眠れない時に、空を見上げるのは彼女の癖らしい。
よく夜中に窓辺で佇む姿を目撃した。今夜も然り。彼女は硝子に手を添えながら月を見上げていた。
月明かりだけが彼女を包み込む。
「惺」
俺は思わず彼女を呼んだ。月明かりに照らされた彼女が、悲しそうに見えた。そう、何時だって、彼女は月の下で悲しみに暮れていた。その理由は分からない。だけど、出逢ったばかりの頃から、ずっと、そうだった。
「…またお前か、ロックオン」
小さく溜め息を吐かれる。しかし、彼女がまだ悪態をつける程に元気だという事が確認出来て少なからず安堵する。俺はなかなか過保護なのかも知れない。いや、もしかして、本当は、
「また眠れないのか?」
「…考え事だ」
「それを眠れないって言うんだろ」
小さく苦笑した。が、直ぐに真面目に問い返す。
「また、思い出せないのか?」
彼女はあからさまに眉間に皺を寄せて見せた。この間、惺は何かを思い出せずに眠れない夜を過ごしていたから。もしかして、今夜もまたそうなのか、と、問い掛けてみた。しかし、彼女は小さく首を振った。
「なんだ、別の考え事か?」
問い掛けるが、見事なまでに無言。おそらく肯定の意。
「………」
「………」
沈黙。
彼女は月を見上げたまま固まってしまった。俺は、そんな彼女をじっと見詰める。月明かりの下で、今宵の彼女は何を考えているのだろうか。

「…月ってさ、」
「…………。」
「公転周期と自転周期の関係で、地球からは同じ面しか見えないんだってな」
「…知ってる。」
彼女の答えに、俺は微笑んだ。
ゆっくりと惺に近付く。カツ、カツ、と靴音だけが辺りを支配する。こんな風に、彼女の心にも近付けたら良いのに。そんな、穢れない欲望が胸に蔓延る。
「同じ面しか見せずに回り続ける月――…」
小さく息を吐き、

「…惺。お前と、似てるな。」

本当の心を圧し殺して、ポーカーフェイスを貫くお前と。凄く、似ていると思うんだ。違うか?
お前の裏側はどうなってるんだ。その仮面の下で何を思っているんだ。そう、浅ましいくらいに知りたがる俺がいる。
惺の横に並び、彼女と同じように月を見上げた。ムカつくくらい、綺麗な、上弦の月。
「…お前は…その裏側で何を思っているんだ…?」
月を見上げたまま、呟くように問う。
「…少しくらい、俺に言えよ…。一人で抱え込んでると、そのうちお前、耐え切れなくなっちまうぞ。」
その華奢な身体の何処に、膨大な闇を隠し持っていると言うのだろうか。仲間だと言うのに、彼女はちっとも俺達を頼ろうとしてくれない。寧ろ、ソレスタルビーイングを利用して一人で動いているよう。どうすれば、彼女と本当の意味で仲間になれるのだろうか。
ゆっくりと隣を見る。すると、バチッ、と瞳が合う。
「なっ、なん…!」
突然、見詰められてたじろぐ俺。対する惺は眉根を寄せて、
「…手」
と、一言。
「えっ?あっ!」
思わず手を確認すれば、無意識に彼女の手と自分の手を重ね合わせていたようで。俺は、急いで「悪い!」と離した。
「………っ、」
「………。」
妙な沈黙が流れる。
惺は小さく息を吐いて、再び月へと視線を戻した。
俺の心臓は早鐘のように打っている。なんだ、この、気持ちは。

「…おれの…」
「…う、うん?」
「おれの故郷と…近くにある島が戦争を始めると…連絡が来たんだ…」
小さく紡がれる。
「おれは…故郷を捨てたんだ…。世界を壊す為に…生きているんだ…。そう、分かっている。分かっているけど…」
月に縋り付くかのように。
「あいつと居た時間を…あの場所を…失いたくないと思っている愚かな自分が居る……。可笑しな話だ…。手放したのは、他でもない、おれだと言うのに…」
小さな声で、「未練がましい奴だ」と自嘲する。そんな彼女に、俺は何と言えば良いのだろうか。故郷を救いに行け?それとも、故郷を見捨てろ?そんな無神経に言葉なんて出せない。彼女は悩んでいるのだ。一生懸命、考えているのだ。ならば、こう言うしか無い。きっと。
「…行ってみたらいいんじゃないか?」
惺は目を見開いた。小さく「…え、?」と洩らして。
「何も、今答えを出す必要なんて無いさ。実際に故郷に戻ってから決めるってのもあると思うけど」
惺は腕を組んで月を見上げる。暫く、月を見詰めたまま、その先に答えを探していた。
そして、再び俺を見る。
「…そうだな。」
ただ、その一言。
彼女の横顔は酷く憂いを帯びていた。







あれから数日。
久しぶりに故郷の土を踏み締めた。発った時と全く変わらぬ景色に、身体中が戦慄く。やっぱりこの島は変わらない。何処か遠い目で見詰めているもう一人のおれがいる。
「惺、ここがお前の故郷、か…?」
隣のロックオンがおれに訊ねた。
おれは小さく頷く。故郷に一度戻るとスメラギさんに伝えた際に、ロックオンとティエリアも同行させろ、と言われ、彼らも此処“第五区”に連れて来た。スメラギさんに、一人で何とか出来る、と説得を試みても、何時ぞやのミッションの時のように跳ね返されてしまった。おまけに、その何時ぞやのミッションでは、事故に遭う、と言う前科がある訳だから、スメラギさんの条件を仕方無く飲む羽目になった。
人知れず溜め息をつく。独りの方が良かった。故郷にこいつらが居ると、妙な気分になる。落ち着かない。吐き気がする。まるで、過去を晒しているような。今までの出来事を見透かされそうな。
「惺、」
おれの考えている事が分かってしまったのだろう。ロックオンがおれの名を呼んだ。
「そんなに警戒して…、独りで片付けようとするな…」
「おれは、」
ロックオンの科白を遮る。彼の視線を振りほどくかのように、顔を背けた。違う。惑わされるな。
(おれは、罪人)
(愛しい人間を、この手で、殺めた)
(そして、復讐者だ)
(誰の、手も借りない)
あの時の思いを忘れたのか、惺・夏端月。
思い出せ。おれは、こんな人間じゃないだろう。

(もっと、非情に)

『私は…革 派 統  娘。あな を わす為 此処に  れた よ。』

「…――何を誤解しているんだ、お前は」
「…――え、…?」
「少し話しただけで、おれを分かったような気になるな。」
そう、お前が言ったように。おれは月なのだから。

「…――おれは、誰も信用などしない。」

本心を、感情を、圧し殺して廻る事くらい、簡単に出来る。
あの、孤独に煌めいている月のように。

『…――月が…綺麗ですね…』

不意に、愛しい声が頭に甦る。
ゆっくりと、下弦の月を見上げて。裏側を見せずに回るその月を。あそこには何れ程の海と闇が潜んでいるのだろうか、と、想いを馳せる。
おれは、静かに自嘲すると、「確かに、」と頷いた。


「…闇が深い程、綺麗に映る。」




2012.09.16
2012.09.17修正
2013.06.02修正


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