怠惰陰陽師 | ナノ
脱出



ギシギシと何かが軋む音。当然ながら紗雪以外の人間にも聞こえており、顔色を悪くさせているのもいる。さて、どうしたものか。扉に手を掛ける跡部に待ったを掛け、侑士の背から降りた。



「私だけで行く」
「何言っとんねん。自分だけ行かせられるか」
「此処まで来たら一緒に行くに決まってんだろ」
「自己犠牲なんぞありがたくもないぞ」
「死ぬ気はないんだけど。はぁ…取り敢えず自分の身は守ってよ。特に首はね。それと、これ回し飲みしといて」



ペットボトルに入れられた清水を投げ渡し、全員が飲んだのを確認すると扉を開けた。ギシッギシッ。宙に浮かぶ足が視界の端で揺れる。見上げれば、首を吊った氷帝の制服を着た少女の霊が此方を見下ろしていた。血走った赤い目に浮腫んだ顔。紗雪は目が合った気がした。今回は除霊ではなく浄霊をしなくてはならない。出会い頭から、とんでもない光景を見せられた面々が小さく悲鳴を漏らすのを聞きながら伸びてきたロープを掴んだ。既に自分の身は守れと言ってある。ちゃんと避けてくれることを願いつつ、そのロープを自分の側へと強く引いた。



「私達はお前の仲間入りするつもりないし、ここはお前のいるべき場所じゃない。…あー、やっぱ言葉が通じてなさそう」
「諦めはやっ!真面目にやれよ!」
「やってるし。…彼女は寂しいんだよ。だから仲間が欲しい」
「絶対にいやや!仲間なんてなりとうないわ!」



襲い来るロープを避けながら小さく溜め息を吐き出す。これでは、何時まで経っても片が付きそうにもない。逃げることに疲れた事もあり、ロープを避ける事を紗雪は止めた。当然、彼女の首にロープが巻き付く。ロープと首の間に指を挟ませているので今すぐ窒息死すると言うことはないが、苦し気に表情を歪めた。



「安倍さん!?」
「待ってろ、直ぐに!」
「このままで良い。わざと掴まったから。…ねぇ、今まで私と同じように殺してきたんでしょ?その人達はどうなった?此処にはいないだろ。こんな事しても仲間は増えない。何時まで経っても独りだ」



ギシリッギシリッ。紗雪の言葉に否定するように軋む音が大きくなる。首を絞める力が強まり、足が宙へと浮かぶ。それでも彼女は表情を変えようとはしなかった。確かに独りは嫌だよ。でも、こんな事をしても誰も君の側には留まらない。だって、その人達には此処に留まる程の強い未練も何もないから。未練がなければ、死んだ人間は百の巡りの輪へと戻っていく。例え、それが本人の望まぬ死だとしても。そう語り掛ける声は水面のように静かで穏やかなもの。



「此処では君の仲間は見付からない。だから本来の場所に戻るべきだ。…よく思い出して、君にだって家族や友達がいただろう?その人達がいたところに行こう。まだ間に合うから」



ギシリッギシリッと軋む音が、ぴたりと止まった。血走った少女の目を真っ直ぐに見つめ、紗雪は柔らかく微笑んだ。少女の口が微かに動くのを見て頷けば、ロープに込められていた力が緩む。そのまま教室の床へと足を付けば、それと同時に少女は小さく微笑んで淡い光となって霧散していく。浄霊が完了した証拠だ。悪霊であっても浄化されれば、その魂は真っ白になって百の巡りへと戻っていく。そして、また生まれ変わる日を待ち続けるのだ。ロープを握っていたはずの手を開けば、人形が握られていた。



「紗雪!なんちゅー無茶しとるんや!」
「ロープの痕が残ってんじゃねぇか、馬鹿野郎が」
「んー?仕方ないよ。ロープを通してじゃないと彼女の気持ちは分からないし浄化を促せないんだもん」
「浄化を促す?そんな事をしてたの?」
「そう。ふわふわして、ぽかぽかしてる優しいイメージを霊力を通して伝えるの。悪霊というのは大体がマイナス思考だから、それをプラスに変えてやれば言いわけだ」
「ただ除霊するだけやないんやなぁ…」



