怠惰陰陽師 | ナノ
むかしばなし



その日は、どしゃぶりの雨だった。バケツを引っくり返したような大雨に紗雪は、うんざりとした表情で窓の外から視線を逸らす。そのままクラス内を漂う浮遊霊を見つめていた。そんな彼女は、クラス替えが行われてから二ヶ月が経った今もクラスでは、浮いた存在。特定の友達を作らず、何をするにも面倒がって動きもしない。体育の授業に一度も出たことがない身であり、まともに授業を受けている姿が一度たりともないと有名である。それ故に中学二年に進級すると同時に怠惰の代名詞と称され、一種の天然記念物と化していた。それならば他人から興味を持たれそうなものだ。しかし、常に何か別のものを見ている。そんな噂が広がり、敬遠されがちであった。幼稚舎から知っている者ならば天然なのだと一蹴して話し掛けるのだが、生憎と現在のクラスに幼稚舎からの知り合いは皆無。一年から同じクラスの人間がいる程度だ。けれど、誰とも言葉を交わすことはない。

異質な存在は、爪弾きする。

だから紗雪は、浮いていた。そして誰とも行動を共にしない。精々、他のクラスに散らばっている幼馴染みの四人程度だ。その彼らに頼まれて気紛れに助けた人物には一切関わるなと言っておいたが、放課後においては無駄な忠告に終わっているが。しとしとと降り注ぐ雨音の合間に聞こえてくる地を這うような低い声。この世のものではないそれに耳を塞ぎ、漏れでる霊力を押し殺す。自分が見付かれば、彰子もまた見付かってしまう。"あれ"には、自分は叶わない。殺されて力を与えてしまいかねない。それは避けるべきだ。全神経を集中させ、必死に気配を隠した。気が付けば、放課後で。漸くと離れた気配につめていた息を吐き出した。



「あっち、行った…でも、あっちは…」



テニスコートがある。幼馴染みの顔を思い浮かべ、紗雪は眉を顰めた。護符を持たしてはいるが、あれでは見付かった場合には逃げられないだろう。それに厄介な力を持った奴もいる。霊力がないとは言っても喰えば、それなりの力にはなるはずだ。狙われない可能性はなくもない。だが、それは低い確率だ。どうしたものかと考えつつ、彼女は自分の影に潜む式を呼び出す。一匹は家へと伝言を頼み、もう一匹はテニスコートへと向かわせる。忘れ物を取りに来たらしいクラスメイトに見られたが、さほど興味がなく、紗雪は真っ正面から視線を受け止めた。相手が何か言おうと唇を震わす。――世界が反転、した。

先程まで目の前にいたはずのクラスメイトは、見当たらない。空間を切り離されたのか、それとも弾き出されたのか。辺りを見渡し、窓の外を見ると普段と何も変わらない光景が広がっていた。つまり普通の世界へと弾き出されたのだ。今のクラスメイトの他に誰が空間に閉じ込められた。紗雪は、嫌な予感から無意識に生唾を飲み込んだ。式の気配が途切れている。陰陽師の勘は、ただの勘ではない。鞄と細長い布に包まれた何かを肩に掛け、テニスコートへと足を向ける。最悪の事態を想定して自然と早足になっていく。テニスコートへと着けば、喰い散らされた式の残骸が転がっている。けして弱くはないはずなのに、それを容易く殺してしまうなんて。雨に濡れるのも構わず、瘴気の残滓を手繰り寄せようとした。けれど、上級の妖ほど痕跡を残さず消えていく。いま、ここで力を使えば気付かれてしまう。だからと言って見殺しに出来るはずがない。



「ふるえ ふるえ ゆらゆらと ゆらゆらと 闇に誘う風あらば――」
「醒めて 現 時わたり。…あれ?確かに声がしたのになぁ。禍歌なんて珍しいもの詠ってるから隠れてるのかなぁ」



何時の間にか背後にいた声の持ち主に弾かれたように振り返った。あまり歳が変わらないであろう少年が黒の傘をクルクルと回して遊びながら辺りを見渡している。傘から飛ぶ水に不愉快そうに顔の前に手を翳しながら相手の顔を紗雪は、見つめた。おそらく、人。けれど、ひしひしと感じる違和感の正体が掴めずに胸のうちに靄が広がっていく。人なのに、人じゃないと矛盾した気持ちが涌き出て止まらなかった。禍歌を知っているなんて普通じゃない。本来は死者の魂を呼び起こす歌。つまり、あの世とこの世を繋げる力を持つ。それを利用して無理やり他の空間への道を開けようとした事に気づかれただろうか。息を殺しながら徐々に開きつつある道に身を投げ入れた。落下時に感じる独特の浮遊感に身を任せながら上を見上げれば、少年と目が合い、彼がにやりと口許を歪めた気がした。それに目を見張り、紗雪の表情には険が滲む。あれは、本当に人だったのだろうか。気になりはしたが、他に考えなければならない事もある。漸くと地に足がついたところで彼女は、思考を切り替えた。今は、とにかく幼馴染み達を探さなければ。異国情緒溢れる街並みが広がる中を歩き、紗雪が歩いたところから街並みは、砂塵と化して消えていく。何もない空間を背後に果ての見えぬ道を歩き続けた。



