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階段の上に向かって蝋燭の火が時々ゆらりと揺れる。そのたび壁に映る俺らの影も伸び縮みした。
誠二が小さく頷く。「オレのほうから話すよ」と。

「最初に言っておきますが、オレと彰浩は二人同時にこっちの世界に来たわけじゃないんです」
「おう、だったらどこかで偶然出会って、わしみたいに何かがきっかけで同郷だと気づいた、と?」
「それも違います。オレたちは向こうの世界にいた頃から、友人でした」

意味がわからないという風にメレンヤさんが眉をひそめる。
誠二は俺にも話してくれたことを、はじめから語りだした。戦後から数えていつの時代に生まれたか、家族との確執、自分の体の違和感と不調、強い逃避願望。
俺とのことも。俺といると苦痛が和らいだことや、そのおかげで精神的に安定を保っていられたこと。
中学を卒業と同時に俺と離れ、遠い地へと引っ越したこと。それからの気が狂いそうな毎日。不登校、半ば引きこもりの日々、そして願いが叶うブレスレット。

「……こっちの世界に来たのは、本当に突然でした。一ヶ月ぶりに行った学校の帰りに電車の中で彰浩とメールをしていて――あ、メールってわかりますか?」
「うむ、そういった新しいもののことは話の前後から推察するから、構わず続けなさい」
「はい。ええとそれで、メールっていう、手のひらサイズの機械でやりとりする文字メッセージを彰浩と交わしてたんです」

指で空中にスマホの形を描きながら簡単に説明する誠二。
数日前、俺に話してくれたときは「いつの間にかこっちの世界にいた」だけで終わったエピソードだ。それ以上に衝撃的な事実の連続だったからそのときはそこまで気にしなかったけど。
いま初めてその話を詳しく聞いて、引っかかるものがあった。

誠二とメールや電話をするのは部活が終わって帰宅したあとだった。
だからけっこう時間も遅かった。誠二が行方不明になる直前のやりとりもそういう時間だったはずだ。それなのに『学校帰り』?

「や、ちょっと待った誠二。それって夜九時とか十時とかじゃなかった?お前も部活か塾みたいなのってやってたっけ?」
「……何も」

話に割り込んで聞けば、気まずそうに返された。一瞬言葉を詰まらせた誠二だけど、諦め気味の口調で続けた。

「そのとき、いつもより強く家に帰りたくないって思って、行き先も考えずに電車を乗り継いでたんだよ。たぶん、家からけっこう離れたとこまで行ってたかもしれない。駅名なんて見てなかったからわからないけど」
「誠二……」
「それで、だんだん眠くなってきてそのまま電車の中で居眠りした。そのうちに車内のクーラーが寒いなと思ってふと目を覚ましたら、何故か木のうろの中で寝ててさ」

起きてみてびっくり、制服姿のまま薄暗く狭い場所に座っていた。
そこは大木の幹にできたうろで、外は一面の銀世界だった。手元に通学バッグはなかった。ただ、ブレスレットだけが手首に嵌まっていた。
空はどんよりとした雲に覆われていて他にひと気はなく、鬱蒼とした森の中だった。
それでも体の不調が消え去ったことで薄着でも寒さはそれほど気にならず、吸い込む冷気も清々しく感じたそうだ。

とはいえそこでじっとしているわけにもいかなかったから、村や人の姿を探して森をさまよいはじめた。
厚く積もった雪を太めの枝を使ってかき分け、踏み固めながら進んだ。
やがてちらちらと雪が舞いはじめ、ようやく木の数が減ってきたと思ったそのとき、でかいカマキリに遭い――。

「カマキリ!?」
「ああ。体が鉛色の、人と同じくらいの大きさのカマキリだった」
「そりゃあオオクビカリだな。単独行動を好むが、非常に攻撃的な肉食虫だ」

メレンヤさんが言ったその名のごとく、鋭い前脚で切りつけて獲物の首を狩り、大顎で噛み砕いて捕食する習性を持つという。このブラムマール地方でも特に凶悪な害虫だそうだ。
ようやくこの世界に来られたのに、いきなりの絶体絶命に陥った誠二。持っているのは雪かきに使っていた枝だけ。
けれど誠二は、初めて見るモンスターを前にしても不思議と落ち着いていたそうだ。
前脚が振り下ろされる動作は単純だったし、体も思い通りに動く。でも、そのときはまだ戦い慣れていなかったうえ、雪に足を取られたこともあってところどころ傷を作った。
それに倒し方を知らない。木の枝じゃ致命傷を与えられない。逃げようにも隙がない。

このまま体力だけが消耗していくのか――と恐ろしくなってきたとき、誠二の血の匂いを嗅ぎつけたらしいもう一体のカマキリが姿を見せた。
誠二を嬲り殺そうとしていたカマキリは、餌を横取りに来た他カマキリに気づくや否や、なんとそっちとバトルをしはじめた。
カマキリ同士で取っ組み合いをはじめたその隙に、これ幸いと誠二は這々の体で逃げ出した。

あてもなくさまよい、降る量が増してきた雪に体の芯まで凍え、それでも森から抜け出してたどり着いたのは――トゥリンツァ兵士の駐屯地だった。
そこに常駐していた兵士の一人が誠二を見つけ、フィノアルドだと思い込んで直ちに保護した。出来た傷から大カマキリの仕業だと判断して適切な処置もしてくれたという。
少し様子がおかしいものの、「きっとフィノアルド様のことだから深い事情がおありなのだろう」と考えた兵士は、誠二をトゥリンツァの城に急いで連れて行った。

