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まあな、俺だって職権乱用して椎名を足止めしてるんだ。ここはスルーだスルー。
俺が『平常心』と内心唱えてる間に、ハンカチを再びポケットにおさめた椎名は紳士スマイルを浮かべた。

「ここのところ頭の痛い事柄が山積みで疲れてたんだ。おかげで今夜は気分転換できそうだよ」
「っおぉ、そう……よかったな……」

スルー!断固スルー!「今夜」とか「気分転換」の意味を深く考えるな俺!
両手で顔を覆って二、三回深呼吸してから、改めて椎名を見据えた。

「頭が痛いってのは、校内のカメラが使えなくなったこととか?」
「……それ、どこで聞いたのかな?」

うわっ、目が笑ってねえ。
つい怯んで一歩あとずさっちゃったが、何食わぬ顔をして咳払いをした。ここからは交渉だ、ビビッてたら話が進まない。

「まあ、たまたま耳にしただけ。んで椎名、ちょっと教えてほしいことがあんだけど」
「うん?依頼ならメールにしてくれないか。アドレスは知ってるだろ?」
「お前じゃないとダメなんだよ」

シラタマ元締めのお前じゃなきゃ。
さっき聞いた田中先輩の話には重要な事実がたくさん含まれていた。
そのうちのひとつ、一番といっていいほど衝撃を受けたこと――それは、深鶴さんがシラタマの前・元締めだったかもしれないってことだ。

それを聞いてふと疑問が湧いた。俺はどうして飼育小屋で飼われてる白うさぎの名前を知ってたんだろうって。
学園に飼育委員はなく、小屋の管理は生徒に課せられてない。だからてっきり生物部あたりが世話をしてるんだと思ってた。
部活関連も監査の仕事のうちだ。だからって、俺がうさぎ一匹の名前を知ってるのは変じゃないか?

他の動物の名前は知らない。『白玉』だけだ。

改めて考えてみて愕然とした。
どこかで聞いたことがある、の『どこか』の情報源は――深鶴さんだった。
そう、あの人と付き合っていた間になんとなく聞かされてたんだ。
上級生が相手だと「高等部ってどんな感じですか?」なんてのは当然出てくる世間話だ。
『学園内に飼育小屋があって、そこで白いうさぎが飼われてるよ。名前はシラタマ』――何度かそんな話を聞かされたような気がする。

特に動物が好きなわけじゃない俺は一回聞いただけじゃ覚えない。サブリミナルのように刷り込まれてたんだと思う。
うまそうなそうな名前とかいう覚え方だったが、それでも記憶にそれとなく刻まれていた。
それは、当時の元締めだった深鶴さんが俺に情報屋の存在を教える目的で囁いてたのかもしれない。「困ったことがあったら使っていいよ」と。
飼育小屋の管理はきっと情報屋がやってる。ミネ君にしろ、なんとなくいいヤツが揃ってるのはそのせいなんじゃないかと思う。

ついでに言えば時期的にも合点がいく。
椎名がシラタマ元締めに着任したのは高等部に上がってすぐだったって言ってた。深鶴さんが学園を卒業したから入れ替わったんだ。

「椎名、俺が聞きたいのはシラタマについて」
「…………」
「ただでとは言わねえよ」

椎名の目の前で自分のシャツのボタンをはずした。脱いだシャツをパイプ椅子の背に投げて、アンダーのTシャツを脱いだ。
半裸のまま、汗まみれの湿ったTシャツを椎名に差し出す。

「これでどうだ?」
「志賀もなかなか自分の価値がわかってるね」
「全っ然わかりたくねーけどな」

需要があるなら使わない手はないってだけだ。Tシャツの未来は絶対考えないようにしよう。
鼻息荒くTシャツを掴んだ椎名は、ずいっと顔を近づけて声のトーンを抑えた。自然と俺らだけにしか聞き取れない囁きになる。

「何を知りたい?」
「前任の元締めのこと。代替わりのときとかに会ってんだろ?」
「うーん悪いね、それは答えられない。俺も誰かは知らないから。代替わりのときもメールで知らされただけだし」
「マジか」

情報屋元締めは次代の頭目にも顔を知られないようにしてたらしい。
それなら深鶴さんはどうして田中先輩には正体を明かしたんだろう?
まあ、田中先輩はそれを重要な情報だと思ってないっぽかったし深鶴さんもそれを見越したのかも。言いふらして喜ぶ先輩じゃないし。

