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翌日から五日間、俺は母さんの単身赴任先へ泊まりに行った。
母さんの仕事が忙しいからそう頻繁に会えないけれど、長期休暇にはこうして俺から会いに行くのだ。
薄情かもしれないがあまり会わないせいか母親という意識は薄い。母さんのほうも俺のことを年の離れた友達か何かだと思っているふしがある。息子に仕事の愚痴や世界情勢の話を振ってこないでほしい。
母さんはたぶん、弱者を庇護するっていうことが苦手なんだろう。その証拠に、俺が成長して色々な理解が追いつくようになってはじめていい関係が築けたような気がする。
滞在中はちょっと緊張するけれど、お小遣いはくれるし美味しいものを食べに連れて行ってくれるから、母さんの家に泊まるのは嫌いじゃない。
それと、母さんが使ってる化粧水をこっそりチェックしてみたところ高級化粧水だということが分かった。これは俺が使ったら怒られるな……。
◇
母さんのところから家に帰ってきて次の日の朝、起きたら父さんは家にいなかった。午前中は夏休みの児童向けの絵画教室があるからだ。
冷蔵庫から適当に食料を見繕って朝飯をかきこんだあとは、シャワーを浴びて着替えをした。
鏡を見ながら髪型を整える。うん、ヘアセットもだいぶ慣れたんじゃないかな!
十時を少し過ぎた頃、部屋を出た。
居住スペースと絵画教室に使っているアトリエは鍵付きのドアで隔たれている。でも玄関は一緒なので教室の生徒さんと会うことも多い。
廊下に出たらちょうど低学年らしき女の子と、その付き添いの保護者さんとばったり会った。夏休み期間中の体験教室だからか初めて見る顔だ。
「あっ、こんにちは!教室の方ですか?」
「そうなんですけど、ちょっと遅くなっちゃって……」
「まだ全然大丈夫ですよ!あ、どーぞ上がってください」
スリッパを出して二人を上がるように促す。教室に慣れてないと入りにくいだろうし、こうやって案内するのも俺の役目だ。
アトリエのドアを開けると、他の生徒さんはもう制作に入っていた。今日はちぎり絵をやってるらしい。
親子で来てる人もいれば友達同士で来てる子もいる。年齢は幼児から小学校高学年までとバラバラ。
時にはそのまま継続して教室に通ってくれる子もいるので、この夏休み体験教室は我が家にとって重要なイベントだ。
制作の様子を見ていた父さんを呼んだら、どうやらこの女の子は今日からの新規の生徒さんらしいということが分かった。
女の子に「いけめんのお兄ちゃんありがとー」とお礼を言われた。お世辞だと分かっていてもテンションが上がる。ううむ、なんて社会性のある子なんだ。
――そう、なんといっても今日の俺はいつにも増して気合が入っている。
何故なら今日は寒河江くんとデートだからだ!
服装は寒河江くんのアドバイスと星野さんを参考にして揃えたシンプルめの爽やか路線のもの。
意気揚々と父さんに行ってきますの挨拶をして家を出た。
今日は雲が多いけどいい天気だ。女の子に励ましてもらったので気分もいい。暑いのは夏だからしょうがない。
駅に向かうバスの途中で寒河江くんと会った。遊びに行くたびにバスで会うので、最近はもう同じ時間のバスを使うことにしてるのだ。
「寒河江くんおはよう!」
「あ、おはようございます、センパイ」
俺の隣に寒河江くんが座る。いつもながらチャライケメンだな、俺の彼氏は。
ん?なんか着てるものの色合いがちょっと似てるような気がする……。着こなしという点では断然寒河江くんのほうが格上だし比べるべくもないけど。
まあ、俺のモテ道の師匠だから似通ってしまうのは当然といえば当然か。
「センパイ、昨日まで旅行だったんですよね。どうでした?」
「うん、旅行っていうか母さんのところに泊まりに行ってたんだよ」
そう言うと、寒河江くんがぴたりと固まった。
俺と寒河江くんの間で家族の話題は暗黙のうちにタブー視していた。けれど今の俺は、先日じいちゃんと腹を割って話したこともあって、どんな反応をされようと気にならなくなっていた。
「うち両親別々に暮らしてるけど、母さんが単身赴任してるだけで他は普通だからさ。全然大変でもなんでもないんだよ」
「…………」
「むしろうるさいこと言われないからラクしてるかもね。じいちゃんとばあちゃんもいるし、寂しく思ったこともないよ」
「……そうですか」
「あっ、そうだ!よかったら今度うちに遊びに来なよ!寒河江くんが前に読みたいって言ってた漫画全巻あるし、じいちゃんちが近いからそこで書道もできるよ」
俺が精一杯笑うと、寒河江くんもそこでようやく表情を緩めた。
「……はい、今度連れてってください」
「ていうかなんかごめんね。俺って家族のことになるとちょっと過敏になるっつーか、変に気を遣われるのが苦手でさ。だから寒河江くんも気にしないで適当に聞き流して」
デート当日にこんな話から始めるのはどうかと思ったが、ただの先輩後輩関係から一歩踏み込んだ今の状態だからこそ言えたことだ。
寒河江くんが微笑みながら頷いてくれたのを見て、肩からふっと力が抜けた。あとはただ、俺の気持ちが彼に伝わっていることを願おう。
そうしてそこからは、俺も寒河江くんもいつも通りの調子に戻った。
――さぁ、いざ遊園地へ!
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