほどの変異と進化を遂げた存在を変える、あるいは法則を捻じ曲げられる、別種の可能性を持った似て非なる者、すなわち――」
「――異世界人」

メレンヤさんの言葉を誠二が継いだ。メレンヤさんがニィッと怪しく口角を上げる。

「そのとおり。わしや誠二君、彰浩君のような人間だ」


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