幼い頃、満足に食事も摂れなかった私たちにとって、林檎は贅沢過ぎるものだったのを今でも鮮明に覚えている。
孤児院、とは言われていたが、実質、身寄りの無い子供たちの溜まり場のようなものだった。世話をしてくれる大人たちもいなくて、食べ物は自分たちでぶん取るしかなかった。
ちびっ子たちがぐずってしまった時は、よく、年長組の皆で果物屋へ林檎を盗みに行った。
どれだけ不機嫌でも、林檎を見た途端、皆が笑顔になった。それくらい、貧しかった子供時代。

こうして私がナルバエスの養子として過ごすようになった今、残った孤児院の皆にはそれなりに良い生活をさせてあげる事が出来ているが、幾ら良い食事を摂っても、皆、未だに林檎が大好きなのは変わらないらしく、こうして時間を見付けては、皆の大好きな林檎を片手に顔を出してしまう。
(それに、今回は…)
これから、火星に行くと言うことは、とうとう、運命の歯車が回り出したと言うことだ。暫く会えないし構ってあげる余裕も無くなるだろう。今のうちに、皆に会っておきたかった。

「あっ!シン姉!!」
「みんなぁ!!シン姉が帰ってきたぁ!!」
私の顔を見るなり破顔する孤児院の皆に、つられて笑顔を浮かべた。
「ただいま」
下は四歳。上は私と同じ。広い年齢層の人たちが、家族のように、協力し合って過ごしている。今は、年長組だった皆がこの孤児院を管理してくれている。随分と良くなった施設の雰囲気。子供の頃に諦めていたその空間が、目の前にあった。
「おー、いつも林檎悪いな。いつものとこに置いておいて…」と、年長組の一人が私に言いかけて、「あれ?」と言葉を止める。
「珍しく今日は一人じゃなかったんだな」
「え?」
「だって、そこにボードウィンさん…」
「は?!?!」
ボードウィンさん?!冗談でしょ?と、私はバッと思いっきり振り返った。
「嘘でしょ…つけて来たの…?」
そこには、意地悪な笑顔を浮かべたガエリオの姿。完全に一人だと思っていた。油断していた。
ガエリオは、私の元に近付くと「林檎でピンときた」と得意げに告げる。そして、「ここに来るのは久しぶりだ」と続けた。
「お前が俺たちの前から消えたあと、しつこくここに来てお前の居場所を問い質した。誰も教えてくれなかったがな」
ギロッと年長組の皆を睨むガエリオ。相当根に持ってるんだな。探してくれたのは嬉しいけど。
「私が口止めしてたんだから皆を睨まないで」
「なんで俺たちに何も言わなかった?ナルバエスの養子だなんて急に…」
「いろいろとあったの」
なおも聞いてこようとする彼に、「この話はもうおしまい!」と言う。そして、しつこく追求される前に年長組の皆に話し掛けて違う話題にすり替える。やったもん勝ちだ。
「ねえ、私、しばらくここに来ないから」
「今日だって久しぶりに来たのに?ナルバエスに…は無いか。またギャラルホルンの仮眠室に泊まるのか?」
「ううん。ちょっとお仕事で遠出を」
「おい、ちょっと待て、シン。聞きたい事が幾つかあるんだが」
急に肩を掴まれて向かい合わせにさせられる私。せっかく逃げたと思ったのにまた捕まってしまった。主導権はガエリオに移る。
彼は「まず、」と言葉を紡ぎ始めた。
「お前、いつもギャラルホルンの仮眠室で寝てるのか?」
「たまにここに帰ってくる以外はほとんどギャラルホルンかなあ…」
「ナルバエスは?そこには帰らないのか?」
「えっと…」

「…――あそこはシンの帰る場所じゃない」
ガエリオの問いに答えたのは私ではなく隣に居た孤児院の仲間だった。
「…、」
「シンが養子に行ったのだって、私達の為に…」と余計なことを言おうとする彼女に、「そ、そう言うのいいから!」と急いで遮る。
本当は、彼女の言う通りだった。養子に行ったのは単なる契約に過ぎなかった。この孤児院を無くさない為に、ナルバエス家の奴隷として働く。そんな契約。
養子として引き取られて、言われるがままにギャラルホルンに入り、内部や外部の情報を集めて使えそうなものをナルバエスに流す。そんなことを繰り返して、何とか孤児院の皆を人並みに生活させる事が出来た。
だから、ナルバエスにはなんの愛着も情も無いし、いつもここかギャラルホルンの仮眠室で過ごしていた。
“最初のガエリオ”にこれがバレた時、こっ酷く叱られたのを思い出す。
「お前…」と目の前のガエリオが怒ったような表情で見下ろしてるから、ああ、これは同じように後で何か言われるんだろうな、と覚悟した。

「――あっ、おいお前!もう林檎食ってるのか!手が早いな!」
幸か不幸か、私とガエリオの間に流れていた不穏な空気は、急に聞こえたその科白でなくなってしまう。
声につられるように二人で見た先には、孤児院で最年少の子が、先程私が持って来た林檎を我慢出来ずにコッソリ食べて怒られている姿。
思わず吹き出してしまった。ガエリオも隣で「そんなに林檎が好きなのか」と苦笑してる。
「好きだよ!将来は林檎農家になるんだ!」
「へえ、林檎農家か」
「にいちゃんも買いに来てね」
ニッコリ笑って再び林檎に齧り付く。そんな彼に、食べても良いけど他の子の分を残してね。また幾らでも持って来てあげるから、と言って、私は幾度目かの微笑を浮かべた。
「さて、暫く皆に会えないし、施設を覗いて来るかぁ。ガエリオはついて来ないでよ」
「何でだよ」
「何となく」
「横暴だな」
そんなガエリオには構わず、私は足早に施設の中に入って行った。


「…何か、今日、シンの機嫌良いけど、何があったの?」
「機嫌が良い?いつもあんな感じだろ」
「でも、だって、あのこ笑ってるし」
「そりゃ笑うだろ」
「いつも眉間に皺を寄せてる顰めっ面なのに。急に人が変わったみたい」
「顰めっ面?俺は見たこと無いぞ」
「ボードウィンさんが変えたのかな…」
「何でだ?変えたも何も、再会した時からもうあんな感じだったぞ」
「女の勘よ」

そんな会話があったのを、私は知る由も無い。



2016.04.07

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