シルバーリングを握りしめながら思い出すのは昨日のこと。

ガエリオの手の温もり、意外に逞しい腕、髪から香る、彼のお気に入りのシャンプーの爽やかな匂い、そして、
重なった、唇の感触。

(やってしまった…)
あんなにも自分に言い聞かせたのに。
ガエリオに触れてはいけないと。マクギリスにばれてしまわないように、この想いは胸の内に秘めておくべきだと。
なのに、あんな、
(私はなんて意志が弱いのだろう…!)
これが惚れた弱みというのか。
あんな風に、想い人に――ガエリオに、言われたら、拒絶の言葉なんて一切紡げなくなるのは当たり前ではないか。
ああああ、どうしよう、と、ベッドの上で転げ回る。
これからに対する不安と、後悔の念で、頭の中はぐちゃぐちゃになっていた。
でも、ガエリオが私の事を好いてくれていたのは正直嬉しい。
嬉しくて堪らない。

私は、シルバーリングを見詰めながら思う。
「本当にいいの?ガエリオ…。君には…私以外の選択肢がたくさんあるんだよ…」
気が遠くなるくらいの時間を、君に捧げて廻って来た私とは違って。
半ば依存に近い、年季の入った呪いが掛けられている私とは違って。
君は、私以外の女を選ぶ事だって出来るの。
実際、二回前のガエリオは、私じゃない他の女と婚約して幸せそうにしていた。私に見せ付けてきて、「お前も早く幸せになれ」と他の男を紹介してきて。
二回前だけじゃない。何回も、何回も、ガエリオが私じゃない誰かと幸せになるのを、この目で見届けてきた。
苦しかった。何度も泣いて。けれども、
「私は私の幸せなんてどうでもいいの」
チェーンを外して、久しぶりに、その指輪を左手の薬指にはめた。サイズがぴったりのそれ。最初の彼が、私に内緒で用意したもの。幸せにしてやる、と、この指輪に誓ってくれた。
(ああ…私は…)
指輪に口付ける。苦しくて、どうにかなりそう。

私がガエリオを幸せに出来なくても、
私が幸せになれなくても、
ガエリオが私を選んでくれなくても、
ガエリオが他の誰かのものになっても、
ガエリオの傍に居られなくても、よかった。
そう、

生きててほしい――ただ、その願いの為だけに。

君は、雁字搦めの私とは違う。自由に選ぶ事が出来る。
私じゃなくても、君は、幸せになれる。
(…でも、)
「それでも…、君は…私を選んでくれるの…?」
ガエリオに問うかのように、指輪に向かって問いかけた。


『…左手、出せ』

『なんで?』

『いいから出せよ』

『はい、出したけど…。っ、!何これ!』

『見れば分かるだろう。指輪だ』

『指輪は分かってる!私が言ってるのはこれを私に渡してどう言うつもりって事!』

『そのままの意味だが…』

『そのままって何!』

『これでお前は俺の女ってこと』

『ねえ、ガエリオ、君はバカ?私達、恋人ですらないのに、いきなり指輪って…!バカなの?ねえ、バカなの?私、要らないからね』

『別にいいだろ。俺はこれから縁談をいちいち断ったり逃げたりしなくて済む。お前はナルバエスから解放される。Win-Winだろ』

『…確かにWin-Winだけど…。』

『…お前に、そんな闇の仕事は似合わない』

『…何を、言って…、』

『安心しろ。』

『お前はもうナルバエスに縛られなくて良いんだ。』

『孤児院の奴らの事も任せろ』

『これから…、お前の事は、俺が守る。』

『…まあ、でも、守るだけじゃ癪だからな、ついでに――…、』

『…――幸せにしてやる。この指輪に誓う。』


ねえ、ガエリオ。
私は、君が生きてくれているだけで、この上ないくらい幸せなのに。



■■■



ギャラルホルン地球軌道基地グラズヘイム2にて。
俺――アイン・ダルトンは地球を呆然と眺めていた。
初めて見る地球は、青く澄んでいて、とても綺麗だった。
「…これが…地球…」
思わず呟く。地球に降りる許可が下りなかった俺は待機だ。今頃、シン姉さんと特務三佐はギャラルホルン本部に着いている頃だろうか。許可の下りなかった自分には分からない。
(行きたかったな…)
火星の血が混ざった俺が、地球に降りられない事は分かっていた。でも、こんなに綺麗な惑星を目の前にして、降りたいと言う願望を抑える事は無理に等しかった。
(本当に…綺麗だ…)
そんなことを考えながら地球を見詰める。
漆黒に浮かぶ紺碧――シン姉さんの瞳の色に似ている、と思った。

