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観覧車を降りて遊園地を出たそのとき、ぽつぽつと雨が降りはじめた。雨はすぐに強くなり、慌てて駅に向かって走ったけれど結構濡れてしまった。
だけどにわか雨は電車を降りる頃にはすっかりやみ、蒸し暑かった一日はそれでさっぱりと洗い流された気がした。
夕立あとの真っ赤に染まる街を寒河江くんと並んで歩く。その足取りは雲の上でも歩いているみたいにふわふわとしていた。
そうして俺は、初めて『亀ヶ林小学校前』の停留所でバスを降りたのだった。


案内された寒河江くんの家は大型の分譲マンションだった。
マンションとはいっても、ぐるりと見回した限り室内は十分すぎるほど広くて綺麗で、おまけに内装も家具もスタイリッシュだ。
物珍しさからリビングの中央でボーッと突っ立っていたら、寒河江くんにタオルを渡された。

「――雨、濡れましたね」
「だね。急に降ってきたからびっくりした。今日って雨の予報あった?」
「さあ……晴れだっていうんで安心してたんで夕立までは考えてなかったです」
「俺も」

天気予報を見たとき「デートの日は晴れマークだ、ラッキー!」としか思わなかった。
ここに来るまでにほとんど乾いたけれど、服はまだじっとりと濡れてまとわりつくところがあるから気持ち悪い。
一方で寒河江くんは、しんなりした髪型のせいかいつもより大人っぽく見えた。

「シャワー使います?」
「は、はいっ!?」
「いや、汗かいたし服も濡れてるでしょ?乾かしますよ」

彼氏の家に初訪問でいきなり風呂場を借りるのってどうなんだろう。でも家の中で生乾き状態のままでいるのもそれはそれで無神経かもしれない。
どうしようかあれこれと考えた末に、ありがたくシャワーを借りることにした。ついでに寒河江くんの服も。
部屋着か何かかな?五分丈袖の無地のTシャツとイージーパンツ。
自分の家のものとは違う洗剤の香りは、なんだかすごくいい匂いがした。着る前に、つい鼻を押し付けて嗅いでしまったのは秘密だ。
ベタベタを洗い流してすっきりした気持ちでバスルームを出たら、タオルを頭に被った寒河江くんがリビングでスマホを操作していた。ものすごい速さで画面をタッチしてる。

「あ、センパイ出ました?じゃあ、次オレも浴びてくるんで」
「う……うん」

こっち来てと手招きされてついていった先は寒河江くんの部屋だった。俺がシャワーを浴びてる間にエアコンをつけておいたのか室内は涼しい。
シンプル系の家具にパソコンやゲーム機が配置されていて、物は多いけど全然散らかってない。とりあえず片付けたって感じがしないから寒河江くんは綺麗好きなのかもしれない。

「すぐ出るんで待っててくださいね」
「おー……」

パタンとドアが閉まる。しばらくその場でうろうろしたがローソファーに座った。
他に座布団の類が見当たらなかったから、そこに座る以外ない。

――勢いでここまで来たけど、急にドキドキしてきた。
家に上がっても家族の姿が見えない。ってことはたぶん、この家に二人きりだ。
寒河江くんと、個室で完全に二人っきり。
思い返してみれば今までそんなことはなかった。二人になることはあったが、それは学校の部室だったり外だったりと人のいる場所から切り離されてはいなかった。

これはアレか、アレなのか?一歩進んだ深い関係になっちゃうっていう、そういう流れ?
キスはしたけれど、まさか付き合って一週間で?そういうのはアリなんだろうか。
いやしかし、あの寒河江くんがそういう……あれやこれやっていうのが全然想像できない。増してや俺相手にだよ?
俺はまず彼女を作ることが最優先で、その先のことなんかは話したことがなかった。それ以前の問題って感じで、寒河江くんの体験談だとかそういうものも聞いてない。
寒河江くんって妙に冷めてるところがあるし、俺自身もそっち方面の話を好んでしないせいか、いまいちピンと来ない。だからあんまり現実感がないんだよな。
でも付き合ってるからにはそういうのも意識するわけで――。

俺と寒河江くんは何をどこまでやるんだろう。うぬぅ、分からん。
チューするだけでわりと十分っていうか、いっぱいいっぱいというか。
あ、だけど二人っきりってことは手を繋ぐのもチューも周りを気にすることなくできるんだよな。うん、それはいい!
恋人の部屋でのんびりイチャイチャっていいよね。全童貞の……ごめん言い過ぎた、もとい俺の『付き合ったらやりたいこと第1位』だ。
今日それが叶っちゃうんだぜ!俺は今、サイコーにリア充してる!

そういえば父さんに帰りの時間の連絡をしてなかった。
うるさいことは言われないけど、それでも連絡だけはしないと。『友達の家に遊びに来てるから帰りは遅くなるかも』とメール送信。
父さんからの返信があったそのタイミングで、寒河江くんが姿を見せた。
彼はタオルで髪を拭きながら俺にウーロン茶のペットボトルを差し出してきた。

「これ、お茶しかなかったんだけどいいですか?」
「お、おかまいなく」

冷えたペットボトルを受け取ると、寒河江くんは同じものをぐびぐびと飲みながら俺の隣に座った。
うわ、近い。超近い。超隣。ちょっと動けばすぐ触れる距離感にソワソワしながらケータイを閉じた。
えっと、こういうときってすぐチューとかしていいのかな?ムード作りってどうすればいいんだろう!

「……ずっと思ってたんですけど」
「ぅはいっ!?な、なに!?」
「センパイってガラケー使ってるけど、スマホに変えないんですか?」

めちゃくちゃ動揺して声がひっくり返った。
だけど寒河江くんは至っていつも通りに他愛のない話題を振ってきた。こんなにキョドってるなんて俺って恥ずかしいヤツ。

「ス、スマホ?えー……あんま必要性を感じないっていうか……これで十分だし」
「アプリとかスゲー便利っすよ」
「そういうのよく分かんない」
「メッセのやりとりとかラクになりますし」
「うーん……」

たしかに使える人が使えば便利なんだろう。だけど俺は今のケータイの機能で何も不便さを感じてない。それにたとえ変えたとしても多機能についていけない気がする。
そう言ったら、寒河江くんは首を傾げながらスマホをテーブルに置いた。

「別に変えろって言ってるわけじゃないですよ。センパイもスマホになったらオレ的に便利だなってちょっと思っただけなんで」
「そっか、まぁ考えてみるよ。……あっ、気になったっていえば俺も聞きたかったんだけどさ、あの……」
「ん?」
「か、家族の人って、その、今日いないの?」

寒河江くんが一瞬きょとんとした。その表情を見て頭を抱えたくなった。
なんだよこのいかにも『意識しちゃってます!』っていう質問は!
しかしさすが俺の彼氏、落ち着かない俺とは違ってあっけらかんとした様子で笑った。

「今いないけど、そのうち帰ってくると思いますよ」
「あ、そ、そーなんだ……」

なんだ、帰ってくるんだ。じゃあ今日のところはそういうアレはナシってことなんだな。
そう思うと拍子抜けというか――正直、少しホッとした。


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