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保健室に到着すると、中はけっこう繁盛してた。体育祭でもそうだったけど、うちみたいな男子校だとラフプレーなんてしょっちゅうだからな。
係から養護教諭にバトンタッチされ、俺はケガの処置をしてもらった。
右足首の捻挫と、擦り傷がいくつか。捻挫は腫れも少なく軽症だから、セルフケアで様子を見ながら、二、三日安静にしてれば問題ないとのことだった。
十五分くらいアイシングして、湿布と包帯で足首を固定してもらったら痛みはかなり引いた。
走るのは無理だけど歩くのは大丈夫そうだ。軸足じゃなかっただけマシか?
ただ、困るのは靴だ。こんだけ包帯を巻かれたら足が入らない。普通寮にクロッグサンダルが置いてあるから、取りに行くしかないか……。
このまま裸足ってわけにもいかないし、とりあえず保健室のスリッパを借りることにした。
「しばらく激しい運動は控えて、入浴もシャワーだけにしてください。痛みや腫れがひどくなったらまた来るように。夏休みに入ってもしばらくは保健室開いてますので」
「はい。どーもありがとうございました」
激しい運動ってセックスも含まれたりする?とは聞けないから、先生の言葉に素直に頷いて退室した。
俺の首のとこじろじろ見てたし絶対そっちの意味も含まれてたな、あれは。だいぶ薄くなったけどまだキスマついてるし。
靴を持ったままのろのろぺたぺた歩いて教室に向かう。
転んだときにハーフパンツが土埃まみれのひどい有様になったから、教室で先に下だけジャージの長ズボンに着替えた。
ロッカーを開け、財布の中から寮部屋のカードキーを取り出してスマホもポケットに入れた。
そういえば――自分のことで精一杯だったから頭が回らなかったけど、三春のほうはケガしなかったんだろうか。
つってもまだ試合中のはずだし、あとで聞いてみるか。
とにかくサンダルを持ってこないことにはグラウンドにも行けないし。ついでに途中で何か飲み物でも買っていくか。
小銭もポケットにつっこんでロッカーの鍵を閉じたとき、廊下の向こうから若林が歩いてきた。
知らないヤツと二人連れで、話に夢中になってるようだった。相変わらずの無表情ながら楽しそうに見える。例の新しくできた友達か?
「よー若林」
「あれ、志賀君?試合終わったの?ソフトボール、うちと決勝って聞いたけど」
「や、まだなんだけど、俺はケガしちまって棄権」
「えっ!大丈夫?ケガひどい?」
「全然軽いやつ。でも足捻っちゃって走れなくなったから」
ほら、と包帯が巻かれた右足を出してみせる。すると若林は目を見開いて「重症じゃん」と驚いたように言った。
「包帯で固定してるだけだって。こんなんじゃ歩きづらいし、サンダル取りに今から寮行こうと思ってさ」
「あ、だったら俺が部屋行って持ってこようか?」
「いやいや大丈夫。フツーに歩けるしそこまで大げさにしなくていーから」
それにせっかく楽しそうにしてるとこを邪魔すんのも気が引ける。
若林の隣のヤツがなんかものすごく睨んでくるし。「俺以外のイケメンは滅びろ」とかブツブツ言ってるのも不気味。
「若林はバレーだったっけ?終わったのかよ」
「ううん、このあと決勝。E組と」
「あー椎名のとこか」
バスケでもソフトボールでも見かけなかったから、椎名はバレーなのかもしれない。アイツは頭脳労働派だから球技なんて得意じゃなさそうだけど。
どっちにしろうちのクラスは関係ないし、若林に他意なくエールを送っておいた。
「じゃあ頑張れよ。ケガとか気をつけろよな」
「めちゃくちゃ説得力あんね。志賀君もお大事に」
軽く手を振って若林と別れ、また廊下をぺたぺた歩き出した。
暑くなってきたからジャージを膝下まで折り上げる。かなり時間をかけて普通寮の自室にたどりついた。
備え付けのシューズボックスにスニーカーを片付けて、かわりにクロッグサンダルを取り出す。すぐに校舎に戻るつもりだったけど、思い直してサンダルを置いた。
ケガに気を遣ってゆっくり歩かなきゃいけないってのはだいぶ疲れる。
ただでさえ炎天下の試合続きで思った以上に消耗してたし、こうして人目のない場所に来たら緊張の糸が切れた。
自室に入ってベッドに横たわる。
