怠惰陰陽師 | ナノ
呪詛



池の淵に手を付き、水を吸って重たくなった制服ごと池から上がった。そうすれば濡れていた服があっという間に乾いてしまう。完全に乾いた事を確認してから目の前にある板張りの縁側へと座り、紗雪は他が戻ってくるのを待っていた。そんな彼女の傍らには御影がいる。手にしていた薬包らしきものと水の入ったコップを手にしていることから飲めと言うことだろう。それを察し、紗雪は大人しく薬を水で流し込んだ。次の瞬間、そのあまりの苦さに彼女は縁側に突っ伏したまま動かなくなってしまう。その間に池から、どんどんと表世界へと人が戻ってくる。



「これ、紗雪。皆、戻って来おったぞ」
「うげぇ吐く何これ人間の薬じゃない。鯛焼きぃぃぃぃ」
「冥府の小倅からもろうた物じゃ。人の口にあわんのは当然よ。三日三晩、不眠不休で働けるほどの薬じゃ。今のお主には丁度良かろう」



冥府は、年中無休いつだって人為不足に喘いでいる。そのための薬なのだろう。そんな人間が飲んではならない気がする薬を飲まされた紗雪は、呻きながら口許を押さえた。とにかく口のなかに広がる苦味を何とかしたくて五狐が寄越した鯛焼きを詰め込んでいく。栗鼠のように頬を膨らませた彼女の頭を誰かが思い切り叩いた。



「何してるの?安倍さん?」
「ふぁべてう」
「口に物をいれたまま喋ったらあかんで。幸村くんも女の子の頭を叩くのも良くないで」
「……んぐっ。餅入り鯛焼き美味しい。もう一個」
「ねぇ、これ見てたらイラつかない?」
「まあな。おら、紗雪。食べんのやめろ」



跡部の言葉に鯛焼きを掴んでいた手を止め、しょぼーんと肩を落としてそれを見つめる。食べて良いかとばかりに顔色を伺い、子犬のような目をする紗雪。だが、彼からしてみれば、見慣れた行動のために無言で首を横へと振る。そこに金色や千歳が可哀想だと声をあげた。もっと言えとばかりに彼女は、二人を振り返る。だが、無理やり視線は、前へと戻された。



「ええ加減にしぃや、紗雪。結構食べたんやから我慢できるやろ」
「……むっ。そんで食べるのを止めさせて聞きたいことは呪詛の事で良いのかな、立海と四天宝寺諸君や」
「ああ」
「おん」
「では。…面倒くさいからやだー。鯛焼き食べさせろー」
「はぁ!?」



呪詛の話が始まるかと思えば、紗雪は、駄々を捏ねる子供のような声をあげた。それに気を抜かされた立海と四天宝寺。氷帝は、やはりこうなるかと諦めにも似た表情を浮かべている。はっきり言って彼女は、その場の空気をぶち壊す天才。空気クラッシャーなのだ。テケテケの件が良い例である。猫の子のように襟首を持たれ、一先ず部屋へと放り込まれる紗雪。畳の上をコロコロ転がっていれば、向日に足で踏まれ、止められてしまう。踏まれたのが気に食わないのか。その足をべしっと叩いた。



「踏むなよ汚い」
「お前がコロコロ転がってるからだろーが」
「ほら、起きろって。疲れてんのは分かるけどよ、行儀悪いぞ」
「…この女、何時もこんなんなんか…」
「たるんどる!シャキッとせんか!シャキッと!」
「やだ断る」



ぷくくっと口許だけで笑みを作って笑えば、更に真田の怒鳴りが響いた。怒られたわけではない切原が、びくりっと肩を震わす。そんな様子を見ていれば、部屋の障子が勢いよく開かれた。そちらへと誰もが視線を投じれば、彰子の姿が。彼女は、真っ直ぐ紗雪へと駆け寄ると涙目で抱き付いた。かと思えば、容赦ないビンタを喰らわす。まさかの不意打ちであり、見事にヒットしたため紗雪は、目を丸くさせながら周りに自分は、叩かれたのかと問う視線を向ける。唖然としながらも静かに彼らは頷いた。



「ひ、姫さん?私、何かやった?」
「いま何時だと思ってるのよ!わ、わたし、ずっと不安で…それに今の紗雪の霊力が……とても少ないわ。私のせいで、霊力は、紗雪の命に関わるのに…それなのに暢気だし…」
「えっ、ちょ…泣かないで、五狐、なんとか、」




慌てふためき、どうしたものかとオロオロしながら紗雪は、雛菊を抱きしめる。はらはらと真珠のような涙が幼馴染みの瞳から溢れていく度に彼女までもが泣きそうな表情を浮かべていく。ここで双方に泣かれても困るので五狐や氷帝が二人を宥め始めた。何とか落ち着かせた頃に紗雪は、チラチラと彰子へと視線を向けることをやめる。さながら飼い主の機嫌を伺う子犬のようであった。



「ごめんなさい、取り乱してしまって」
「心配やったんやし、しゃーないわ。気にせんといてな、彰子ちゃん」
「ありがとう、小春ちゃん」
「…ほんで、さっきの命に関わるやら何やら話してくれても良いんじゃないんか?昼間もはぐらかしおって」
「……しつこい男はモテないよー。まあ、仕方ない。姫さんは、別室ね。聞かせたくないし」
「ささっ、彰子殿」



五狐に伴われ、後ろ髪を引かれる様子ながらも彰子は、出ていく。彼女が自分自身に引け目を感じているからこそ何も言わなかったのだろう。そんなものを感じる必要なんてないのにと紗雪は何時もの無表情に戻りながら制服の右腕の裾を捲った。彼女の手の甲から腕にかけて広がる歪に引き攣れた赤黒い傷痕。けして女の腕には似つかわしくないそれを改めて目にした彼らは、息を呑んだ。あの時のように直ぐには消えたりせずに、雪のように白い肌に映えている。



「これが呪詛だよ。普段は、私の霊力で抑え付けてる。今は少し抑えきれなくて出てきちゃってるんだけど。霊力が減りすぎると抑えきれなくなって死ぬ」
「…氷帝は、知ってたんやな?」
「ああ。俺たちも当事者だからな」
「当事者?」
「はい。僕たちが元はと言えば紗雪さんを巻き込んだんです…」
「長太郎、私は巻き込まれたなんて思ってないよ。偶々、居合わせて見付かった私が悪い」
「何があったんすか…?」



その問いに静かに息を吐き出した紗雪は、ゆっくりと口を開く。そして三年前の出来事を語り始めた。




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