「あれは…」
「紗雪!?お前なんで…!」
「探しに来たの。見付かる前に帰ろう。私の隠行の術が破れるのは時間の問題だから」
「おい、待ちやがれ!てめぇは、此処が何処だか知ってやがるのか?」
「それは後にして。死にたくないでしょ?その様子だと襲われたみたいだし。ジロちゃん、どんな奴だった?」
「んー、おっきくて虎みたいな奴で背中に羽がはえてたよー」
「…外つ国の妖か。権力闘争に負けたか何かで流れてきたのかね。尚更、早く出ないと」



頭に浮かんだ妖に苦虫を噛み潰したような表情を浮かべ、肩に掛けていた鞄を宍戸に預けると布にくるんでいたモノからそれを取り去った。所謂、劔(つるぎ)であるそれの鞘には様々な呪法が刻み込まれている。劔を片手に布を折って鶴を作りながら紗雪は、歩き出した。振り返りもしないで着いてこいとだけ告げて。歩きながら彼女は、自分達の置かれている状況を客観的に分析してみた。虎の姿に似た妖――窮奇は、おそらく狩りをしているのだろう。自らが造り上げた空間に閉じ込め、それを殺さないように追い掛けながら弱るのを待っている。心身ともに疲れきり、絶望に染まった魂ほど美味しいものはないとの話だ。例えるならば調理段階と言ったところか。布の鶴を手遊びしていれば、肩を掴まれて足を止められた。



「なに?」
「貴女は何者ですか?向日さん達の幼馴染みとは聞いていますが…正直、信じられません」
「ふぅん、それは学園の爪弾き者だから?別にこの件が終われば関わらない君に教えるつもりもないね。死にたくないなら少し黙ってて。…岳人、悲鳴あげないでよ」



向日に釘を刺してから手遊びしていた鶴に呪いを施して宙へと放った。そうすれば、それは何処か別の場所へと飛んでいく。鶴を追うように闇の向こう側から現れる無数の妖たちは、紗雪たちには気付かないのか。そのまま間をすり抜けるように駆けていく。妖の群れの中を平然と闊歩しながら聞こえてくる声に耳を澄ました。

"違ウ、コレデハナイ"
"何処ヘ消エタ"
"探セ"

ああ、もう身代わりは使い物にならなくなってしまったか。そう紗雪は、独りごちた。時間稼ぎにもなりやしない。それほど雑魚とは言え、力があるのだ。これで見付かりでもしたら本当に危ない。黙って後を追い掛けてくる幼馴染みとテニス部を一瞥し、どうしたものかと思案した。下手に術を使えば、隠行の術を破られる。気づかれてはならない。気付かれずに道を抉じ開けるには、やはり禍歌か。だが、それに先程の少年がまた反応したら。それを考えると紗雪は、動けそうにもなかった。しかし、選ぶなら禍歌である。そう思った矢先に突然、彰子が悲鳴をあげた。その時に紗雪が目にしたのは、金色の毛並み。眼前で剥かれる長い牙に反射的に劔を噛ませ、直撃を回避する。だが、牙は腕をかすっていた。



"見付けたぞ。小癪な技を使う方士!よくも邪魔をしおったな!"
「紗雪っ!!!」
「煩い!それより姫さんは!?」
「な、なんか右手に傷みたいなのが…!」
"癒えぬ傷、消えぬ傷。あの極上の霊力は、我の餌に相応しい"
「っ、呪詛を埋め込んだのか…」
"ぎゃはははっ!喰ろうてやる喰ろうてやる!我の糧となるがいい!"



ギリギリと劔が押し返されていく。血生臭い息が顔へとかかり、眉を寄せた紗雪は、気付かれぬように短い詠唱を口にする。蒼白い光とともに上に乗り掛かっていた窮奇を吹き飛ばし、直ぐに体勢を立て直す。硬直する面々を叱咤し、走り出した。今は、逃げるしか手段がない。式神がくるのが早いか、それとも掴まるのが早いか。彼女は、舌打ちをして彰子の右手を見つめる。そこからは、黒い瘴気が立ち上っていた。





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