恋がどんなものだったか思い出せないでいた。といっても、甘酸っぱい感情だったり、ただ一人にしか向かない思いだったり、そういうものに全く覚えがないわけではない。何とはなく、その断片のようなものは記憶にあるし理解できる。納得もいく。けれどそれは、あくまで過去に経験したものの欠片でしかなかった。
物と同じで完璧に一致する気持ちなどありはしないのだから、今の感情が過去に見当たらない現状もある意味では正しいのかもしれない。のだけれど、三十路に乗っかったいい大人が経験値として頼りにするにはあまりにも心許ないものだった。

気がついたら目で追っていた。気がついたら手を差し伸べようとしていた。気がついたらディナーに誘おうとしていた。気がついたら共に朝を迎えたいと思っていた。気がついたらもっといろんな表情を見てみたいと顔を覗きこんでいた。気がついたら小さな手に触れてもらいたいと願っていた。
気がついたら、

「アランさん?」

ミドルネームではなくスティーブンと呼んでほしいと口に出しそうになっていた、なんて。

「どうしました?」

蜂蜜をたっぷりと追加したカフェ・マキアートを啜りながらこちらを斜めに見上げる女と目が合った。何も答えないスティーブンに不思議がった女が短い髪を揺らして腕時計を確認する。時間の確認を求めていると勘違いしたらしい。

「チェインからの連絡なら、あと4分と25秒後です」
「…ああ、ありがとう」
「いえ」

スティーブンの、十代のような乳臭い感情を知らない女は、そのまま細い通りの観察のために視線を戻してしまう。アイスブルーの瞳にかかる長い睫毛があまりにも繊細で、あらぬ妄想が過りそうになった。「ああ、ありがとう」なんて白々しいにも程がある。
直属の部下に対して健全とは言えない感情を抱いただけでなく、まるで他に選択肢がないと言わんばかりに脳みその中で好き勝手に弄んだ。それも、その女を前にして。
そうしてスティーブンは、再び落ち着き払った男の顔を繕う。
気恥ずかしさを覚える感情を飄々とした大人の仮面の影に落としこんだ。




After days : Is it love?


[ 2/3 ]

[*prev] [next#]