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寒河江くんとの電話のあともう一度寝て起きたら昼を過ぎていた。父さんは今日出かけるって言ってたから家の中は静かだ。
しばらくダラダラしてからベッドを抜け出した。昨日食べ損ねた夕飯の残りが冷蔵庫に入ってたので、それを遅めの昼ご飯として食べた。
適当な服に着替えた俺は、お土産を持って鈴鹿家へと赴いたのだった。

「じいちゃーん、いるー?」

玄関の戸を開けて声をかけたら、台所からばあちゃんがひょっこりと顔を見せた。
エプロンをした小柄なばあちゃんは皺を深くした笑顔で俺を迎えてくれた。

「あれ?ばあちゃんいたんだ。はいこれ、合宿のお土産。魚介煎餅」
「あらぁ嬉しい。ありがとうね崇ちゃん。さぁさ上がって、ちょうどとうもろこしを茹でたところなの。いただきものなのだけど粒が大きくてとっても甘そうよ」
「えぇっ!?俺さっきご飯食べたばっかなんだけど!」
「若いんだからそれくらい入るでしょ。スイカもあるのよ。ああ、蛍次郎さんなら居間ですよ」

ばあちゃんにそう言われて居間に行くと、甚平姿のじいちゃんと黒猫のアズ吉がいつもみたいに床に寝そべっていた。

「おかえり崇文、合宿は楽しかったかい?」
「うん、そのことなんだけど……。じいちゃん、じゃなくて先生!」

テーブルを挟んで正座をして改まる俺に、じいちゃんがアズ吉を撫でる手を止めて目を丸くした。
起き上がって座布団の上に座ったじいちゃんは、年のわりにしゃんとしていて姿勢がいい。

「オヤマァ、先生だなんて突然どういった風の吹き回しだい?」
「あの……じいちゃんって、なんかすごい書道家の先生なんだって?部活の後輩がじいちゃんのこと知っててさ……えっと、鈴鹿螢山、先生ってのは、本当?」
「ウン、そうだよ」

あっけらかんと頷くじいちゃんはやっぱりいつもの温和なじいちゃんで、偉大な書道家みたいな威厳は感じられなかった。

「なんだそのことかい。ずいぶん硬い顔をしてるからどんな不幸があったのかとハラハラしたじゃないか」
「えぇー……俺、めっちゃ衝撃的だったのに。なんで教えてくんなかったの?」
「教えるも何も、崇文はとっくに承知してることかと思ってたよゥ。ホラ、じいちゃんの書は家中に飾ってあるし、今までだって何人か門下生と挨拶してたじゃァないか。藤本くんは覚えてる?」
「へっ!?あの人ってじいちゃんのお弟子さんだったの!?」

この家にいるときに、たまにだが中年くらいの男女のお客さんと鉢合わせたことがある。中でも藤本のおじさんはいつも俺にお菓子をくれる人で好きだった。
ああそうか、彼らがじいちゃんのことを「先生」と呼んでたのを聞いてたから、退職した学校の先生だと思い込んでたんだな。

「そ、そうなんだ……なんで気づかなかったんだろ……」
「――崇文は、敏い子供だったからネ」
「え?」
「余所の事情をむやみに根掘り葉掘りしない、そういう子だから、きっと無意識に避けて深く知ろうとはしなかったんだろうよ」

それはたぶん、俺自身の家庭事情をあまり触れられたくないという裏返しでついた癖だ。
いつの間にかアズ吉が俺の膝に擦り寄ってきたから顎のところを掻いてやったら、目を細めてゴロゴロと喉を鳴らした。

「じいちゃんちには子供がいないだろう?」
「…………」
「それを聞いたとき、崇文はしばらく黙ってしまったんだよ。それからじゃァないかな、じいちゃんのことを自分からは聞かなくなったのは」
「そうですよ。まったく蛍次郎さんが余計なことを言うから」

茹でたてのとうもろこしをざるにどっさりと乗せたばあちゃんが話に割り込んできた。
つやつやして鮮やかな濃い黄色のそれを見たら、腹は空いてないはずなのに無性に食べたくなってきた。

「僕だって反省してるんだから、ネェ」
「子供に無用な気遣いをさせるなんてあっちゃいけないことですよ、まったく」
「……もゥ何年もこうやって責められてるんだよ、怖い怖い」

声を潜めて俺にこそこそと言ってくるじいちゃんだが、ばあちゃんが「聞こえてますよ」と言わんばかりに眉を吊り上げた。
それから、じいちゃんとばあちゃんから様々なことを聞いた。

じいちゃんが体を悪くして書道家としての活動を控えるようになったのは本当のこと。心臓の弁の病気らしい。
それは一番華々しく活躍していた時期のことで、悔しい思いからひどく荒れていたときに、ばあちゃんが支えてくれたこと。それがきっかけで二人は結婚したこと。
お弟子さんが方々で活躍しているのを見るのが今の楽しみであること。
書道家を完全に引退したわけじゃなくて、今でも懇意にしている筋からの依頼があれば細々と書いていること。

そして、二人に子供がいないのは、ばあちゃんがもともと子供が出来にくい体質だったからということ。じいちゃんの病気のこともあり子育てはできないだろうと諦めたこと。
そのことは互いに早いうちから受け入れていて、代わりに何人もお弟子さんがいたしペットを飼っていたからちっとも寂しくはなかったこと。
近頃は、俺という孫同然の存在がいるから毎日が充実しているということ――。

鈴鹿蛍次郎という人間の半生を聞くにつれ、じいちゃんがより身近に感じられた。同時に誇らしくも思った。
俺とじいちゃんに血の繋がりはない。いわば墨で繋がった縁だ。それは俺にとってなによりも濃い繋がりに思える。
そうやって巡り巡った縁が今、寒河江くんに辿りついたのだと思うと不思議な感じがした。

俺は間違いなくじいちゃんとばあちゃんの孫だ。
今、胸を張ってそう言える。

その日はそのまま合宿での話をしたり、書道の奥深さを螢山先生としてのじいちゃんから教わったりして、夜が更けるまで鈴鹿家で過ごしたのだった。


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