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「じいちゃーん、書かせてー!」

いつもは休みの日に来る鈴鹿家に、今日は家にも帰らず制服のまま訪問した。俺の家から徒歩十分という近さ。
ばあちゃんはカルチャースクールだなんだのと忙しいからあんまり家にいない。かわりに年金暮らしのじいちゃんはたいてい家にいる。
俺が玄関を開けてこうして声を掛けるのは昔からの習慣だ。すると「おあがりー」と居間からじいちゃんの声が届いた。
勝手知ったる鈴鹿家。靴を脱いで居間へと入ると、ごろりと床に寝そべりながらテレビを見ている白髪頭のじいちゃんの姿があった。そのじいちゃんのそばには黒猫のアズ吉が丸まっている。

「なあじいちゃん、いいかげん玄関の鍵かけなよ。超無用心じゃん」
「いつもじいちゃんが家にいるからいいじゃないか。留守にするときは鍵をかけてるよゥ」
「家に人いても泥棒するヤツいるって知ってる?マジで危ないから」

俺がそう言ってもからからと危機感なく笑うじいちゃん。
何度言っても聞き入れられないからすぐに諦めてカバンを置いた。するとじいちゃんもリモコンでテレビを消して、よっこらせと言いながら起き上がった。
温かい寝床を失ったアズ吉が、次の居心地のいい場所を探してするりと居間から消えた。

「今日は何を書くつもりだい?」
「ひらがな」
「ほうほう、それはそれは」

じいちゃんの家で書くときは六畳の和室を使わせてもらう。俺専用の半紙と書道具が置かれているくらい、俺にとっては馴染み深い部屋だ。
俺が書いてる間、じいちゃんは何も言わない。ただそばでじっと見ている。
そうなったのはいつ頃だったかな。
基本的な技法を習ったのは最初だけ、その他は好きなように書かせてくれる。時々口を挟むけれど、いることすら忘れるほどじいちゃんは静かだ。

墨を磨り終えたら筆の穂先にそれを浸した。
い、ろ、は、に、ほ、へ、と……と半紙一枚に一文字ずつ、書き連ねていく。
書きながら、さっきのことを思い出していた。

俺は本当に間抜けだ。
寒河江くんには『母親は単身赴任中』って簡単に言えばよかった。どうしてあのとき別居だのなんだの、同情を買いそうな言葉選びをしてしまったんだろう。
俺自身がちっとも困ってない家庭事情をいらない憶測で、二親がいないせいで愛情不足なんだな、ああ可哀想な子だって目で見られるのが苦手だ。すごく嫌だ。

なにより今日のことは落胆が大きかった。寒河江くんもみんなと同じ反応をするんだなと思ったら、途端に気が抜けた。
だいたい彼女作りだって、バカだのアホだの、そこまで言われてまでする価値のあることか?寒河江くんの言うことを懸命に前向きにとらえてきたけど、普通に傷つくからな、そんな言葉。
優しい世界が好きだ。そういう場所に浸っていたい。

でも、どうして寒河江くんが俺を可哀想扱いしたことにあんなに動揺したんだろう。
そんな反応されることくらい慣れてる。寒河江くんが他と違っていたわけじゃない。
どうしてだろう。俺は、彼にどんな反応を期待してたのかな――。

まとまらない考えを行ったり来たりしながらも、筆を動かす手は止めない。
――色は匂えど散りぬるを、我が世たれぞ常ならむ、有為の奥山、け、ふ――まで来て、じいちゃんにポンと肩を叩かれた。
ハッとして顔を上げると、じいちゃんの穏やかな笑顔があった。

「崇文、しばらく書くのはやめなさいネ」
「へっ?な、なんで?」
「書くのをやめて、友達と遊んだりして何か違う楽しいことをやるといい」

それは部活にも行くなってこと?
じいちゃんの言うことは俺にとって誰より影響力が大きい。わけもわからず筆を置いて、こくりと頷いた。
ポン、ポン、とじいちゃんのしわくちゃの手が俺の背中を柔らかく叩く。小学生のときは大きく感じていたその手も、ずいぶんと小さくなったように思える。

「――そうと決まったらじいちゃんとファミリーレストランに行こうじゃないか。奥さんに塩分を摂りすぎるからって止められてるんだけど、内緒ネ」
「それダメじゃん!俺がばあちゃんに怒られるやつじゃん!」
「ヤ、ヤ、今月の新メニューのライスカレーが実に美味そうでね。頼むよゥ、崇文。じいちゃん一人だと給仕さんに白い目で見られるような気がするんだ。餡蜜も食べよう、好きだろう?」

そういって悲しそうな顔をしながらスマホを俺に見せてくるじいちゃん。近所にあるファミレスの新メニューをチェックしてたみたいだ。
俺も持ってないスマホを操るじいちゃんは若いなぁ……。


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