変に感心気味の金色から目を逸らし、雛菊を見れば落ち着きなく歩き回っていた。まだ完全に話す事が出来ない未熟な神使から目を離そうとした瞬間。雛菊は、猛ダッシュで教室を飛び出していく。まだ芥川の人形だけが見付かっておらず、それを見付けたのかもしれない。慌てて全員で追えば、そのまま外へと出ていってしまう。しかし、そこで紗雪達は足を止めてしまった。そう、地面から伸びる無数の白い腕を見て。



「…ここ、通るのか?」
「うん、仕方ない。行ってくる」



走って行けば、どうにかなるだろうと紗雪は侑士の背から降りて走り出す。しかし、彼女は壊滅的に足が遅かった。故に数メートル先で腕に足を掴まれ、転ぶと言う何とも言い難い失態を犯し、そのまま足や体に白い腕が巻き付いていく。呆れたように氷帝陣が駆け寄って救出する。そのまま流れで結局は全員で雛菊を追うことになった。噴水を横切ったところで尾を振りながら待っていた雛菊は、此処を掘れとばかりに前足で地を叩く。其処を掘れば、最後の人形が転がり出てきた。それも無数の腕つきで。



「ぎゃあああああ!」
「や、やっぱこうなるんか!」



悲鳴が聞こえると同時に走り出すレギュラー陣の反射神経に感心しながら名前を呼ばれた気がした紗雪は、噴水まで戻ってきて足を止めた。其処を覗きこみ、何か納得したような表情で水へと手をいれる。一先ず白い腕をどうにかしなければならないと彼女は、水に自分の霊力を流し込んで即席の清水を作ってしまう。懐から出した札を投げ入れれば、水が弾けとんで周りへと雨のように落ちていく。白い手が消えていくのを見つめながら手招きをした。



「びしょ濡れになってしまった…。まあ、いいや。取り敢えず噴水を覗いてみなよ」
「御影様…?」
「ど、どちらさんや…」
【まったく奇妙な場におるものよ…探す我の身にもならんか、お前たち。ん?なんぞ、増えとるのぅ】
「御影様、どうして此処が…」
【我は神ぞ。人の子が作った空間への干渉なぞ容易い。道を繋げてやろう、帰ってきぃや】
「ですが、七不思議がまだ一つ残ってて帰れないのでは?」
【そうさなぁ…。お前たちが六つ目を片付けた時点で空間は紗雪がつつけば崩れるほど脆くなっておる。故に我が道を繋げることは造作もない。…それに気付かんほど弱っておる馬鹿を連れて戻ってくるのじゃ】



その言葉に誰もが紗雪へと視線を向けた。何時もながらの無表情だが、微かに顔色が悪いのが見てとれる。この空間にいるだけで霊力は削られ、加えて術の行使。疲れないはずがない。それに対して平気だと緩く首を振り、折っていた膝を伸ばして立ち上がった。帰るならば帰ってしまいたい気持ちが紗雪にはあったが、それよりも気掛かりなのが七番目の悪霊である。雪女をやったほどの悪霊ならば放っておけはしない。



「君達だけで帰りなよ。七番目の悪霊を野放しにしておくわけにはいかないから」
「無茶ですよ、紗雪さん!俺達と帰りましょう。この空間は霊力を削る。それぐらいなら俺だって知っています」
「オカルト好きが…余計な知識を仕入れてきたな」
【日吉の言う通りじゃ紗雪。呪詛で半分もの霊力を普段から持っていかれている故に負担も大きい。万全ならまだ知らず呪詛に犯された体で何が出来ると言うのかぇ】



呪詛。その言葉に氷帝以外からの視線を再び向けられた紗雪は分が悪いとばかりに深く溜め息を吐き出した。降参、日を改めて祓うよ。そう言って両手を上げて降参のポーズを取った。その答えに満足したように御影が頷けば、水に波紋が広がって姿が消えていく。代わりに水面が淡く光り始めていた。其処へ紗雪は戸惑いなく飛び込んでいき、水から頭を出して次に見たのは高い位置に浮かんだ月だった。




×
人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -