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三人揃ってしばし唖然とした。探るみたいにして交互に目配せをする。その末に沈黙を破ったのは、誠二だった。

「……あなたも、日本人ということですか」

ためらいがちにメレンヤさんが頷く。その決定的な仕草を見たら、頭の中にたくさんの言葉がドッと溢れかえった。
日本のどこで生まれ育ったのか。いつ、どうやってこの世界に来たのか。今までどんな風に暮らしてきたのか――。
聞きたいことが多すぎて、それらをうまく音にできなかった。あ、あ、と掠れた吃音が漏れる。
メレンヤさんは指で眼鏡を押し上げて疲れたように眉間を揉んだ。それから大きく息を吐いて、慎重な手つきで窓を閉めた。

「場所を変えようか。きみらも、他人に聞かれたくないことがあるだろう」

記憶を刺激されたのかさっきより流暢な日本語で言いながら、メレンヤさんが誠二をまっすぐ見据えた。
そうだ、誠二が正体を明かすってことはフィノアルドじゃないのがバレたってことになる。少なくとも世間に名前を偽っていることが。
今まではこの街の住人じゃない人々と意思疎通してたからその場限りのやりとりで済んだんだろうけど、メレンヤさんはれっきとしたトゥリンツァ市民だ。この街の事情も、フィノアルドの立場も熟知してる。
心配になって誠二を見上げると、彼は少し硬い表情ながら「大丈夫」と頷き返してきた。

メレンヤさんは斑竜一匹一匹に優しく声をかけながら餌をあげたり体を撫でたりしたあと、俺と誠二に退室を促した。
ぞろぞろと部屋を出てリビングに戻る。テーブルを片付けていた奥さんにメレンヤさんが声をかけた。

「ミデルシャ、わしらは地下室に行く。すまんが『命の露』を持ってきてくれんか。二人分」
「まあ、またなの?お客様方には『まずい、まずい』と不評じゃないの。私だってあれは匂いが苦手なのよ、ええ、そうですとも」
「頼むよ、可愛いミーディ」

メレンヤさんの猫なで声にもミデルシャさんは眉間に皺を刻み、口までひん曲げて死ぬほど嫌そうな顔をした。それでもブツブツ文句を言いつつキッチンへと消えていった。
まさか……ついに噂の『まずい汁』か!?ていうかなんなの『命の露』って!
俺がちょっとビビッてる間にメレンヤさんは上着を着なおした。「地下は寒いぞ」と言われて俺らもコートを羽織る。それを着たら、金太郎がまた懐に入り込んできて小さくなった。

火をともしたランタンを手にメレンヤさんが家の裏口へと向かう。
そこから外に出ると狭い中庭があり、その先に家畜小屋と思われる建物が見えた。けれどそこへは行かないで、裏口ドアのすぐ横に設置された木扉の鍵を開けた。
ところが扉を開けたらすぐ壁、行き止まりだった。そのかわりに床に跳ね上げ式の戸が嵌まっていて、メレンヤさんは取っ手を持ち上げた。
中は下に繋がる階段が続いている。人が一人ギリギリ通れるくらいの幅だ。
下は暗くて先が見えない。何があるかもわからない。視界が狭められるという純粋な恐怖に背筋がぞくりと粟立った。

「足元に気をつけなさい」

静かな言葉にビクッと震える。酒焼けのダミ声は、こんな場面だと幽霊屋敷の案内人のごとし。
誠二に優しく背中を押されてメレンヤさんの真後ろに続いた。俺のあとには誠二が並ぶ。
日焼けした手に提げられたランタンが唯一の光だ。光に誘われるちっぽけな虫の気持ちで、揺れる火の明かりを懸命に追った。
階段を下りきると、メレンヤさんは室内の太い蝋燭数本にランタンの火を移した。蝋燭の明かりは想像していたよりも明るくて、ホッと息を吐いた。

四方を石壁に囲まれた地下室は思いのほか広く、ひんやりとしていた。金太郎カイロがあっても寒くて、吐く息が白くなる。
そしてそこは別に拷問部屋とか秘密結社寄り合い所とかそういう怪しい施設じゃなかった。普通に保管庫だった。
瓶詰めの食材や酒が棚にずらりと並び、壁沿いには布袋や木箱、樽が積み上げられている。それから他にも薪や道具とかがある。
部屋の中央には作業台と思しきテーブルと椅子が置かれていた。脚が不揃いに磨り減ってるのか、ちょっとがたついている。

「ここなら外に声は漏れない。だから……あー、日本語じゃなくても構わんかね?今となっちゃあ、うまく話せないのだ」
「ええ、大丈夫です」
「ただ言葉はわかるから、そちらが日本語で話す分には問題ない。好きにしなさい」

特に彰浩君、と名指しされた。大変ありがたい申し出です。
なのでここからは日本語と異世界語のミックスで話すことになった。
テーブルの真ん中にランタンを置いたメレンヤさんは、椅子の背もたれに体を預けて頭頂部を撫で上げた。

