「…え?惺が帰って来てない?俺達より先に発ったのに?」
トレミーに戻った俺とティエリアは、真っ先に惺の事を訊ねたが、返ってきたのは予想外の科白。惺はまだ此処には来ていないらしい。
何処かに寄り道でもしているのか。それとも何か問題にでも巻き込まれたか。ウンウン唸っていると、後ろからガタリと物音。振り返れば、何時にも増して無表情な惺が立っていた。
「惺、遅かったな。何かあったの……か…」
優しく問い掛ける。その刹那、振り向いた誰もが彼女の瞳を凝視した。
「…お前…、左目の眼帯は…」
そう、彼女の左目には何時も着けている眼帯が無く、深海のような紺碧が鈍い輝きを放っていた。
あんなに、左目の存在をひた隠していたのに、一体何があったのか。
しかし、彼女はまるで俺の声など聞こえていないとでも言うように無言を貫いている。
「惺」
思わず彼女の腕を掴む。
「俺達、メリッサを追い掛けて行ってからどうなったのか、まだ報告してもらってないんだが」
ストレートに問う。教えろ。何かあっただろ、と。しかし、ギロリ、と半ば睨み付けるように振り返った彼女は、小さな声で告げた。
「…おれは、月だ。」
「…え?」
一瞬、何を言っているのか分からなかった。暫しの沈黙。ああ、そう言えば、以前俺は裏側の見えない月を惺と似ていると表した。その事だ。
惺は、真っ直ぐに俺を見詰めた。

「…裏側を見せずに廻り続ける。おれは最初から最後まで暗い宇宙[そら]に独りだ。」

すぅ、と息を吸い込み。
「もう、おれに構わないでくれ。」
はっきりとした拒絶だった。初めて会った時こそ、拒絶されてはいたが、最近になって漸く心を開いてくれているのかと思っていたのに。
俺は、掴んでいた腕を離した。
惺は、そのまま振り返る事無く、自室へと戻って行く。
カツカツ、と靴音だけが響く中、何とか彼女の心を引き留めようと、俺の唇は勝手に言葉を紡ぎ出した。
「確かに…!」
惺は歩みを止めて立ち止まった。律儀にも話だけは聞いてくれるらしい。俺は精一杯彼女の背中に言葉を吐き出す。
「ここからじゃ…っ、月の裏側なんて…、お前の心なんて…っ、見えない…!だけど…っ!」
汗ばむ両手を握り締めた。伝われ。この思い。
「俺達には、ガンダムがある…!月の裏側にだって!俺達は!俺達なら!行けるんだ!」
惺が、ゆっくりと振り返る。怖いくらい、無表情で。

「だから…、お前の心にも、俺は…きっと、辿り着けると、信じてる…」

惺はゆっくりと唇を開いた。しかし、何かを話す前に再び閉じられてしまう。
数秒間、俺を見据えたまま、何かを考えている。
一瞬だけ、彼女の瞳が揺らいだのを俺は見逃さなかった。
まるで、悲しむような、何かを怖れているような。口には出さずとも漆黒と紺碧は語っていた。
「惺」
もう一度、名前を呼ぶ。
この思いは彼女に届いただろうか。少しでもいい。伝われ。彼女を独りにさせたくない。
ゆっくりと背中を向ける惺。
気のせいだろうか。
「人間なんて嫌いだ」と、聞こえた気がした。







「…あたまいたい。」
ぼすっ、と正面からベッドに飛び込んだおれは、痛む頭を押さえながらぐるりと反転。天井を見上げた。
クリアに見える視界。焦点が合うようになった事も相俟って違和感がする。本来ならば、其処には無いもの。
嗚呼。目眩が止まらない。
『…――俺が、ここで頭領を倒す。惺さんの仇を討つ』
潮風が憎しみを運ぶ。
耳の奥でずっと響いているメリッサの叫び声。
あの後、銃を壊されて再び逃げ出したメリッサを追い掛け、崖まで走った。殺すつもりで追い掛けた。逃げ場を失ったメリッサは抵抗する。そして、引っ張ったり引っ張られたりを繰り返し、
彼を崖の下の濁流に突き落とした。
きっと、生きてはいられない。
おれはまたひとり人間を殺した。
「…はぁ」
溜め息ひとつ。

「…お前の瞳を通して見る世界は未だ醜い。」

こんな世界、早く無くなれ。




2012.09.21
2013.07.19修正


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