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ディー君がニョロちゃんに次々と餌をあげてるところを見てたら妙に愛着が湧いた。
「餌、あげてみますか?」と言われて俺もためしに一匹与えてみた。するとニョロちゃんはこれまた上手にキャッチして飲み込み、体を捻りながらクルクル泳いだ。やべえ可愛い!
きっとあの湖には他にも魚が生息していて、生贄を食う肉食魚ってのはこいつのことじゃないんだろう。もっとピラニア感のあるやつかもしれない。
そんな風に和んでいると、金太郎が俺の髪をくわえてグイグイしつこく引っ張ってきた。おっ、やきもちか?
それにしても、餌の小蟹を入れてる壷の保冷力がすごい。カチンコチンに凍ってる。それともこの家の窓辺はそんなに寒いわけ?

餌をあげ終えたディー君は、再び外に出ていった。俺たちが乗ってきたトナカイを裏の家畜小屋で休ませてくれるとのことだ。
そのタイミングで、お茶が入ったとおばあちゃんに呼ばれた。
コートと手袋を脱いで壁のフックに掛けさせてもらってからテーブルについた。そこに置かれた陶器のカップからツンとした香りの湯気が立ちのぼっている。

「申し遅れました。すでにご存知のようですが、私はフィノアルド・ローデクルスと申します」
「あ、俺は彰浩といいます。どうも、よろしくお願いします」
「ミデルシャ・メレンヤよ。うちの人は運河で荷の積み下ろし仕事をしているの。そろそろ帰宅しますので、もう少々お待ちくださいな」
「ああ、ご主人は専門の研究家というわけではないのですね」

誠二の言葉にミデルシャさんが頷く。
メレンヤさんは専業の学者というわけではないらしい。船で運ばれてくる荷の積み下ろし仕事が本業で斑竜研究はあくまで趣味。
いつも家で食事をするから、昼も仕事の合間に一時帰宅するそうだ。
ディギオじいちゃんといい、なんか今日はじいちゃんに縁がある日だな。

ちなみにディー君は街で配達の仕事をしてるんだとか。間食のため帰宅したところ、家の前で偶然俺たちと遭遇したってわけだ。
彼は二十歳になったばかりで俺と年がほぼ同じ、そして彼の両親は別の街で暮らしているのだとのこと。

そんな世間話を聞きつつも、俺は、目の前のライトグリーンの液体が気になっていた。
カップの中のこの飲み物――もしかして例の『まずい汁』なんじゃ……。
そう思うと手が伸びなかったけれど、誠二のほうはカップに口をつけて「ありがとうございます、温まります」と爽やかに微笑んだ。
あれ、普通のハーブティーか何か?
俺もためしにおそるおそる口に含んでみる。
それは、甘酸っぱくもすっきりした味わいの飲み物だった。例えるなら、はちみつ生姜レモネードってとこ?普通に美味しい。

「えっ、なにこれうまっ」
「お口に合ったかしら?我が家特製のセデルー茶よ」

やっぱりセデルーかよ!いやそれにしても想像を裏切る美味さ。
ようやく目が覚めてきたらしい金太郎が俺のカップめがけて首を伸ばす。好物の匂いがするけどなんか違うぞ、とでもいうようにギュゥルゥと唸った。
そしたら、玄関の外からドタドタと騒がしい足音が聞こえた。続けてドアが勢い良く開かれる。

ようやくメレンヤさんご帰宅か?と期待してそっちに顔を向けた。
窮屈そうに体を屈めてドアをくぐったのは、もじゃもじゃの白髪頭の人だった。そのもじゃもじゃは両サイドだけで頭頂部は禿げてる。
赤銅色の皺深い顔に白髭が蓄えられている。おまけに学者のイメージとは程遠い豪快なプロレスラー体型。
パッと見、酒場ののんだくれオヤジ的な風貌だ。事実その手には酒ビンが握られていた。そのオヤジは赤ら顔でズズッと鼻をすすった。

「おう、愛しのミーディ!いま帰ったぞぅ!」
「おかえりなさい、ホス。あなたのお客様がいらしてるわよ」
「わしのぉ?」

ミデルシャさんが迎えると、彼はテーブルの俺らのほうへと顔を向けた。
それからクワッと目を見開き、プルプルと小刻みに震えたあとヒョエッと悲鳴をあげて、驚愕の表情で両手で口を押さえた。