城に到着したのは真夜中だった。
街は寝静まり、人の少ない城内でローデクルス将軍が誠二たちを直々に迎えた。兵士にはただひと言「俺の息子だ」と告げて、親父さんは誠二を引き取った。
このとき誠二は事情がわからなかったしこの国の言葉も喋れなかったから、黙ってされるがままにした。
あとで知らされたことだが、このとき親父さんは領主様にフィノアルドの容態を伝えに来ていて、誠二を見て神のお導きだと強く思ったのだとのこと。
本物のフィノアルドは、ローデクルス邸で床に臥しているところだったから。
街から離れた場所にある駐屯地の兵士は、本物のフィノアルドが今わの際にあることなど知らなかったのが幸いした。
それから誠二は屋敷に連れて行かれ――そこからは何度も聞かされているとおりだ。

ときおり相槌を打ちつつ、ひと通り話を聞いたメレンヤさんは深く長い溜め息を吐いた。

「……そうか。フィニー坊やが任務中に負傷して床に臥したっちゅう噂はわしの耳も届いていたが、そのときに、あの子は――」
「ええ。亡くなりました」
「そうか、そうだったか……」

ハンカチで押さえてズッと鼻をすすったメレンヤさんは、忙しなく目を瞬かせた。
誠二もうつむいて声を小さくした。

「それから……ほんの二日間だけ、兄さんと過ごしました。彼はもうほとんど喋ることもできませんでしたが、それでも、最期まで」
「看取ってやったんだな」

声もなく頷いた誠二。俺も切なくなって目がじわじわと潤んだ。
誠二は続けてフィノアルドの身代わり役をしはじめたことを説明した。
フィノアルドとは世界を隔てた兄弟だと信じていること、リーリンドたちの協力もあってこれまでやってきたことなんかを。
それらの説明を聞いたメレンヤさんは難しい顔で唸った。
曰く、一時危ぶまれたが奇跡の回復をみせたフィノアルドはトゥリンツァでますます人気が高まり、復活と希望の象徴となったんだという。

「年寄りのお節介かもしれんが一応言っておくぞ。民衆に希望を抱かせたのは良いことだがな、その期待を裏切るようなことがあれば反動が恐ろしいぞ、誠二君」
「重々承知しています」

釘を刺すメレンヤさんに、誠二も受けて応えた。
俺は内心、ちょっと怖くなった。誠二の肩に圧し掛かるものが、俺が思っている以上に重責なんだと改めて知ったから。慄いて涙が引っ込んでしまった。
不安な気持ちに駆られて誠二を見やる。彼は真剣な面持ちでメレンヤさんとまっすぐ視線を交わしていた。
しかしメレンヤさんはすぐに表情を緩め、懐深い態度で宥めた。

「いや、お前さんが富や名声を掠め取ろうとして身代わりをしとるわけじゃあないのはわかっておる。気づいてるかどうか知らんが、誠二君はお兄さんによく似とるよ。心ばえがな。いい弟を持って、フィニー坊やも果報者だと思うぞ」
「…………」

その言葉に頷きも否定もせず、誠二は押し黙った。誠二にしかわからない複雑さがそこにあるのかもしれない。
セデルー茶のカップを一気に煽ったメレンヤさんは、ぶはぁと大きく息を吐き出した。

「ふむ、誠二君の事情はわかった。そうすると、彰浩君のほうはどういったいきさつでこっちに来たのかね?」
「えっと、俺は――」

お恥ずかしながら俺は、誠二みたいな長い物語があるわけじゃない。苦難に満ちた生い立ちでもなければ、この世界に来たきっかけも『散歩の途中』という間抜けさ。
来た当初は生死の境を彷徨ったものの、女王様たちのおかげでこうしてピンピンしてる。
自分のうっかりのせいで魔王国からブラムマールに来たこと。そこで誠二と再会したこと。表向き客人の人質として、彼と行動を共にしていることを話した。
誠二と違って短くあっさり終わってしまった。
ところがメレンヤさんは、俺の話を聞いてものすごく驚いた顔をしたあと、腕を組んで今まで以上の渋面で唸った。

「――その、『間違えた子供』だったか。もう一度詳しく説明を聞かせてくれんか、誠二君」
「はい?」

俺にも聞かせてくれた仮説を、今度は丁寧に説明する誠二。
メレンヤさんは年の功か、あるいは研究者として頭の回転が速いのかすぐに理解を示した。
「こりゃあコトだぞ」と独りごちたメレンヤさんは、突然立ち上がるとドスドス足を踏み鳴らして階段を上がり、外に出て行ってしまった。

「どーしたんだろ?」
「さあ」

全然戻ってくる気配がないから手持ち無沙汰にセデルー茶を飲んだ。お茶はすっかり冷たくなって少し苦味が強くなっていた。
それから十分くらいして、ようやくメレンヤさんが戻ってきた。そして、彼のあとからミデルシャさんも。

「あ、スープとお茶ごちそうさまでした」

食器を片付けに来たのかな?と思って俺がそう言うと、ミデルシャさんは神妙な仕草で旦那さんの隣に座った。

「待たせてすまんな。ミデルシャにも今の二人の話を聞かせるが、いいか?」
「えっ?」
「必要なことでな」

どういうことかわからずミデルシャさんの顔を見ると、彼女も頷いた。

「はじめに言っておいたほうが良さそうね」
「おう、そうしておくれミーディ」

ミデルシャさんの視線が俺のほうをまっすぐに向く。なぜだか背筋がゾワっとしてのけぞった。

「私は以前、とあるお城の使用人をしていたの」
「とある……城?」
「隣国ヴォラエルガ・リ・セシスカの、魔王様のお城よ」
「ええええええ!?」

びっくりしすぎて腰が浮く。そのはずみで石タイルの隙間に椅子の脚が挟まって、俺は尻から床に転げ落ちた。


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