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溢れそうになる涙が零れないように瞬きの回数を増やす。そうすると自然と口も閉じた。
鍵が外され腿ベルトを緩めてもらっている間、誠二の手元を見てるうちに自己嫌悪で落ち込んだ。

「……ごめん誠二。怒鳴ったりして」
「いいよ。むしろこの状況で、今までよく我慢して耐えてたなって思ってた」

ベルトが完全に外されると、圧迫されていた部分に血が通ってかゆくなった。
たった半日、服の上からの拘束だったけどやっぱりこういうのは精神的に来る。
誠二の温かい手がその部分をマッサージするようにさすってくれる。
根気よく解きほぐすその手つきは昔のままの純朴な誠二を思い出させて、子供みたいに喚いた自分が恥ずかしくなった。

「なんかすげー悔しい、俺」
「何が?」
「なんの力も持ってないことがだよ」

魔法が使えるわけじゃない、戦う筋力もない、物を作る技術もなく芸術に秀でてもいない。かといって頭がいいわけでもない。
空飛ぶ動物にも乗れないし言葉すら通じるか通じないかの出来損ない。
なんとなく勉強して大学に入って、友達とくだらないことで笑って、毎日のらりくらりと生きてきた。それが今となっては無駄だったように思える。

ぽつぽつと、独り言みたいに今までのことを話した。
大学に入ったこと、サークル友達とのキャンプ中に神隠しに遭ったことや魔王様に拾われたこと。
約一年間そこで世話になってたこと。挙げ句、魔王城のトラップに引っかかったマヌケな自分の話。
小さく相槌を打ちながら、優しい瞳で誠二が俺を見つめてくる。誠二は俺を笑ったりはしなかった。

「無駄なんて言うなよ。そんなことない。大学受験だって頑張ったんだろ?すごいよ。それにお前はさ、地球の日本って国でずっと生きてきたんだ。急にこっちに馴染もうとしたって無理な話だろ」
「……こっち、か」

そう言う誠二は『こっちの世界』にひどく馴染んでいる。
これを聞いたところでまた答えが得られないんじゃないかと思うと、出しかけた言葉を諦めの溜め息に変えた。
ところが誠二のほうから静かに話しはじめたのだった。

「オレのこと、ちゃんと言えなくて悪かった。彰浩の処遇が決まるまでこっちの事情を迂闊に漏らせなかったから」
「……ん」
「なんの力もないってお前は言ったけど、それがかえって良かったんだよ。もしお前が魔法とか何かの能力を使えてたら、もっと取り扱いは厳重だったと思う。最悪幽閉だ」

取り扱いって。俺は危険物か何かですか。

「魔法ってさ、お前もわかると思うけど使えない側からしたらワケわかんないだろ?」
「あー、言われてみればそう……かも?」
「そう考える人が大半なわけ。よくわからない現象が突然目の前に現れるのってさ、たとえば街中でいきなり銃口を向けられる感覚っていうのかな」

わかるようなわからないような。
のほほんと散歩してるところにニコニコ笑顔の女の人が俺の眉間に銃口を……うん、怖いです。

「だからこっち側は魔王の国を恐れてるんだよ。そこから来たお前のことも、本心では怖いし得体が知れないしで、なるべく近づきたくないって思ってる」
「それでか!なーんか最初っから嫌われてるっぽい雰囲気だと思ったんだよなぁ。傷つくわー」
「だけど、おかげでオレがお前を預かれることになった。お前の行き場所について揉める前に名乗り出たら『どうぞどうぞ』って感じで全員ホッとしてたからな」

その意味でさっきの「よかった」なのか?
オッサンたちのどうぞどうぞのコントを想像して笑いそうになっていたら、誠二のほうがニヤリ顔をした。

「あいつら、オレのことを自己犠牲の馬鹿なやつって呆れてたよ。オレとお前が実は友達だって知ったらあいつらどんな顔するかな」
「誠二……」

じんわりと胸の奥から温かいものが広がる。
今、友達ってはっきり言った。そう思ってたのは俺だけじゃなかったんだ。嬉しくて跳ね回りたい気分だ。
ついでに引っ込んだと思った涙がまた増えてきた。やばいやばい!泣かないから!

