級長とイツキのはなし


 そういえば入学早々F組にぶちこまれる外部生がいるという、それだけでも十分なインパクトだったのだ。

「級長、どうしやすか」
「…どうもこうも」

 眠気の残る朝に紫煙を吐き出す。

「俺らのルールに従ってもらうだけだ」

 授業に出る気はない。むしろ陽が昇ってからが睡眠時間だった。それはきっと高校を卒業しても同じなのだろうと、誰に言われたわけでもなく理解していた。俺ん家や、F組の多くの奴らは夜に生きる職業で金を稼いでいる。何をも恐れてはいけなかった。躊躇いのなさと的確な状況判断と、あとは覚悟だけで。

「…どんな野郎でも関係ねえよ」

 煙草を踏み潰してポケットに手をやる。中にゴツリと硬い感触。指先で表面を撫でその存在を確かめた。
 小型拳銃だった。親父から与えられたモノだ。安全な「学園」に入れられたものの、いつ敵の組織がやってくるか分からねえ。お前が必要だと思う時に使え、と言った大爺の嗄れた声も耳に残っている。
 まだ人に向かって発砲したことはなかった。しかし幼少から鳥や熊相手に練習させられ、目の前で人が撃たれる様も見てきたのだ。時間の問題だと思ってはいる。それがこの家に生まれた、そう珍しくもない宿命だった。
 だから。



「俺、暗い道一人で歩けねえよっ……!」

 だから目の前の男が泣き出した時、何か新しいものでも見たような気がしたのだ。

「こ、こわい…っ!」

 凶暴な目付きの奥にまるで子供のような色がちらつく。俺は頭が悪いから喩えなんて知らない。けれど俺の世界にはないものだと思った。昔置き去りにした子供の自分が、その瞳の中に見えた気がして。

「ははっ、なんだよお前………」

 だから言ったのだ、一言「許す」と。お前を仲間だと認めると。










 俺が承認したことによって、イツキはF組から受け入れられたようだった。持ち前の性格からイツキは次第に皆から可愛がられるようになっていって、少し安心する。もし問題になった場合、外部生をどう処理しようかと思っていた俺には都合がいい。平和が一番、だからな。心の中だけで頷いて、今日もF組の扉を蹴り開ける。

「おっすイツキ」

 久しぶりにお昼休みから登校した。教室に顔を出すようになったのもイツキがいるからだと、誰に指摘されなくても気づいている。しかしそれに対しての詳しい考察なんて要らない。

「級長…昨日の小テストどうだった…?俺赤点だったんだけど」

 イツキがしわくちゃになった紙切れを握りしめて近寄って来た。顔は不機嫌そうに歪められているが、これが「不安」の表情だと分かるようになった自分に驚く。黙って小テストを差し出した。

「わっすげえ!満点に近いじゃねえか!」

 小テストの点数を見て、イツキは盛大に目を丸くする。普段は尖ったナイフのような切れ長の目が、今は思い切り見開かれていた。

「……ま、俺コレやるの三回目だからな」
「…あー…?」

 どういうことだと、イツキは間抜け面で首を傾げる。俺は喉をくっと鳴らすと、少し低い位置にある短髪を撫でる。

「お前は分かんなくていいわ」

 朝起きて登校、飯食って昼寝して、夜は少し遅く帰宅。イツキは俺たちとは反対の、所謂男子高校生に違いなかった。夜の世界など知らないのだろう。以前違うチームの奴らに殺気を飛ばされても、肩を震わせただけだった。否、少し緊張はしていたか。
 だからといってイツキをチームから遠ざけるつもりなどない。イツキは"ロゼ"ではないがF組の仲間なのだ。いつ"ジン"に狙われるとも誑かされるともわからない。要は監視下に置いていれば良いのだ。






「…、あれ」

 ある日の朝方寮の部屋に帰ると、イツキがソファーで寝ていた。余程疲れたのか、鞄も制服もそのままだ。「弟」たちの世話をするのに慣れた俺は、このまま放って置くわけにもいかず小声で声をかける。

「おーイツキ、こんなとこで寝てたら風邪ひくぞ」
「ン…」

 眉を寄せて寝返りを打つ。
 薄い唇から漏れた吐息は、想像以上に扇情的だった。初めて見る表情に思わず手の動きを止める。イツキは苦しそうに顔を歪め、掠れた声で誰かを呼んだ。


「兄貴…」

 そうしてその睫毛の奥から、一粒光を落とす。始めに見た涙とは確かに色が違った。
 それはひどく綺麗な、淀みのない涙だった。

「…兄貴、ねえ」

 お前を透明なままにしておいてくれたのはそいつなのだろうか。思考を添わせて瞼を閉じる。小さい頃から大人ぶって、我儘も甘え方も知らない自分に。ごめんな、と一言。ただ早熟だったのだ。だから分からなかった。俺にはもう出来ないし、あの影を追うこともしないけれど。少しだけ眩しく、少しだけ愛しい。

 ――始めの涙をよく覚えている。どうしてもあの一瞬の透明が、瞼の裏から離れないのだ。

「…馬鹿だな」

 この透明な涙を、手放したくないだなんて。

「いつかお前を"兄貴"から、卒業させてやっから…そしたら」


 ゆるりと頭をひと撫で。
 それからゆっくり口づけて、煙草の香りを移してやるのだ。






「おら朝だ、イツキ!遅刻すっぞ」
「ぐぇっ」

 ああこの透明を、俺だけのものにできたらなあ。

 叶う筈のない独占欲を、明け方のゴミ箱に置き去りにして今日も笑う。



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