「わしがこの世界に来たのは、九つの頃だった」
「…………」
「ありゃあ忘れもしない、大東亜戦争のさなかの三月……恐ろしい夜のことだ」
「それって」

大東亜戦争、つまり太平洋戦争、そして三月といったら――東京大空襲。

少し長くなるが、と前置きされて語られたのは、メレンヤさん、いや、壽光さんの生い立ちからだった。

壽光さんは、戦中としては比較的裕福な家に生まれた。
けれど生まれつき太れない体質で、どれほど食べてもいつも骨が浮くほどガリガリにやせ細っていた。
立派な兵士として育てあげ、ゆくゆくはお国のために――という親の期待には応えられず、壽光さんは栄養失調状態だった。
物資が国に厳しく制限されていた当時、そういう子供は珍しくなかったそうだが。

激しさを増す戦火のなか、壽光さんも兄弟たちとともにいよいよ学童疎開に……という矢先のことだった。
大規模な空襲に遭い、防空壕を目指して逃げるも間に合わず爆撃の炎に巻き込まれ、次に目が覚めたときにはこちらの世界にいた、とのことだ。

倒れていたのは隣の領地の山中だったのだが、運よく優しい老夫婦に拾われて介抱された。
そのとき、スープをひと口含んだだけで体中の隅々にまでエネルギーが行き渡った感じがしたんだという。
そして数日のうちにすっかり元気になり、みるみる頑健な肉体になった。

要するに元の世界の食べ物は『体質』に合わなかった。
何を食べても栄養にならず、ほとんどそのまま排出するだけのつらい日々を送っていたのだった。ということは壽光さんも――。

「『間違えた子供』……」

それに思い当たった俺がうっかり口に出すと、メレンヤさんが意味がわからないという風に顔をしかめた。
誠二が簡単にその説明をしたらメレンヤさんは感心したように頷いた。

「ふむ、『間違えた子供』か。なるほど、言い得て妙だのぉ」
「お話の腰を折ってすみません。続けてください」

――拾ってくれた夫婦は木こりとして生計を立てつつ山小屋で素朴な暮らしをしていた。
壽光さんを家族に迎え入れ、自分の子供として愛情たっぷりに育ててくれたのだとか。
名前も、『壽光』はこっちでは言い難い発音だったから『ホスミッツ』と改め、木こり夫婦の姓『メレンヤ』を名乗ることにした。

奥さんのほうが元・私塾教師だったそうで、読み書きや基本的な勉強を教えてくれた。
それから二年も経たないうちに体の大きさが三倍にもなったメレンヤさん。夫婦の生活の手助けをする傍ら、山中で斑竜と出会ってその魅力的な生き物に夢中になった。
こっちの世界では犬猫なみにありふれた生き物でも、日本から来たメレンヤさんにとっては空想動物だ。だから余計に惹かれたとのことだ。
メレンヤさんのほうも斑竜に異様に好かれて、何匹も飼ったそうだ。

しかし、メレンヤさんが十二歳の頃に養母が亡くなった。あとを追うようにほどなくして養父も。
もともと彼らは年を取っていたわけだから、こうなるだろうという心構えはしていたし、三人の間でそうなったときのことも話し合っていた。
メレンヤさんはそのまま木こり業を継ぐつもりだったが、夫婦の猛反対にあった。山中で厭世的に生きるより都に出て様々な経験を積めという。

そんなわけで山を下りたメレンヤ少年は、頑丈な体を活かしてしばらくは肉体労働で日銭を稼いでいた。運河から運ばれてくる荷物の積み下ろしや倉庫番なんかで。
そのうちに勤め先の主人から実直な仕事ぶりを認められて、大都会のトゥリンツァに連れてこられた。

そこでメレンヤさんは衝撃の光景を目の当たりにした。――そう、斑竜の売買である。
胸を痛めたメレンヤさんは昼夜を惜しんで仕事に励み、給金のほとんどを売りに出されている斑竜につぎ込んだ。メレンヤ少年としてはそれが救出のつもりだったという。
そんなことをして数年、いつしか斑竜狂いの変人として有名になり、周囲から笑われるようになった。
けれど、ともにいればいるほどその生態に興味が湧き、貧しくとも斑竜研究に勤しむ日々が続いた。

やがてメレンヤの名は斑竜研究家としてトゥリンツァに浸透するようになった。
なぜなら貴族や富豪のなかにも好事家がそれなりにいて、いわゆるパトロンというか、研究の援助をしてくれる人が出てきたからだ。
そんななか、斑竜を愛してやまないという首都の豪商から、長らく荷物置き場として使っていたこの家を贈られた。
そうして暮らし向きが良くなり、運河での仕事も現場責任者の地位を得て、今のメレンヤさんがあるそうだ。


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