「そんな……!まさか……!!」

そのはずみで酒ビンが床に落ちる。ビンが割れる!と慌てたものの、丈夫な容器だったようで重い音をたてて床に転がるにとどまった。よかった。
ていうか、孫、奥さんに続いてリアクションが全く同じなんですけど、メレンヤ家。
笑いを噛み殺していたら誠二が立ち上がったんで俺もそれに倣った。

「はじめまして。私はフィノアルド・ローデクルス、将軍ゲオバルト・ローデクルスの息子です。あなたが、斑竜にお詳しいというメレンヤ殿で間違いありませんか?」

柔らかな物腰で挨拶をした誠二に、メレンヤさんは大仰な咳払いをして胸をそらして応えた。

「いかにも。わしはホスミッツ・メレンヤ。ローデクルス隊長直々のご来訪とは、なんともお珍しい」
「ああ、いえ、私は付き添いでして。今日はこちらの彼の道案内と護衛のため付き従って参りました。彼は他国からの客人で、私が世話をしておりますので」
「よ、よろしくお願いします」
「ふむ……」

メレンヤさんは、深い皺に囲まれた目をかっ開いてジロジロと俺を眺めた。正確には俺の肩に乗っている金太郎を。当の金太郎は俺の髪をもぐもぐと噛んでは引っ張っている。

「……どうやらその金マダラ様は腹が空いているようだな。よし、メシにしよう!ディーはどこだ?」
「あの子なら裏小屋よ。もう戻ると思うわ」
「でしたら、私たちは日を改めて出直すことにします。このあと次の仕事もおありでしょうし」

誠二が遠慮の意思を告げると、メレンヤさんは酒焼けのダミ声でガハハと笑った。

「そんな必要はないぞ!わしは午後の仕事を休むと決めた!なんせ金マダラ様がいらしてくださったんだ、こんなめでたい日に働いてなどおれん!」

斑竜のために仕事休んじゃうとか、さすが研究家って感じだ。つーかまた金マダラ『様』とか言った?いい加減そろそろ金太郎のことが気になってきた。
メレンヤさんが外着を脱いでいる間にディー君も戻ってきて、さっそく興奮気味に声を上げた。

「あっ、おじいちゃんおかえり!びっくりなお客様が……って、もう会ったね」
「おうディー。今からバーフマンのところに行って、わしは今日の仕事を休むと伝えてきてくれんか。駄賃ははずむぞ」
「えっ!?う、うーん……わかった。ああでも僕は次の仕事行かなきゃ……」

名残惜しそうにチラチラと俺と誠二に視線を送ってくるディー君。
俺も彼とは友達になれそうだったから残念だ。でも人質っていう立場上、また遊びに来るからな!とも気軽に言えないし。
揚げイモとベーコンをぎゅうぎゅうに挟んだパンをミデルシャさんに包んでもらったディー君は、再びちょっと涙ぐみながら「さようなら!ごゆっくり!」とあわただしく出て行った。

残った俺たちはテーブルに戻り、メレンヤさんはまず食事をとった。
肉体労働者の間食は軽食ってレベルじゃない。野菜をぎっしり詰めたでっかいパイ、長くて黒いソーセージ、セデルーの酢漬けに黒パン。かなりのボリュームがある。
金太郎も新鮮なセデルーをもらってご機嫌。こんなに美味そうに食べるんじゃ俺も一口齧ってみたくなる。やらないけど。

食事中は自己紹介も兼ねた当たり障りのない世間話をした。天気がどうだとか運河の水量がどうだとか。
特に誠二は一年も留守にしてたわけだから、住民の口から語られるトゥリンツァの最近の様子を興味深げに聞いていた。
身分が高く、普段なら接する機会なんかないフィノアルド様。そんな彼が市民の言葉に真剣に耳を傾ける姿に、メレンヤ夫妻は好感を抱いたようだった。