「ただ言えるのは、中等部のときの俺の動向まで細かく知られてたから、怖い人って印象だったね。それで、どうして先代のことを今になって?」
「や、その人、俺の……知り合いかもしんねーんだよ。もう卒業してんだけど」
「なるほどな。それはますます申し訳ないね。卒業した生徒のデータベースも調べられなくはないけど、先代のことだからたいした情報は得られないと思う。一応、名前聞いてもいいかな?」
「伊吹深鶴……さん」
「ん?伊吹路幸の息子かな?政治家の」

椎名からさらりと出てきた名前にぽかんと口が半開きになった。
イブキミチユキっていったらテレビでちょくちょく見かける名前だ。俺も普通に知ってるくらい有名。

「初めて聞いたって顔してるけど、知らなかったのかい?」
「いや、なんか、思いつかなかった……そうか、伊吹議員……」
「なら調べる余地がありそうだね。俺は報酬に見合う仕事はするつもりだよ」

言いながら、俺の汗じっとりTシャツを貴重な宝物のように折りたたむ椎名。
それを犠牲にしても、深鶴さんが何を思って俺に関わろうとしてるのか俺は知ってなきゃいけないと思った。
だってあの人が「こうする」と決めたことは必ず成し遂げる。俺と「一緒に暮らす」と言ったら、何があろうとそうする。それが怖い。
あんまり認めたくなかったが、深鶴さんはどこか普通じゃない。そんなあの人に従うよう体に染み付いてる俺も――。
何か、心構えがほしかった。

「さて、他にも何かあれば聞くよ」
「あーえっと……じゃあ、探し物とかできる?」
「いいよ」
「天佑から借りてた特別寮の鍵なくしちまってさ。まだ見つかってないみてーだから、どうにかしたいんだけど」
「それは無理だね」

あっさり断られてがくっと肩が落ちた。椎名を下から睨み上げれば苦笑顔が映った。

「お前……あれもできないこれも無理って……」
「はは、実はその鍵に関しては仁科本人からシラタマに依頼があったんだよ。けど、数時間後に『見つかったから依頼取り消し』って向こうから言われてね」
「え?」

パイプ椅子からシャツを取った椎名はそれを俺に羽織らせた。
袖に腕を通すことも忘れて椎名をまじまじ見つめれば、ヤツは肩を竦めた。

「なにそれ?俺、聞いてねーんだけど」
「さあね、俺もそれ以上は知らないよ。終わった案件だし、個人の事情なんて興味がないから」
「……なぁ、お前と天佑ってなんでそんな仲悪いわけ?」

すると椎名は少し考える仕草をしてから俺のTシャツを見下ろした。

「一年のとき、仁科を怒らせてしまってね」
「つーかどうすれば怒んのあいつ?そっちのが不思議だわ」
「志賀と仁科って去年同室だっただろ?だから、仁科の親衛隊の子に頼んで志賀の私物を少し拝借してきてもらってたんだけど、それがバレて」
「お前が悪い!!」

そりゃ怒るわ!タオルだの耳かきだのの入手経路はそこか。相当ダメなヤツだぞこいつ。

「まあ、それはもう仁科からたっぷり懲らしめられたから反省してるよ。借りた私物は気持ち悪いから戻すなって言われてそのままにしてたけど」
「つか俺はともかく親衛隊はまずいだろマジで。あいつ、隊員のことすげえ可愛がってんだから」
「いいや、仁科は親衛隊の子を利用したことより、俺の志賀に対する趣味のほうに怒ってたね」
「俺的にはどっちもイヤだけど……」
「正直、俺は気味が悪いね。仁科は、志賀一人に入れ込みようが半端じゃない。度が過ぎるよ」

え、と声に出したはずが音にならなかった。
俺が言葉を捜してるうちに椎名はフルートを片手にパイプ椅子を折りたたみ、楽譜台もTシャツも全部持ち上げて撤収の体をとった。
気がつけばタイムリミットどころか予定時間をかなり過ぎてた。

「調査結果はメールで送る。報酬をもらえるなら俺は働くから、その気になったらいつでもおいで」
「えぇー……」

頷くことも断ることもできず曖昧に返答をした俺だけが、その場に一人残された。


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