俺は、ミス・スメラギからミッションを言い渡され、惺と都会のど真ん中を歩いていた。
そのミッションの内容と言うのは「惺が何時も独りだから、どうにか心を開かせて欲しいの。一緒にデートなんてどう?」と言う、実に危険性も何もない平和なもの。あの時の俺は、何も深く考えずに「美人さんとデート出来るなら是非とも」とふざけた調子で返したのだが、今更になって「ああ、やっぱり一筋縄ではいかないか」と思った。
惺は、ミッションがデートだと知らないまま、ただ俺の後ろをついてきて終始警戒している。マイスターとしては優秀だが、今くらいは気を張り詰めなくても良いのにな、なんて思う。だからと言って、ミッションの内容を教えたら怒られるんだろうな、と。
最初はそんな感じで緩やかに進んでいたんだ。だけど、徐々に違和感がしてきて。デートの最中、彼女は何度も眉間に深い皺を刻んで渋い顔をしていた。俺はその理由が分からない。時折空を見上げて降り続ける雪を睨み付けて。
(雪…?まさか風邪でも引いていたのか?だから調子が悪そうなのか?)
色々考えたし、直球で「具合悪そうだけど大丈夫か」なんて訊いてもみたが、彼女は何も答えなかった。口を開く気配すらない。
(一体どうしたんだよ…)
そう思った刹那のあの逃走。

俺が、転んだ子供を助け起こしていた隙をついて、彼女は全力で駆け出した。
「…――惺っ!!!!」
一瞬だけ、ポーカーフェイスも何もかも崩れ去った、悲しみに耐え切れなさそうな、酷い表情の惺が見えた。
「待てよっ!惺!」
直ぐ様その背中を追い掛ける。が、彼女は意外に脚が早い。追い付けない。一定の距離を保ったまま、走り続ける。
走っているせいで、風を全身に感じる。降り続く雪も冷たい。白い息が早く彼女を捕まえろ、と急かす。
「惺!」
体力を削る事を覚悟で、その背中に叫ぶ。しかし、彼女の脚は止まる事を知らない。心做しか、雲の隙間から僅かに見える太陽に向かって走っているようにも見える彼女。ずっと、ずっと、走り続けて。

突然、彼女は脚を止めた。

ぴたり、と。
「…――はぁ…っ、は、っ、はぁ…、っ、」
「…――はぁ、…はっ、っ、はぁ…」
息切れ。喉が焼けるように痛い。ただ、酸素を欲した。言葉を出す余裕も無く、俺と惺はただ呼吸を繰り返していた。
「…――うして…」
「…っえ?」
苦しい呼吸を繰り返す中、先に言葉が出る程に回復したのは惺だった。まだ僅かに掠れた声で。
「…――どうして…っ!!!!」
絞り出すように。空に向かって。
「…――こんなにも、世界はおれを責めるんだ…っ!!!!!」
え、と、思った瞬間、再びダッシュ。道路に飛び出した惺。同時に、戦慄が走った。
トラックが視界に入る。
彼女は気付かない。
脚は、止まらない。
「…――っ!!!!惺!!!!」

俺は、彼女の背中を、







マイスターとして紹介される、少し前の出来事。

おれは目の前に立つスメラギさんをじっと見据えていた。彼女は何かをずっと考えているようで、『うーん』とか『えーっと』とか洩らしている。
対しておれは無言とポーカーフェイスでずっと待っていた。何を言いたいのか。何の用で呼び出したのか。全く分からない。
数分後、スメラギさんは苦笑を浮かべながらこちらに問い掛けた。
『コードネーム、何がいいかしら?』
それだけかよ。
正直、そう思った。が、当然顔には出さない。
(…コードネーム、か。)
別に、これ以上無くすものなど無い。命すら捨てる覚悟でソレスタルビーイングに来ただけに、本名がばれて危険が降り掛かったとしても、別に何とも思わない。無理にコードネームを決める必要なんて無いのではないか。頭の片隅で考える。
(どうしようか、)
何と無く下を向いた。やっぱり、ナユタ・ナハトでいいや、と、スメラギさんに伝えようと口を開いた瞬間だった。

