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普段だったら、くしゃみくらい翻訳してもされなくてもどうでもいい。
でも今のは大問題だ。『俺たち』にとっては。
反射的に誠二を見上げると、彼も目を丸くして困惑を隠し切れない様子で眉尻を下げていた。

「な、なあ、どうしよう誠二。俺の翻訳機、壊れたみたいなんだけど」
「いや……壊れてないよ。今のくしゃみだろ?オレも聞こえた」

日本語に――。
メレンヤさんに聞こえないよう極力小声で話し合う。すると、メレンヤさんは笛から口を離して俺らのほうを振り向いた。
見た目から何かを感じ取れないかと、メレンヤさんを改めて凝視する。けれど、現地人としてなんら違和感のない風体だ。顔立ちも、仕草も。

――前に誠二が言ってた。驚いたり痛みを感じると馴染みの言葉がつい出てしまうのだと。
そういう無意識のうちに『はずみ』で出る言葉は使い慣れた言語になる。
幼少期についた癖っていうのはなかなか侮れない。くしゃみもそれに当たるのだろうか。

予期せず突発的に訪れたこの事態に混乱する。だんだんと脳に理解が追いついてきて、呼吸も鼓動も早くなった。
今のは聞き間違い?でも誠二も聞こえたって言ってた。俺だけの勘違いじゃない。
とにかく何か、どうにかしたくて口をパカッと開いた。
ところがその前に、おびただしい羽音にそれは阻まれた。

「まっ、斑竜……!?」

ギャーィ、ゲッゲッ、グェェ、という恐ろしい鳴き声を発しながら、羽の生えたトカゲが次々に窓枠に降り立った。いち、にぃ……全部で六匹。
大きさはバラバラ。孵化したてかな?ってくらいすごく小さいのもいれば、金太郎より大きいやつもいる。
色もバラバラ。茶色っぽかったり青みがかっていたり、斑点が薄かったりまばらだったり、その模様もインクの染み状に歪んでたりとバラエティー豊か。

こうして他の個体を見てみて初めて知った。金太郎は相当綺麗な見た目をしてる。
体色はくすみも曇りもなく、斑点模様が整ってる。しかもこの、背中にひとつだけある黄褐色の模様だって――金色、たしかに金マダラだ。
なるほど、これなら会う人会う人みんなが褒めるわけだ。

メレンヤさんの斑竜は、それぞれ首を上下に振ったり羽を伸び縮みさせたりしてる。
こんなにいるとだいぶ威圧感があるな。……うん、めっちゃドラゴン!かっけえ!
興奮気味に一歩近寄ると、俺の存在に気づいた斑竜たちが一斉にギシャギシャ鳴きはじめた。

あ、しまった。刺激しちゃった?斑竜は人懐っこいって話だったから油断してたけど、警戒心が強い性格のやつもいるのかも。
やばい、と思ったもののあとの祭り。真っ赤な口を開けた斑竜たちが一斉に俺に飛び掛ってきた。
斑竜の牙、めちゃめちゃ鋭いんですけど!

「おわぁっ!?」
「彰浩!」

よろけて、というか単純に恐怖で腰が抜けてその場に尻餅をついた。
た、食べられる……!と両腕を交差してガードの体制をとったそのとき、斑竜たちが俺の体に張りついて頭を擦りつけてきた。大小の六匹全員が。
「撫でて!」「撫でて!」と言わんばかりに甘えたように喉を鳴らして、俺の全身あますところなく引っつきひしめき合っている。
なにこのモテ期!?ただし斑竜限定。ていうかなんで俺ばっかり!

「せ〜い〜じ〜ぃ、たすけてー……」
「だ……大丈夫、か?」
「う、うん、たぶん」

誠二も状況がよく飲み込めてないそうで、とりあえず危険じゃなさそうだということだけ判断して俺に手を伸ばしてきた。
その手を掴んでよろよろ立ち上がる。てか重っ!
全然離れる気配のない斑竜たち。こいつらをぶらさげたままだとどうしても立ち続けられなくて、結局床に座り込んだ。

メレンヤさんも遠巻きにこっちをじっと見てるだけでどうにもしてくれない。
埒が明かないから、ビクビクしつつ一番小さい斑竜の眉間を撫でてみた。するとそいつは、人懐っこくゲピッゲピッと幼い声で鳴いた。
同じ調子で全員撫でてみれば、どいつもみんな喜んだ。
鱗に見える産毛に覆われた斑竜たちに囲まれてくすぐったい。でも爪を立てられて痛い。その相反するよくわからない感覚に、うひゃひゃと変な笑い声が漏れた。

そういや俺の肩にいた金太郎はどうしたんだろう。ふと見ると、肩にも背中にも頭にも乗ってない。他竜の勢いにびっくりして離れちゃったとか?
あたりを目で探してみたら、金太郎は誠二の肩に避難していた。そして悠然と首をもたげると、大きく鋭く一声鳴いたのだった。
まさに鶴の一声。いや、竜の一声。
金太郎のその声で六匹の斑竜は俺から離れ、部屋の中の止まり木に各々おさまると、羽をばたつかせながらグェッ!グェッ!と甲高く鳴いた。

「――な、なに?なんなのこれ?」
「さあ、オレもよくわからない」

誠二も俺と同じく戸惑った顔で肩をすくめた。
『撫でて攻撃』から開放された俺のところに金太郎が舞い戻ってくる。金太郎は縄張りを主張するように、俺の肩の上をぐるぐるとせわしなく行き来して体を擦りつけてきた。
見てるだけだったメレンヤさんは、そこでようやく俺のところに来た。しきりに髭を撫でつけながらニヤついている。

「ほほう、思ったとおりだのぉ」
「なんなんですか?斑竜の、えっと、行動?これは普通の行動ですか?」

習性っていう単語がわからなかったから、強引に言葉を繋げてメレンヤさんに聞いた。メレンヤさんが首を振る。

「マダラリュウの習性としては通常のものだが、大いに違う。まずひとつ、その金マダラ様は、多くのマダラリュウを統べる王になるべくしてお生まれになった竜だ」
「王!?」

俺と誠二の声が揃った。
希少な個体だとは聞いてたけど、まさかそんな大げさな言葉が出てくるなんて露ほども思わなかった。俺にとっては可愛いペットなのに。
そしたらメレンヤさんが、自分の突き出た腹を太鼓さながらにポンポン叩きながら頷いた。

「まあまあ、そう身構えなさんな。それより問題は坊主のほうだが――そういやぁ、お前さんの名はなんだったかな」
「あ、えっと、彰浩です」

そういえば、ミデルシャさんには名乗ったけどメレンヤさんには言ってなかったな。
メレンヤさんの動きが止まる。そうして「アキヒロ君――」と復唱して、何故か遠い目をした。俺の顔を優しい瞳で見据えながら。
いや待てよ。今のメレンヤさんの発音、親父さんやお母さんとも違う『正しい発音』をした。
耳に馴染む懐かしさに息をついたのも束の間、横から誠二が口を挟んだ。

「オレの名前は神山誠二です。地球の、日本生まれです」
「誠二!?」

誠二の台詞に驚いて声がひっくり返った。一瞬心臓が止まったかと思った。
だって、メレンヤさんに自己紹介をした、日本語で。
もしメレンヤさんが生粋の現地人なら誠二が言ったことの意味は理解できないだろう。言葉にしろ、内容にしろ。
けれど、この意味を理解して、そのうえ応える意思があるなら――。

「……私の名前は田淵壽光。この名を言うのも、あー……何十年ぶりに、なるだろうか」


タブチ・トシミツ、とメレンヤさんは言った。抑揚が不自然な、かなり、たどたどしい日本語で。


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