おれは夜の海辺に出ていた。
ザザザと響き渡る波音や、月明かりに照らされている海面を独り占めしながら、ただ呆然と海の向こうを眺めていた。
(何時ぶりだろう。あんなに子供のように泣きじゃくったのは)
月を見上げる。
情けない程に感情を曝け出したのは、久しぶりだ。あんなにもポーカーフェイスで覆っていたのに、あんなにも自分の心を知られるのを怖がっていたのに。不思議と嫌な気はしない。
(…、)
ふと、後ろに気配を感じた。
ゆっくり振り返ると、ロックオンが立っている。
何時から居たのだろうか。月明かりを浴びて幻想的な雰囲気を纏った彼を静かに見詰めた。
「…さっきはごめん」
先程の彼とのやり取りを回想し、静かにそう告げる。ロックオンはそんなおれに「気にしてないよ」と返すと、一歩近付いた。
「なあ、隣いいか?」
「好きにすれば」
おれの素っ気ない返事にさえ笑みを浮かべる。ロックオンはゆっくりと隣に座った。
ザザザ、と波音が聞こえる。
おれはゆっくりと膝を抱えた。
その刹那、視界に手が侵入してきた。
ロックオンの手だ。
「……………」
何がなんだか分からなくて無言で見つめると、ロックオンは笑いながら掌を開いた。
「飴、あげる」
「……………。」
「約束したろ?あの時」
おれは、差し出された飴をゆっくりと受け取った。
小さな声で「ありがとう」と呟いたが、それは波に掻き消されてロックオンまでは届かなかった。
(…………………。)
暫しの沈黙。
しかし、その沈黙を苦痛には感じない。
(ロックオン・ストラトス…不思議な奴…)
おれは暫く飴を眺めていたが、ゆっくりと口を開いた。
「なあ、少し話していいか?」
「ん…」
ロックオンはそれを待っていたかのように、おれに向き直った。
向けられた笑顔。それを肯定と受け取って、淡々と語り始める。
「…その子は、小さな島に住んでいた。地図にも載っていない、小さな国。…その国の政治は凄く不安定で、保守派と革新派の争いは絶えなかった」
ロックオンは「うん」と相槌をうつ。その低く優しい声に、おれは確かに安心したんだ。
「その子の父親は、保守派の統領で、その子も保守派の頭脳として会合に参加していたんだ。だから、幼い頃から人間の汚さや醜さを間近で見て来た」
「うん」
「そんな荒れていた時期に、ある女に出逢った。金髪碧眼、日本生まれの西洋人。彼女を愛するのに、時間はかからなかった」
おれはゆっくりと深呼吸した。
そんなおれを見て、ロックオンは一瞬だけ目を細めた。
「その彼女…、金髪碧眼の彼女の名前は…」
おれは意を決して再び紡ぐ。


「…――“夏端月惺”。」


「……っ、」
ロックオンはおれを見て驚いた。そして、小さな声で囁いた。
「愛しい奴の名前を、コードネームにしたのか…」
おれは笑う。
「おれの話とは言ってないけど?」
しかし、ロックオンは此方を見詰めたまま動かない。きっと何もかもバレている。
「惺…」
すぅ、と近付いておれの手を握り締める。砂浜に映る二人の影は、見様によっては恋人同士に見えなくもない。
「…大丈夫。俺は受け止められるよ…。全部曝け出して良いんだ」
「……ロック、オン…」
ザザザ、と、波の音が耳障りだ。
彼の声をはっきりと聞かせて欲しいのに。
波の音が、邪魔をする。
「なあ…、」
おれは自らの右腕を見た。
すぅっと深呼吸した。
(今なら、言える気がする)
「おれは…普通の人間じゃないんだ…」
「え…」
「地雷を踏んで…、右半身、内臓の幾つか、左眼を…失ったんだ…」
その科白に、ロックオンが「右半身と左眼って…」と過剰に反応した。ロックオンの言いたい事が分かったおれは、先程触れ合っていた左手とは反対の右手でゆっくりとロックオンの手に触れた。
「義手だ。こうして触れても、ロックオンの温もりを感じない」
「嘘、だろ…?」
おれは静かに笑った。
「本当だよ。最新の技術を詰め込んだんだ。温もりを感じないけど、神経は繋がってる。」
「…惺…」
「彼女も…、今のお前と同じ瞳をしていたな…。…身体を失っても猶、おれを見捨てないでくれた。おれは彼女が全てだった。彼女が居れば、苦痛しか感じないこの世界も平気だった…。なのに…、それなのに…っ」
身体が戦慄く。
また泣いちゃいそうだ。
「…ある日、おれの父親が殺されたんだ…。保守派に革新派のスパイが居たって…」
心臓のバクバクが止まらない。勘が良いロックオンはきっと気付いている。



「…――“惺”がスパイだったんだ。」



神様は、おれを助けてはくれなかった。
世界はおれを嫌う。
だから、おれも世界を嫌う。
ゆっくりと瞳を閉じた。
「あの場面だけは…今でも、鮮明に覚えてる」
ロックオンはおれの右手をギュッと握りしめた。
感じないはずなのに、何故か温かさを感じた。不思議だよな。
「ロックオン、」
「、なんだ?」
「おれは、どうしたと思う?」
それは、ロックオンにとって、あまりにも無邪気で残酷な問い掛けだった。
ロックオンは答えられずに口端を歪める。おれは海を見詰めながら淡々と吐き出した。
その、鋭利で残酷な真実を。


「…――殺したんだ。その愛しい裏切り者を」


おれは微笑んだ。
しかし、何故だろうか、何処か穏やかな気分だ。
「あいつの最期の言葉が“月が綺麗ですね”。馬鹿だろ?両想いだったんだぜ?おれ達」
「……っ、」
「その気持ちに気付かずに…、憎しみを込めて、トリガーを引いた…」
ロックオンを見詰める。何時ぞやにも思ったが、お前は“惺”に似ている。真っ白で、何にも染まらない、そんな瞳が。眼差しが。
「…この左眼は、その愛しい裏切り者の左眼だ。あいつを殺した後、移植してもらった」
「…っ惺!」
刹那、ロックオンの温かい抱擁が降り注ぐ。おれは彼の胸板に頬を寄せた。
「…同情してるのか?」
「同情なんかじゃない」
彼の強い科白が帰ってくる。
「お前が、愛しいと思ったから…抱き締めたくなったんだ」
「何だよそれ…」
思わず笑みを浮かべた。
夜の海辺に重なり合う影。
おれの過去を聞いても、裏切るどころか抱き締めてくれた彼。
温かさが胸の奥にじわりと広がる。
切ないこの想いの名前を、おれは知らない。
ロックオンの手が控えめに腰に回される。だからおれも彼を力強く抱き締めた。

「頑張ったな、惺」

その声に、耐えきれなかった。
涙が一筋、彼の胸元にポツリと落ちる。

「…苦しいよ……」
「うん、」
ぎゅう、と抱き締めてくれる彼。
全てを受け止めてくれた彼。


「…今だけは…、独りにしないで…」


そんな彼に、もう少し甘えても良いだろうか。



「ずっと、傍に居るよ。」



ロックオンは微笑んだ。
(ああ…)
もう、
あの頃の、
無情なおれには、

戻れない。





2012.12.04修正



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