ここんとこずっと天佑の部屋で寝起きしてたから、久々のこのベッドが狭く感じる。
「夏休みに入るまで、か――」
明日が終業式で、明後日から夏休みだ。そしたら俺はまたこの部屋に戻ってくるんだろうか。
去年はここでアイツと相部屋だった。親衛隊の子を頻繁に連れ込むわ寝起きは悪いわで、困ったやつだなっていう印象だった。
でも学校に行くと全然接触がなかった。知ろうともしなかったってのもあるんだけど。
何人セフレがいるのか恋人がいるのかも知らなかった。それは今も同じだ。
アイツの「誰もいない」っていう自己申告を疑ってるわけでも、かといって寛容になってるわけでもない。
俺に知られずにうまく騙してくれるなら、俺もあえて詮索はしないと決めてるだけだ。
「……あ」
――なんか、急にわかっちまった。
天佑のやることなすこと、全部わざとらしいんだ。
人目のあるところだとやけにベタベタしてきたり、親衛隊長連れて俺に会いに来たり、目につくところにキスマークつけたり。それらがどれもパフォーマンスっぽいんだよ。
俺も別にキスだのなんだのを誰かに見られたところで気にしないけど、アイツは人前だとやけに大げさにやる。あえて周囲の関心を煽るようなやり方で。
一年のときもそうだった。この部屋に誰かが来るときには特にべったりしてきた。そのせいで龍哉や千歳には付き合ってると思われてたみたいだが。
連れ込んだ親衛隊の子にはそういう態度はしてなかったと思う。少なくとも俺は見たことがない。だから違和感があったんだ。
誰にでも好きだと言って平等に優しいけれど、過度に親しくはしない。深く踏み込まず、一定のラインを守ってる感じがしてた。
それなのにアイツ、何考えてるんだろう。俺相手にそんな風に振舞って。
……やばいな、俺。不本意なケガでの退場で弱気になってる。考えなくていいことばっかりが頭に浮かんでくる。
仰向けの大の字になって目を閉じた。右足が鈍く痛む。駄目だ、ちょっと休もう。
そうやってしばらく横になってたら、いつしか本当に眠っていた。
スマホの振動音がして慌てて起きると、部屋のデジタル時計は三十分ほど過ぎていた。仮眠程度ですんでホッとした。
それからスマホを確認すると、龍哉と千歳からメッセが来てた。けれど天佑からは何もない。
そのことに少しがっかりする。俺がケガしたことは、たぶんもう萱野あたりに伝わってるはずだ。なのにアイツから見舞いの言葉もないのはちょっとショックだ。
いや、今は試合中で忙しいのかもしんねーし。優勝決定戦の真っ最中とかさ。
そもそも、天佑は俺に電話やメッセージをほとんどよこさないんだった。今まで気にしてなかったことが急にモヤモヤと胸の中を覆っていく。
スマホを握りこんで睨みつけてたら、ちょうど新着メールが届いた。しかしその差出人は天佑じゃなかった。
「三春……?」
グラウンドで別れ際に見た泣きそうな表情を思い出す。
ソフトの試合は終わったのか?結局どっちが勝ったんだろう。
俺のケガの具合でも気になってメールを送ってきたのかと思って開いてみたが、その内容は奇妙なものだった。
『この前、理仁君が探していたのはこれですか。少しお話があるので、物置に来てください。』
文章はそれだけで、あとは写真が一枚添付されていた。
表示された画像を見て息を呑んだ。
手の写真だ。三春の手か?
俺とのクロスプレーでできたと思われる擦り傷だらけの、華奢な掌。真上から自撮りしたらしいその手には、鍵がひとつ乗せられていた。
銀色のディンプルキー――これって、俺がなくした特別寮の鍵!?
なんで?どうして三春がそれを持ってるんだよ。それをどうして今、このタイミングで?
疑問ばかりが浮かんできて埒が明かないから即行で電話をかけた。だが、機械音声のアナウンスが流れるばかりで繋がらなかった。
もう一度写真を見る。
差し出された三春の手と、木目の床が写っている。物置ってのは寮裏の林にあるあの廃物置のことか?
その写真を見てたら言いようのない引っかかりを覚えた。なんだろう、何かが変だ。
物置だったらここから近いし、とにかく三春から直接話を聞こう。
妙な胸騒ぎに急かされるようにして、足の痛みも忘れて寮のエントランスを飛び出した。
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