ふと、あいつの姿が脳裏に浮かんだ。

深海を宿した双眸と、綺麗に靡く黄金の髪。
真っ白な空間で、真っ白な花嫁のように、真っ白に、消えて逝った、彼女の姿。
『惺…』
おれの唇は勝手にそう紡いでいた。
スメラギさんは、一瞬だけ目を見開いた。自分で問い掛けておいて、おれが声を発するとは思っていなかったらしい。しかし、直ぐに『それでいいの?』と返した。
正直、彼女の名前をこんなおれが名乗って良いのかと言う罪悪感はあった。狂おしい程に愛し、愛故に此の手に掛けた彼女の名前を。
(それでも、おれは、)
『…それで、良い…。』
彼女の名前を背負って生きていく。愛しい人を殺めた罪を忘れないように。世界へ報復を誓った事を忘れないように。全てを投げ捨てる覚悟を忘れないように。彼女を憎んでいる事を忘れないように。彼女を愛していることを忘れないように。

眼帯の上から、左の瞼にそっと触れた。
誰にも聞こえない、小さな声で、狂気を囁く。


『ずうっと、一緒だよ…、惺。』




「…――惺、起きてくれ…っ、」

誰かが呼んでいる。
「…――惺…っ、頼むから…っ!」
遠くで呼んでいる。
おい、惺。誰かがお前を呼んでるぞ。早く返事してやれ。さっきから煩い。
「……。」
「…――惺…っ!死ぬな…っ!」
“死ぬな”?
……ああ、そうだ。
“彼女”は死んだ。おれが殺した。呼ばれているのは“彼女”ではない。“おれ”だ。情けない。さっき過った記憶のせいで色々混乱している。
「………っ、」
動けない。身体が重い。頭がガンガンと痛い。どうしてだろうか、と考える。そもそもおれはどうして意識を失っていたのだろうか。呆然と此処に至るまでの出来事を考えようと試みたのだが、おれの脳内は、まるで走馬灯のように“彼女”との記憶しか流れて来ない。胸の内に蔓延る“彼女”が、瞳の奥の後ろ姿が、おれの邪魔をする。ぐるぐるぐるぐる、と、記憶がごちゃごちゃになって、身体が動かない。そして、数秒後、やっとおれは瞳を開いた。
「…――っ、惺!」
その声に導かれるように瞳を開いたおれは、次の瞬間、自分の視界いっぱいに飛び込んできた深紅に戦慄した。ロックオン・ストラトスの焦った顔。鼻の曲がるような、鉄の匂い。
(……っ、!!!)
ぴちゃり、と、おれの頬に滴る鮮血。その一瞬で、おれの心臓は早鐘を打つ。左手が戦慄く。止まらない。
「おま…っ、どう、して、血が…っ」
息もつけずに、ただ、途切れ途切れの言葉を紡ぐ。ロックオン・ストラトスは、苦笑いで答えた。
「お前が、いきなり車道に飛び出したから…っ」
追い掛けたんだよ、と。
目だけで辺りを確認すると、納得した。
道路に残るタイヤの跡。血痕。
歪んだガードレール。
ああ、よく見たらおれも真っ赤じゃないか。
「ごめん…っ、トラックから守ろうと、お前を突き飛ばしたのに…、逆にガードレールにぶつかって…」
成る程。で、おれは頭をド派手にぶつけて流血、失神。突き飛ばしたロックオン・ストラトスも盛大に道路にぶつかって流血、と。そんなところだろうか。でも、まだ雪が積もっていなくて良かった。あの、一面の純白に、あの日のように、赤をまぶされたら、今度こそ正気ではいられなかった。
皮一枚だけで繋がったような状態の精神で、ただ必死に平生を装う。
「おれは別に…」
「でも…っ、頭から凄い血が…」
心配そうに続ける彼。これくらい平気だと言うのに。おれは、身体がバラバラになる痛みを味わった事だってあるんだ。こんなの、痛い内に入らない。肉体なんて、別に何れ程痛んだって構わないんだよ。
ただ、この心が救われるのならば。
「眼帯だって、血でベトベトになってる…」
彼の心配そうな表情は無くならない。確かに。この眼帯絞ったら、すげぇ血ぃ出てきそうなくらいびちゃびちゃに濡れてるけどな。生憎、この場で外す気にはなれない。
おれはゆっくりと身体を起こした。まだ震えている。見た目以上に精神が参っているらしい。これも全部、雪が降ったせいだ。身体が怖がっている。あの日の記憶を、あの日の感覚を、思い出して。
深紅が怖い。雪が嫌い。震える身体を無理矢理抑え込んで圧し殺す。ロックオン・ストラトスはおれに手を差し出した。

「独りで立てる。」

その科白は、彼に言ったのか、
それとも、自分の過去に言ったのか、
自分でもよく分からない。

空を見上げた。
灰色の空。先程まで少し覗いていた太陽は完全に雲の奥に消えた。
まるで、おれの心のようだ。

雪は、やみそうにない。




2011.08.09
2013.04.30修正


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