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天佑と鬼頭が話していた言葉が頭の中でぐるぐる回る。帰ってくるとか渡すとか。猶予、とか。
猶予ってなんなんだよ。今は、猶予期間だとでも言いたいのか?そんなの俺は何も聞いてない。
深鶴さんとは別れた。なのに田中先輩の話に出てきたあの人には恋人がいた。
それが俺じゃないと考えることもできる。なにより時期がずれてる。
深鶴さんは俺だけじゃなくて違う誰かとも学園祭で出会っていて――俺と同時進行でもなんでもいいけど――そいつと付き合った末に同棲してハッピーライフを送る計画なんだろう。
きっとそうに違いない。俺のことじゃない。

じゃない、とあれこれ可能性を探ってみても、どうしてもそれが俺だと考えてしまう。
俺との関係は深鶴さんにとって文字通り『距離を置いただけ』で、完全に別れたとは思ってないんじゃないかって。
そんなの今更だろ。関係が戻るはずないじゃねえか。俺が今好きなのは天佑で、深鶴さんは違う。

違う、大丈夫、と言い聞かせながら早足で歩く。
足を止めないままスマホをポケットから取り出し、発信ボタンをタップした。

『はいっ、峰岸です!先輩、そっち終わったんすか?』
「ああ。いまそっち向かってる。ミネ君はどこ回った?」

見回り完了した部活としてミネ君が挙げたのは同好会と文化部が中心だった。
部員数が少なくて大人しい生徒ぞろいのクラブだ。
監査とはいえ一年のヒラ委員だと部活によってはナメられるからそういうところを選んだみたいだ。

「じゃあ俺はミネ君が行ってないとこ回るわ」
『了解っす。おれ、まだ華道部なんすけど先輩はどこ行きます?』
「吹奏楽部」

通話を切ってスマホをしまうと、一帯からプァー、ピィー、ブォーって感じの高低豊かな音が聞こえてきた。
廊下を進み、つきあたりのドアの前で足を止めた。見上げたプレートに書かれてる文字は『音楽室』。
防音のきいたドアを開けると急に楽器音が大きくなった。

吹奏楽部は放課後練習中だ。だけど室内に部員全員はいなかった。
椅子だけずらりと並べられているが大半の部員はカラで、前のほうに十人ほど固まってでかいリコーダーを吹いている。あれ、クラリネットだよな?微妙に形が違うのも混じってるけど。
対してうしろのほうでは打楽器担当部員がちょこまか動いて太鼓だの木琴だのを叩いてる。
そのうちの奥のほうにいた人に向かって片手を挙げた。ティンパニを叩いてた手を止めたのは吹奏楽部の部長だ。

楽器の音に邪魔されて声が通らないから部長のほうへと近づいた。
途中ですだれ状の金属棒?のそばを通ったら、棒が揺れてなんだかやたらとファンシーな音が鳴った。なんだこれ、風鈴?
太鼓越しにもう一回軽く会釈したら部長がバチを下ろした。

「どーも、練習中すいません。抜き打ちの見回りで来ました」
「ご苦労さん。あと十分くらいしたら全体練なんだけど」
「じゃあ他の部員のとこも見てきます」
「はいはい、了解。先生には俺から伝えておくから」

どっかのヤンキー集団と違って至極真面目に活動してる吹奏楽部は、どこでもご自由にと快く了承してくれた。
ちなみに戻るときにもファンシーなキラキラ音が鳴ってちょっとうるさかった。

吹奏楽部は楽器ごとにそれぞれ散って練習してるから、音が聞こえてくる場所を手当たり次第覗き込んだ。
そのうちのひとつの教室にトランペット集団がいて、龍哉と目が合ったんでヒラヒラ手を振った。
ちょうど練習の切れ目だったみたいで龍哉も手を振り返しながら話しかけてきた。

「理仁、どうした?」
「監査の見回り。なあ、フルートの練習場所どこ?見当たらねーんだけど」
「あーフルート……ちょっとわかんないな。外でもやってるしそっち見てみたら?」
「さんきゅ」

龍哉に言われた通りに校舎の外周を見て回ったらすぐ見つかった。
渡り廊下から続くレンガ敷きの中庭。そこの木陰に小柄な美少年たちが寄り集まって優雅にフルートを吹いている。
優雅に見えるだけで実際めちゃくちゃ暑い過酷な環境だけど。座ってるのもパイプ椅子だし。
俺の視線に気づいたフルート集団は一斉にこっちに顔を向けてきた。フルート班のリーダーらしい三年の先輩が演奏を止めてにっこり微笑んだ。

「あ、監査ですかぁ?」
「そうです。……あの、一人借りていいすか。そんな時間かからないんで」
「どうぞ、かまいませんよぉ」

小柄な美少年の群れの中、一人だけ長身のヤツがいる。そいつは俺に指名されるのを承知してたらしく先に楽譜を畳んで目を細めた。
他の生徒は合わせ練習の時間が迫ってるってことで、きゃっきゃと戯れつつ音楽室に戻っていった。
人の声も楽器の音もなくなってセミの声がより一層大きくなる。日陰でも暑くて汗が幾筋も流れ落ちた。

「――なんだか怖い顔してるね、志賀」

フルートを椅子に置いて俺の前に立ったのは、椎名だ。
ヤツはポケットから薄手のハンカチを取り出すと、俺のこめかみや首筋に流れる汗をそれで拭った。
一見紳士的な振る舞いに見えるが、こいつのはそうじゃない。
椎名は俺の汗を吸ったハンカチを鼻に当てて、深くゆっくり息を吸った。肺を膨らませたあと、吐息として恍惚と吐き出す。
そのブレない相変わらずの変態っぷりに、ドン引きした。


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