副会長のはなし

 白く冷たい線の上に立っているからといって、それはどうすることもできないことなのだ。必然的に与えられたそれは僕そのもので、進むことも戻ることもできない。真っ暗な空間にただ一本引かれた白いライン。踏み外せばどうなるかなんて分かりきっている。ただバランスを取ることだけに意識を集めて、今日も笑うだけだった。

「お早う」

 薄っぺらい言葉は何処にも届かず地に落ちる。ひどく滑稽なのだと自覚しているけれど、だからといって何だと言うのだろう。人はみな須く滑稽なんじゃないのか。こうして白い線の上に立ち、世界の崩壊を願うことだけを厭きもせず繰り返す。植物の様に息を吸い、稀にセックスをする。相手の顔は覚えていない。親衛隊の子で、後腐れなさそうなのを選んでいたような気はする。両の手を中途半端に広げてバランスを取る、その影がアスファルトにこびりついて離れない。真夏の蜃気楼のように、じとりとしたいやらしさをもって瞼の裏にいつまでも残るのだった。にこり。ああ、笑わなくては。

「はじめまして、僕はこの学園の副会長です。今日は君の案内役になりました。よろしくお願いしますね」

 しかし突然線の前に現れたそれは、ぐんと強大な引力を以て僕の日常を巻き込んで。

「…寂しいのか?」

 口元を軽く歪めてひたりと足を止めた彼は、ほんの3メートル先に立っていた。しかしひどく遠い。言葉の意味をようやく飲み込むとさらに遠く感じた。失礼な男だ。不躾な男だ。けれど僕の立っている線が怯えたように震える。冷や汗が首筋を流れるのが分かった。足元は床の存在を伝えない。

「なあってば」

 かっとなって伸ばされた手を振り払う。その衝撃で彼は壁にぶつかり、黒い髪が揺れた。揺れて――床に落ちた。

「…え?」
「あ、やっば」

 鬘らしきそれを慌てて拾う彼は、しかし真っ直ぐな目で僕を見る。露になった素顔に呼吸が止まった。

「無理すんなよ、副会長。俺の前ではせめてさ」

 彼はゆるく微笑むだけだ。夏はとうに過ぎたというのに、寧ろ白の季節だというのに、灼熱の屈折率に歪められた背景はぐにゃりと曲がって愚かな僕にまとわりつく。息苦しかった。と同時に浅ましく期待してしまうのをやめられなかった。もしかして、もしかしたら。彼は。彼だけは。

「あの…君、名前は」
「俺は夏希ってゆーんだ!呼び捨てにして構わないからな!」
「夏希……」

 咀嚼したところで何が変わるわけじゃないと分かっていたし、彼に期待しすぎてはならないことも判っている筈だった。けれどどうしようもなく指先が震え、足元の線が揺らめく。まるで最初から存在していなかったみたいに。足を踏み外したとしても、そこにまた別の線があるかのように。

「副会長?」

 ――毎日は普遍的に暮れていく。朝昼晩朝昼晩。そう唱えていたのは誰だったか。父か母か、もしくは僕自身か。しかし僕が僕の世界に疑問を持ってしまったらどうだと言うのだろう。もし違う未来が、もし違う選択肢があるなら。

「…ねえ、君は。未来に自由があると思いますか…?」
「なんだよ急に?あるに決まってるだろ!」

 今度ははっきりと、鬘を掴んで笑う彼の姿が見える。あきれる程に短絡的で楽観的な回答。けれどどうしてたった一言で人が救えるのか。本当に馬鹿馬鹿しい。僕はそんな簡単な男じゃない。もっと高尚で高潔で、誇り高いものであるべきだ。

「なのに、なんで…」

 相変わらず僕は線の上にいる。欲しいものは何だって手に入らなかった僕の、目の前に現れた少しの希望。多大なる希望。あの光を手に入れたい。あの光の傍で在りたい。

「…はは」

 弛く自嘲して瞼を閉じる。

「おいっ、大丈夫か!?」
「…ええ、問題ありませんよ。では行きましょうか、夏希」

 久しぶりに心から笑って、夏希の手を握る。どうやら柄にもなく、恋をしてしまったようだった。


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