誰も居ない孤児院の中。
昨夜ここを訪れて来たガエリオは、一晩、ずっと、情けなく泣いていた私に寄り添ってくれていたが、朝早くから「ちょっと用事がある」と言ってどこかに出かけてしまった。
そっと鏡のもとに歩いて鎖骨を確認する。
ガエリオが手当てしてくれた鎖骨の噛み跡。まだ傷が塞がらずにガーゼが真っ赤になっていた。
(なかなか出血が止まらないな…)
自己再生機能の低下を実感する。この程度の傷なのに、塞がりすらしない。
(こんな傷、長く残って欲しいものでもないのに…)
あの時の生々しい感覚が蘇る。マクギリスの楽しそうな顔を思い出して気分が悪くなった。
早く塞がらないかな…とガーゼの中を確認した時だった。

「…おい、せっかく俺が手当てしたのにはがすな」
「あ、ガエリオおかえり」
「おかえりじゃないだろう…」
苦笑してソファに座る彼。
ちょんちょんと手招きして「隣に座れ」と言う。
素直に隣に座ると、腰を引き寄せられて、私の髪を優しく撫でるガエリオ。
「もう大丈夫か?」
「ん…、大丈夫…」
心配かけてごめんね、と呟く。ガエリオは「気にしてない」と言ってくれる。

「…聞きたいことがあるんだが…いいか?」
ああ、この傷の事を聞かれるんだろうな、と思った。
誰にやられたのか訊かれたらどうしよう。答えられないよ。
困った笑みで彼を見上げると、再び髪を優しく撫でられた。
「…孤児院の奴らはどこに行ったんだ?」
「…え?」
そっち…?
「あ、えっと…、ちょっと、遠いところに…引っ越した…」
「なんでだ?」
「ちょっと…私に…やることが…あって…」
予想の斜め上を行った質問に、上手い返しが出来ずに正直に言ってしまう。
「その“願い”の為か?」
「……、うん…。」
ガエリオは小さく溜息を吐いた。
「…ここまでするなんて…、本当に、叶えたいんだな」
困った笑みを浮かべて私を覗き込む。
叶えたいよ。絶対に叶えたい。
ガエリオは小さい声で、「俺は…」と言葉を紡ぐ。

「…その願いを叶える前に、お前が壊れてしまわないか…怖い」
「だ、大丈夫だよ…」
何度も何度もタイムリープを繰り返してきて、色々な苦しみを我慢するのには慣れている。
ただ、マクギリスにあんな事をされるなんてことは今まで無かったから、酷くショックを受けてしまっただけで…。
「本当に…もう大丈夫だから…」
ショックだった。でも、君が、私を穢れてないと慰めてくれたから。
その逞しい腕で、私を迎え入れてくれたから。
(身体の傷は治ってないけど、心の傷はびっくりするくらい回復しているんだよ)
ガエリオの手のひらに、自分の手のひらを重ねて頬擦りする。こんな事で、彼が安心してくれるとは思わないけど、少しでも、彼の心配を和らげられたら。少しでも、この想いを伝えられたら。
「その願いは…どうしても叶えなきゃいけないのか?」
「うん」
「即答だな」
ガエリオは本日何度目かの苦笑を浮かべた。そして「わかった」と言った。

「…――シン、左手、出せ」

「…え?」

「いいから出せ」

心臓が、バクバクいっている。
とても、聞き覚えのある科白だ。
(いや、まさか、そんなことは…。)
ガエリオは「ばーか」と笑う。
「安心しろ。何も変な事はしない」
「えっと…あの…」
躊躇している私に痺れを切らしたのか強引に左手を掴んで引き寄せる。
そして、そのまま―――…

「…―――っ、ガエ、リオ…ッ!」

これは、

これは―――…


「見れば分かるだろう?…指輪だ。」


「…っ、ガエリオ!私、受け取れないよ…」
もう既にマクギリスには勘付かれているけど…。
(指輪なんて…)
ガエリオは私の思っている事が分かったのだろう。「俺は簡単にくたばらないって言っただろう?」と私の額を小突いた。
「自分の事は自分で守れる」
優しく私の左手を撫で、照れ臭いのか外方を向いて吐き捨てるかのように続ける。
「…で、お前の事も、俺が守る。」
「ガエリオ…、」
「もう、お前の苦しむ姿を…見たくない…」
小さく溜息を吐いた。
「俺に…守らせてくれ…」
「……っ、!」
その言い方は、ずるい。
私は彼を睨み上げた。
「はあ…、こうなった君は…何を言っても聞いてくれないからなぁ…」
「よく分かってるな」
さすが幼馴染み、と笑うガエリオ。
私は腹を括った。
そうだよね。救えなかったらどうしようとか、そんな弱気な事ばかり考えているから、救えなくなるんだ。きっと。
私も、彼と同じ気持ちで戦わなきゃいけないんだ。気持ちで負けてはいけない。
「…ガエリオ、」
「なんだ?」
私は、首からかけていたそれを外して、彼の首にゆっくりとかける。
「おい…これ…」
驚くガエリオを見上げて、小さく微笑む。
「私のお守りなの。大事にしてね」
ちゃりん、とガエリオの胸元で音を立てる指輪。
最初のガエリオがくれたそれ――私をずっと守ってくれた。今度は、彼を、ちゃんと、守ってね、と、指輪に口付けた。

「…シン」
「…ん?」
「する場所が違うだろ」
「え…?」
ボスっと、ソファの上に押し倒されて、
ガエリオの指が、そのまま優しく唇に触れる。

「…今は…この間みたいに…、暗闇じゃないが………いいだろう?」

ねだるように、見おろされる。
(ああ、本当に、ずるいひと。)


「…―――うん。いいよ」




2016.05.04

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