「て、ていうか誠二、お前どうしてこっちの世界にいるんだよ。そろそろ教えてくれてもいいよな?」
「……ああ」

誠二はしばらく俯いていた。
やがて意を決したように一回頷いて、俺を真正面から見据えた。

「オレがこっちの世界に来たのは……五年前くらいだったかな」
「はい!?五年前!?あれ、だって誠二が行方不明になったのって三年前じゃなかった?高二のときで、えっと、俺がここに来てだいたい一年経ってるから……ん?合ってる?よな?」
「向こうとこっちで少し時差があるのかもしれない。暦の数え方も違うし、そのあたりはもう細かく対比して考えてないから。曖昧で悪い」

それから何を思い出したのか、誠二がぎゅっとこぶしを握る。窓から指す夜の明かりでその顔は色褪せて青白く見えた。

「――オレの今の名前は、フィノアルド・ローデクルス。この国のブラムマールっていう地方の、将軍の息子の身代わりなんだ」
「み、身代わり?」
「ああ、本物はとっくに亡くなってる」
「……死、んだ……って」
「聞いた話によると、流れ矢で怪我を負って、そのときの処置が悪かったのか床に伏したんだ。たぶん感染症の類だと思う。……けど、その亡くなる間際に拾われたのが、オレだよ」

誠二は、俺と同じように大雪の日にこっちの世界に来てさまよったんだとか。俺との違いは、場所が魔王国じゃなくてこっちの国だったことだ。
助けを求めて歩いているうちにいつしかローデクルス将軍の管轄内に迷い込み、兵士の一人に拾われたらしい。
兵士はてっきり将軍の息子だと思い慌てて彼のところに連れて行った。ところが驚いたことに、本物の彼は今わの際だった。

将軍の息子――フィノアルドと誠二は、遠目でパッと見程度だと似ているが、知っている人が見ればほとんど似ていない。背格好と、髪や瞳の色が似通ってるくらい。
けれど怪我と病を負って痩せ細り、人相が様変わりしたのだと言えばどうとでもごまかせた。
なにしろフィノアルドは誰にでも好かれていて将来を嘱望され、つまり失うには惜しい人物で、誰もが彼の生存を疑わなかった。

第一に、フィノアルドの父親であるゲオバルト・ローデクルス将軍が息子を失くす痛みに耐えられなかった。
フィノアルドは彼の、年を取ってから出来た一粒種だったらしい。子宝に恵まれず跡継ぎを諦めていた、そんななか出来た奇跡の子なのだとか。
将軍はそんな風に授かった子でもただひたすらに甘やかすことなく、武人として、人としてどこに出しても恥ずかしくない立派な青年にフィノアルドを育て上げたそうだ。
そんな息子を亡くすことに父親はいたく悲しみ、突如現れた誠二のことを神の思し召しとして成り代わってほしい旨を願い出たのだった。

しかし困ったのは誠二のほうだ。なにしろまったく違う場所から紛れ込んだ異世界人。何も知らない、何も分からない。
いきなり身代わりになれといわれても、全く知らない人物になりきることなど不可能だ。
ところが辞退しようにも、何の後ろ盾もなくこの異世界で自力で生きていくこともまた、不可能。

将軍との数日にわたる話し合いで、衣食住や身分を与えてもらうかわりに、フィノアルドとして生きていくことを約束したのだった。
もしも将軍が亡くなったそのときは、家を継いで続けるなり出奔するなり好きにしていいという条件付きで。

誠二がこの世界のことや言葉、フィノアルドの人となりなどを勉強している間、怪我と病のための療養中ということになっていたそうだ。
言語が不自由なのも病のせいで舌が回らなくなっているだけだといい、食の好みや立ち居振る舞いの違和感もなにもかもすべて怪我と病のせいだと言い張った。
少し疑われることもあったが、これまで問題なくやってこられたのだという。
幸いフィノアルドは善良な人間で各方面に味方が多かったから。


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