まだ、あの綺麗な紺碧が、俺の瞼の裏に居座っている。
深海のような、綺麗で澄んだそれ。眼帯の奥に、大切に隠されていたそれ。
俺は、漆黒の右目と紺碧の左目に出逢ったその瞬間、固まったまま動けなくなってしまった。彼女が眼帯をしていたのは、怪我か何かの為だと勝手に思っていた。こんなに澄んだ瞳がその奥に在るだなんて、誰が想像したか。
左右で違うその瞳。まるで宇宙と深海をその身体に宿しているかのようにさえ思えた。彼女の瞳の奥に総てが存在している、そんな気が。
(……きれい、だ…)
ただ、そう思った。
寝ぼけ眼で見詰める惺。俺の瞳は、まるで吸い込まれてしまうかのように彼女の瞳を凝視した。しかし、次の瞬間、惺が我に返ったあの瞬間、彼女のポーカーフェイスが一瞬、そう、ほんの一瞬だけ、崩れたのを俺は見逃さなかった。泣きそうな、悲しそうな、苦しそうな、その表情を、俺は目の前でしっかりとこの目で見たんだ。
「…惺」

俺は、その一瞬だけで、気付いてしまった。

なあ、惺。初めてお前に会った時、世界をぶっ壊すなんて言うから、何て厄介な奴なんだろう、って思ったんだ。だけど、今、気付いてしまったんだ。知ってしまったんだ。お前はきっと何か心に抱えるものがあるんだよな。お前を此処までに突き動かす大切な何かが、あるんだよな。
だから、そんなに、泣きそうな顔で、手を伸ばしたんだよな。
気付いているか?惺。
お前、俺と誰かを見間違えたんだぞ。小さくてしっかり聞こえなかったけど、「おまえなのか」と、眠そうな声の中に愛しさを孕ませて。

「…ああー……。くそ、眠れねぇ…」

何度目かの寝返りをうつ。しかし、頭の中は、惺の事ばかりが過る。
どうしてなのか、自分にも分からない。ただ、惺の、あの泣きそうな顔が頭から離れない。
「…展望室にでも行くか…」
そうしよう。星の煌めきに包まれて落ち着いてから再び眠ろう。思い立ったら直ぐ様実行。自室を出て、展望室まで向かった。
(流石に、こんな時間には誰も居ないだろう…)
そう思いながら展望室のドアをくぐる。しかし、其処には先客がいた。
肩まで伸びた綺麗な黒髪。後ろ姿でも誰なのか直ぐ分かった。俺は、話し掛ける事はせずに、ゆっくりと彼女に近寄った。
「お前か」
此方を振り返る事なく、外の景色を見詰めたまま。
「…眠れなくてな。お前もか?」
惺に問い掛ける。
すると、彼女にしては珍しく「夢を、みる」と、ぽつり、ぽつり、と言葉を紡ぎ出す。
「呼ばれるんだ。」
ぽつり、ぽつり。
「だけど、分からない。」
ゆっくりとシャツの胸元を握り締めた惺。静かな声で、「あいつが、呼んでるのに」と。

「聞こえない。」

惺は、振り向いた。
悲しそうに、睫毛を揺らして。
唇が再びゆっくりと言葉を紡ぐ。
「もう、聞こえない。思い出せない。だから、眠りたくない。眠ってしまえば、また呼ばれる」
訊いても良いだろうか。
「…なあ、惺。何が、聞こえないんだ……?」
「……………。」
「……………。」
見詰め合う二人。こんな状況じゃなければ嬉しかったのに、なんて不謹慎にも思う。惺は、僅かに目を細めた。
「……………。」
答えは貰えないまま。俺と惺は、どうすれば良いのか分からなくて、ただずっと立っていた。そうして、暫く見詰め合っていた。が、数秒後、惺は後ろを向いて再び外を見据えた。
夜空を見上げるのかと思いきや、硝子に反射した自分の姿を指先でなぞる。ゆっくりと、輪郭を辿って。
「…なあ、おれは、お前の眸[め]には、どう映っている?」
「…………。」
彼女が、必死でもがいているのが見えているのに。俺には、彼女の満足出来るような答えを紡げない。今、俺が何を言っても、彼女には届かない。そう分かっていたから。
そうして、お互いが無言のまま、長い時間が過ぎた。
ゆっくりと、惺は硝子から指先を離した。
何処か、嘲笑うかのように。

「……酷い顔だ…。」

硝子越しに、俺を見詰めて、
「…そうだろ?ロックオン」
初めて呼ばれた名前。その声が、震えていた事に、俺は気付かない振りをして。
「ああ…酷い顔だ…。」
「………。」
「だから、独りで抱え込まないで、俺に、ぶつければいい」
「………。」
彼女から笑顔が無くなった理由を、知りたいと思う事はいけないだろうか。彼女の笑顔が見られるように、ガンダムの操縦桿を握る事はいけないだろうか。

「……ばかなやつ。」

きっと、この瞬間から惺に堕ちていたのかも知れない。

俺は後に何度もこの光景を思い出す事になる。

何度も。
何度も。
何度も。




2012.04.06
2013.05.04修正


- 7 -

[*前] | [次#]
人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -