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心臓が嫌な速さで脈打つ。脂汗が止まらない。
ぐらぐらと眩暈がしてきたとき、喉元を括っていた指が退いた。堰き止められていた空気が肺に流れ込み、その反動で激しくむせた。

「おっと失礼、志賀様は喉が弱いのでしたね。失念しておりました」

望月先輩が恭しく頭を下げる。そう言いつつ弱点を知っててわざとやったように思えるんだけど。足の甲は踏まれたままだし。
前に会ったときは気さくな雰囲気が前面に出ていたのに、今の望月先輩は、状況も相まって冷酷な凛々しさが感じられた。
俺はかしずかれることに喜びを覚えるタイプじゃないから、ただ気味が悪いとしか思えないが。
本当に俺の親衛隊なのかよ。俺の知ってる親衛隊と全然違う。

「うっ……げほっ、……しん、親衛、隊長ってのには会えるのか?」
「申し訳ございません、それは出来かねます」

ここには来ないのか、そうか――。
それでも一応質問には答えてくれるらしいから、せめて打開策を考えるための引き伸ばし作戦に出た。

「若林が制裁対象ってことは、俺のキスフレ相手にもそういうことしてたわけ?」
「いいえ。ギブアンドテイクが確立していたように見受けられましたので、志賀様のお戯れとして目溢ししておりました」

たしかにキスするかわりに菓子とかそういうものをもらってた。無理矢理だとか、俺が嫌がったかそうでないかが判断基準なのか?
萱野も親衛隊長として、天佑に対してそういう判断を下してるみたいだった。
ふと、早坂の姿が目に入った。そういやこいつだってその一人だった。

「なあ早坂。お前、いつから俺の親衛隊とやらの一員だったんだよ」
「今年からかな。まあ俺は崇拝したいっていうより単純に志賀のことが好きだから。この拘束ベルトだって、本当は三春なんかよりお前に着けたかったし。絶対似合うのにな」

あ、ダメだ。こいつも話通じない系だわ。
危ない性癖を暴いてしまいそうな気がしたから、それ以上は触れないでおいた。ていうか聞きたくない。そんな恍惚とした目で俺を見るな!

「口を慎みなさい、早坂。志賀様に馴れ馴れしくしすぎだ」
「はいはい気をつけますよっと、副隊長」

望月先輩にぴしゃりと言われた早坂は、キザな仕草で両手を上げて黙った。
元・仁科親衛隊の人は無邪気に玩具を吟味している。ソフモヒ男は何を考えてるかわからない無表情で三春を羽交い絞めしたままだ。

「ご質問は以上でよろしいですか?あまり時間がないのでそろそろ制裁の執行に移りたいのですが」
「いや待った!まだ聞きたいことが、たくさん――」
「やれ」

俺の言葉なんか一切聞かず、望月先輩は顎をしゃくって三人に短く命令した。
土埃で汚れたハーフパンツを膝まで下げられた三春が、首を振りながらぽろぽろと涙を流す。
やばいやばいマジでやばい!まずい!やめさせないと!

「んーっ!んーっ!」
「やめろ!!三春はな、俺のダチなんだよ!こんなことしたって意味ねえだろ!」

俺はどうなってもいい、三春を助けたい。だから無駄とわかっていても再度抵抗を試みた。
空いてる右足で先輩の脛を蹴ってみたがビクともしなかった。また首を絞められそうになったから、そうなる前にめちゃくちゃに暴れる。
諌めるような望月先輩の溜め息が聞こえたと思ったら、新たな拘束ベルトを手に、早坂が笑みを浮かべてこっちに近づいてきた。

ーーところがそのときだった。

「うるぁっ!」という怒鳴り声と、ガゴン!という轟音とともに物置全体が振動した。直後に背後から明るい日差しと涼しい風が入ってくる。
驚いて振り向くと、ぴっちり固めたリーゼント頭が、逆光で鈍く光っているのが目に入った。

「き、鬼頭……?」

鬼頭だ。特徴的な真っ赤な頭髪に不良御用達アイテムのボンタン。そして残忍さを感じさせる威圧的なオーラ。
その手には木製のドアが丸々一枚――。力ずくで開けるどころか、丸ごと外して取っちまったらしい。どんな馬鹿力だよ!?
とんでもねーことをしでかした張本人は、ドアをそのへんに捨てると俺らに向けてメンチを切った。
鬼頭は眼光を鋭くギラつかせながら、ゆらゆらと体を左右に振る例の独特なスタイルで室内に足を踏み入れた。
しかし望月先輩はそんな鬼頭に少しも揺るがず、フン、と鼻で嘲った。

「お前か、騒々しい。志賀様の前で下品な振る舞いはよせ。驚いておられるだろうが」
「あぁ?どっちが下品だよ、なァ?」

嘗めるようにじろりと物置内を見回す鬼頭。なんでこいつがここに……?
鬼頭にカツアゲされてたソフモヒ男だけは顔を引きつらせていた。泣いていた三春までびっくりしたように目が真ん丸になってる。

「今はお前と遊んでいる時間はない。さっさと去ね」
「そうはいかねえなァ。オレも仕事なんでな」
「え〜?仕事とか言わないでよ、ようちゃん」

甘ったるく間延びした声が、鬼頭のうしろから聞こえてきた。割り込まれたその声に知らず体が跳ねる。
風通しの良くなった入り口をくぐって物置に入ってきたのは――誰あろう、仁科天佑だった。
さすがの望月先輩も困惑したように、俺を踏んでいた足を素早くどけた。

「仁科様……何故ここに?決勝戦だったのでは?」
「んふふ、ソッコー終わらせてきたから」

言う通り、まだジャージ姿で少し息も切れている。
額やこめかみに浮いた汗をリストバンドでぬぐい、大きく息を吸った天佑は、背後まで来ると俺の両肩に手を置いた。

「なーに俺抜きで楽しいことやろうとしてんの?」
「仁科様もご参加なさりたかった、と?」
「当たり前でしょぉ?」

ポカンと口を開けて振り仰ぐ俺のこめかみに、天佑が軽くキスを落とした。
安心していいのか慄いていいのか……こいつにどう反応していいかわからずに、ただ体だけが震えた。

「て、天佑……」
「は〜ぁ、おまけに理仁まで巻き込んで――ルール違反だよ、惟心」

天佑の声が一転して低く、冷たくなる。俺に向けられた台詞じゃないのに、その声音にゾッとした。

「だったらもう、俺も従わなくていーよねぇ?」
「……貴方はすでに負けています。だからルールなど、もはや必要ないとの仰せですので」

二人の間で勝手に進められる会話に頭の中が疑問符で占められた。
なんだよ、ルールとか負けとか。全然意味わかんねえ。
すると、左側に一陣の風が走ったーーように感じた。数瞬遅れて鋭い音がやってくる。
訳もわからず左に目をやると、望月先輩の拳を天佑が掌で受け止めていた。
まさか、今のは打撃だったのか?攻防が速すぎて反応が遅れたが、理解した途端、一気に肝が冷えた。

「しかしながら、おかげで手間が省けました」
「でしょ?」

天佑も望月先輩も、俺のすぐ横で拮抗してる。両者一歩も引かない。
場違いだとわかっていても訊かずにはいられなかった。こうなれば当事者の俺だって知る権利があるはずだ。

「な、なに?お前らって、仲間じゃなかったのかよ」
「えぇ〜なに言ってんの?こぉんな頭おかしい連中と俺を一緒にしないでくれる?」

首を傾げた天佑は、口角は上がっていても目が笑ってなかった。その言葉と表情には嫌悪がありありと滲み出ていた。


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