「よう、新入り」
刹那、聞こえてきたその声。考えるのを中断して振り向けば、自分とは違う色の隊服を纏った隊員二人がこちらを見ていた。その顔は、どこか勝ち誇ったかのように俺を見下している。
それはとても見覚えのある表情。俺は、目の前の彼らと同じ様な表情を浮かべた同僚に、何度も「お前は人間じゃない」と蔑まれてきた。
(わざわざ、俺に、見せつけにきたのだろうか)
「お前は、地球への降下、許可が下りなかったのかぁ?」
「そりゃそうだろうなぁ。火星生まれの汚ぇ猿が居たんじゃ、地球が臭くなっちまう」
(ああ、やっぱりか…)
予想通りの内容に、俺は内心だけで溜息を吐いた。
隣の隊員が「やめた方がいいですって。こいつ、ファリド特務三佐の船で来たんですから…!」と小声で制するのが聞こえるが、その隊員は「だから教育が必要なんだろう?」と、その制止を振り払って俺のもとに近寄って来た。
「お前のような奴が傍に居ては、ファリド特務三佐の名が穢れるんだよ」
「…今、私の上官は、ガエリオ・ボードウィン特務三佐ですので、その点はご心配いらないかと思います」
「ボードウィン家もセブンスターズの一家門じゃねぇか!!馬鹿にしてんのか…!!」
俺の胸倉を掴んで叫ぶ。
地球に降りるなら早く行って欲しい。俺は、一人でずっと地球を見ていたい。
シン姉さんの瞳に見詰められているようで、とても安心するんだ。
独りじゃないと、言ってくれているようで。
俺の胸倉を掴んだまま睨み付けている隊員に、嫌悪感が湧き上がる、でも、感情的になってはいけない。俺は、冷静に「田舎者へのご教授を賜り、ありがとうございます」と吐き出した。
(シン姉さん、あなたに会いたいです…)
この黒い感情を、浄化して欲しいと。
そんな思いが頭に浮かんできた時だった。


「…――アイン!ここに居たの!」

幻聴だろうか。
シン姉さんの声が聞こえた。

一触即発だった空気は、その言葉で、瞬く間にリセットされる。
突如訪れた僅かな沈黙。
俺とそこに居た隊員二人は、同時に声のした方向を向いた。

(…シン…姉、さん…!)

幻聴じゃなかった。
何故、あなたがここに居るのですか。

「ナルバエス一尉…地球に降りないんですか…?」
何が何だか分からない。混乱したまま問いかける俺を他所に、「んー?降りるよー?」と、間延びした返事で笑うシン姉さん。
そして俺の方に手を差し出した。

「行こう。アイン」

「え?」
思わず素っ頓狂な声が出た。今、行こうって言われた…よな…。
同じ事を思ったのか、絡んでいた二人の隊員も、シン姉さんを唖然と見詰めている。
シン姉さんは、「あれ?聞こえなかった?」と俺の所に近寄って来た。
壁に追い詰められた俺と、離すタイミングを失ったのか、ずっと俺の胸倉を掴んだままの隊員の横にストンと移動する。ニッコリ笑って、今度は丁寧に。

「アイン、私と一緒に地球に降りようか」

(…、!)
ニッコリ笑うシン姉さん。「ちょっと、その手、離してくれる?」と、目の前の隊員に吐き出した。彼の顔が真っ青になるのが見える。「嘘だろ…」と小声で言っていたが、残念ながらそれはこちらまでしっかり聞こえていた。
「シン姉さん…っ、でも自分は…!」
突然の地球降下に、ナルバエス一尉と呼ぶ事すら忘れ、素の自分が出てしまう。
「大丈夫だよ。許可はもらってきたから」
「…で、でも…」
「私と地球に行くのはイヤ?」
「いえっ!そんな事は断じてありませんが…!」
「うん。なら行こう」
もしかしたら少し不機嫌なのだろうか。グイっと何処か乱暴に俺の袖を引っ張る。
隊員二人に向き直り「君達も早く準備しなさい」と吐き出した。何だろうか…。いつも、姉さんとして見ていたから、今垣間見た、厳格な上官のような一面は新鮮に俺の目に映る。
去り際に「チッ」と小さく舌打ちをして、二人はこの場を去って行った。

彼らの後ろ姿が見えなくなると、シン姉さんは「ごめんね、アイン」と言葉を紡ぐ。
「さっきの、嘘」
「…え…、あ。そうですよね…。自分が地球に降りられる訳…」
「そこじゃない。許可もらったってとこ」
シン姉さんは俺を見詰める。
状況についていけない俺も、シン姉さんを見詰め返した。いま、自分は物凄く間抜けな表情をしているに違いない。
「えっと…つまり…?」
混乱する俺の頭を撫でて、「ここだけの話なんだけどね」と笑う。
「私ね、偽装とか、隠蔽とか、変装が得意なの」
その科白で、俺は、彼女が何をしようとしているのか分かってしまった。
「シン姉…!それは…!」
「だーいじょーぶ!」
再び間延びした声を出す。「責任は私が取りますからー」と続けて。
(そ、そういう事じゃ…!)
反論する間もなく、俺の右手を引っ張って、「ほらほら」と急かされる。そんな彼女に、どちらが年上なのか分からなくなった。

「地球、行こうか!」

にっこりと笑う。
「…ずるい…。」
そんな笑顔で言われたら、「はい」と言うしかないじゃないですか。




2016.05.01

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