そしてメレンヤさんは食事のシメに木の椀でスープを飲んだ。
それを見てふと何かが引っかかった。なんだろう、何かが思い起こされるような――。

「――さて、マダラリュウのことで来たということだが」

口と髭についたパイの欠片を布巾で拭いながら、メレンヤさんが仕切り直しをした。
木製のケースから丸眼鏡を取り出してかけると、彼は一気に学者っぽい雰囲気に変わった。

「ひとつ確認するが、その金マダラ様はローデクルス様ではなく、そっちの坊主に懐いているんだな?」
「おっしゃるとおりです」
「ううむ、なんとも不可解な……」

何が不可解なんだろう。
ちょいと失礼、と言ってメレンヤさんは立ち上がって俺の傍に来た。横からうしろから、あごに手を当てて俺のことを観察する。いや、なんで俺を見るの?
そのあと金太郎の鼻先に手を持っていって匂いを嗅がせたあと、指先で眉間を撫でた。
金太郎がめちゃくちゃ嬉しそうにゲッキョゲッキョと鳴く。

「あの、斑竜のそこを撫でるのはいいんですか?」
「おう、どんどん撫でてやりなさい。成竜になるとこの部位に角が生えてくるのでな、幼竜の間はムズムズするそうでしきりに硬いところに擦りつけるんだが、彼らにとっちゃあ人の手で刺激されたほうが気持ちいいらしいぞ」
「そうなんですか!」

なるほど、そういう意味があったのか!さすが研究家!よっしゃ、これから存分に金太郎の眉間を撫でてやろう。
金太郎はメレンヤさんの腕によじ登って「もっと撫でて!」と眉間をぐいぐい押し付けはじめた。
そこでまたふと気になったこと。ディギオじいちゃんのときも思ったけど、斑竜って老人に懐かないんじゃなかったっけ?研究家は別なの?
俺の疑問をよそに、金太郎を俺の肩に戻したメレンヤさんはあごをしゃくった。

「二人ともついてきなさい。うちの子たちに紹介しよう」

研究家ってことは絶対斑竜を飼ってるんだろうなあとは思ったけど、こんなにすぐに見せてもらえるなんて。
今のところ金太郎以外の斑竜を見たことがなかったらワクワクする。他の斑竜ってどんな感じなんだろう。
それにしても変な言い方だ。うちの子たち「に」って。俺と誠二をメレンヤさんの斑竜に紹介するってこと?飼い主としては逆じゃね?
なんか時々ネックレスの翻訳がおかしい気がする。まさか壊れた、なんてことはないよな?

メレンヤさんのあとについて行くと、広々とした別室に通された。
そこはいかにも書斎といった内装で、本棚や机がある他は止まり木みたいなものがいくつも置かれていた。――あと窓が全開!寒っ!!
外は晴れているものの、風で舞った雪の粒がちらちらと部屋の中に吹き込んできている。
誠二が平気そうにしてる一方で、俺はガタガタと震えが止まらなかった。金太郎が懐に入ってないせいでマジ寒い。

「あ、あ、あの、なんで窓あいてるんですか!?」
「わしが仕事に行ってる間、うちの子たちが自由に飛べるように開けておる。今は皆、散歩中か」

みんなってことは何匹もいるの?
メレンヤさんが窓枠から外に身を乗り出して空を仰ぐ。それから首に紐で下げた小さな笛を取り出して思いっきり吹いた。
俺には音は聞こえなかったけど、金太郎が一瞬ピクッと反応した。犬笛ならぬ竜笛?

その様子を見ていたら、震える俺を見かねたのか、誠二が上着を一枚脱いで俺の肩に被せてくれた。
誠二の体温で温められた上着でじんわりとあったまる。なんでそんな優しいんだよ、お前って。

「あ、ありがと。お前は寒くないの?」
「オレは慣れてるから平気。むこうの部屋からコート持ってこようか?」
「いいよ、大丈夫。そんな長時間じゃないと思うし」

やっぱりメレンヤさんも寒さに強いんだろうなぁ、と思ったらそうでもなかった。
メレンヤさんはブルッと震えたあと、鼻をヒクつかせながらのけぞった。

「ふぇ、ふぇ……っぶえーっくしょーい!……っきしょうめ!」

盛大なくしゃみとともにメレンヤさんはズズズッと鼻をすすった。それはいい、いいんだけど――。
……ん?んん?メレンヤさん、くしゃみのあとなんて言った?『畜生め』?
くしゃみは二重音声にならなかった。そのあとの言葉も。ベルッティのネックレスで翻訳されないのは人名と名詞、それと元の世界の言葉だ。
しかも、そう、今のは英語ですらなかった。

――まぎれもなく日本語だった。


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