狭い路地、壊れた建物、その隙間から見える荒れ果てた野。
おれ――“   ”はそんな廃れた場所に立っていた。
懐かしき風景。
この景色と場所をおれは確かに知っている。
忘れられないんだ。
まるで悪夢のように、忘れたら許さない、と。
無表情で一面を見渡した。ああ、やっぱりこれは、と内心で思った。
その時、

『“   ”』

後ろから、声が聞こえた。
ザザザ、とノイズのようなものに掻き消されてはっきりとは聞こえない。だけど、おれには、その声が、遠い昔に捨てた自分の名前を呼んでいるのだということが不思議と分かった。
優しい声色。だけど甘さに似た痺れを纏っている。鼓膜から全身に駆け巡るその声は、おれが忘れてはいけない人のもの。勢いよく振り返る。
目の前には年上の割には年下のおれより可愛らしい“彼女”が立っていた。深海を思わせるような碧い瞳が真っ直ぐにおれを捉える。
ああ、夢の中でもお前はこうしておれを苦しめるのか、と確かに感じた。
おれより少し背の高い彼女は、走って近付いて来るとゆっくりとおれの頭を撫でた。そして静かに微笑む。
その微笑みに無性に泣きたくなった。
何もかも考えずに哭いてすがりたくなった。

『で、何して遊んでくれるの?』と、年上のくせに年上に構って欲しがる彼女。あの時と全く同じ科白。
おれはゆっくりと口を開いた。
記憶のそれをなぞるように、慣れたように言葉を吐き出した。
『おれが遊ぶのは決定事項か』
微笑み続ける彼女に訊ねると、ぷくう、と頬を膨らませる。その仕草が妙に可愛らしかった。
なんだかんだ言って彼女のその笑みに弱いおれは『はあ』と溜め息をついて『よし、かくれんぼ、やるか』と答える。
『“   ”…、』
ノイズ混じりに優しく名前を呼ばれる。
思い出せないその名前。
あんなに強烈な人生を辿ったと言うのに、記憶は彼女以外の事は霞み掛かっていて、自分の名前すら思い出せない程だ。
(どうしてだろう、)
そんな事をうっすらと思いながら、彼女の名前を呼ぼうと手を伸ばす。彼女が微笑んで、おれもゆっくり――…

が、その刹那、

おれは真っ赤になって、

爆ぜた。



『、いやああアああアア!!!!』













「…―――惺…?」
ロックオンの呼び掛けでおれは我にかえった。
一瞬何が起こったかわからない自分がいた。しかし、表情には出さずに呆然とロックオンを見据える。
(ああ…、そうだった…)
現在、おれ、刹那、ロックオンの三人は南太平洋に浮かぶ孤島にいる。
ロックオンは片手に携帯端末を持ち、ソレスタルビーイングの声明を見ていたらしい。その途中でおれの異変に気付き、声をかけた、というところか。
「…………。」
おれは何時もの如く無言。ロックオンはおれが反応を示さないと分かると苦笑いを浮かべた。再び携帯端末を眺めた後、閉じて見るのを止めた。
「ああ、始めちまった」
ロックオンは呟く。
「俺達は世界に対して喧嘩を売ったんだ」
ロックオンの言葉に「……わかっている」と返す刹那。おれはそんな彼らを見据えながら、近くにあった大きな岩に腰をかけて、夜空に浮かぶ大きな月を見上げた。
あの頃の月とは、全く違う。
「………………。」
ゆっくりと目を閉じる。すると自分がまるで消えてしまったかのような錯覚がした。そうなってくれればいいのに、そうすれば痛みなど感じずにいれるのに、世界はおれを苦しませる為に生かす。罪を償え、と。
ゆっくりと瞼の上から左目に触れた。
彼女の残像を追いかけるかのように。
瞼の裏は先程の続きを手繰り始める。

あれは夜だった。
静かで幻想的な小高い丘に、おれと彼女は疲れて座り込む。
『……。』
『……。』
暫く沈黙が流れた。気まずくはない。気心知れた彼女とだから。
おれと彼女は星空をなぞるように見詰めた。

『…月が…綺麗ですね…』

唐突に瞳の奥の彼女が告げる。突然の彼女の言葉に怪訝な顔をするおれ。再び空に瞳を戻すと月を見詰めた。ニッコリと笑っているようにも見えなくもない、そんな三日月が見えた。おれはテキトーに『…そうだな』とだけ返した。
左目に付けていた眼帯がずり落ちそうになって、ゆっくりと直す。彼女はおれを振り返ると眉間に皺を寄せた。
『…わかってないわね?』
『わかってる。月が綺麗だ』
彼女とは一切目を合わせずに告げた。三日月を見上げる。おれは三日月よりは満月が好きだ。
『…やっぱりわかってないわ』
少し呆れたような彼女の声に、おれは直ぐに彼女を振り返る。
『おい、』と問い掛けるが彼女はフイとそっぽ向いてしまった。
『もういい。“   ”なんか…』


不機嫌な彼女の表情を捉えた瞬間、プツリとビジョンが途切れる。
「……………。」
瞳を開いた。
黒い右目と、今は眼帯ではなくなった、碧い左目。
(…わかっている。おれは、壊すだけだ…)
自分に言い聞かせるように、心の中で呟く。
(その為だけに、此処にいる)
すると、おれの心を代弁するかのように、刹那がゆっくりと「俺達はソレスタルビーイングのガンダムマイスターだ」と呟いた。
惺はそれを流し目で捉え、再び月を見上げる。
ポツリ、と

「…月が…綺麗ですね…」

囁いてみても、何も変わらなかった。
あの時彼女が何を話そうとしたのか、何を伝えようとしたのか、今となっては知る由もない。
だけど、ただひとつ言えるのは、

お前のいた世界は偽りだらけだっけど、

お前のいなくなったこの世界は、

もはや痛みしか感じない。




2012.09.27修正



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