眠れぬ暁をきみは知らない | ナノ
低体温に寄り添う



ドアを叩く音で朱綺は意識が浮かび上がった。まだ眠気が抜けきらない頭を抱えながら体を起こそうとしたが出来ず、シーツの中に引っ張りこまれてしまう。そう言えば、伏見と一緒にいたのだと上手く回らない頭が思い出す。そう、彼が寝てしまって気が付いたら自分も寝てしまったのだ。未だに聞こえてくるノック音に伏見が煩わしそうに声を漏らす。そこで朱綺は硬直した。完全に目が覚め、頭がスッキリとしていく。昨日の伏見は制服だった。つまり仕事をしていたわけで、今日も仕事ではなかろうか。慌てて声を掛け、肩を揺り動かすと漸く目を開けた。



「猿比古、仕事!同僚の人が来てるよ」
「……ねみぃ」
「ダメ、さっきからずっとドア叩いてるもの」
「ったく、面倒くせぇな…。話してる間にシャワーでも浴びてろ。洗濯機も勝手に回して良いから」
「わかった。あ、メガネ」
「ん。タオルは洗面所にあるから」
「うん」



面倒くさいとぼやきながら伏見は玄関の方へと歩いていく。面倒くさいと言っても彼は仕事があるのだろうに。テーブルの上に置かれている時計を見れば、針はちょうど十時を指していた。これは、まずいと朱綺は思いながらシャワーを浴びにいく。シャワーを浴びている間に洗濯機を回し、髪を洗ってしまう。それにしても、こんなに眠れたのは久しぶりだ。いや、それより早く帰らなくては。朱綺の脳裏に泣きそうになりながら帰りを待つアンナの姿が思い浮かぶ。出来るだけ早く起きるつもりだったのに体内時計が上手く働かなかったために起きられなかった。あきらかに寝不足の伏見が起きれるはずもないのだから、自分が起きるべきなのに。沈みかけた気分を奮い立たせるように頭を振ってシャワーを止めた。



「お先に入らせて頂きました。猿比古、怒られた?」
「別に。寧ろ倒れてないか心配された」
「あー、隈が酷かったからね。今日は、だいぶマシかな?」
「ああ。俺も浴びてくるから適当にテレビでも見て待ってろ」
「仕事は?」
「……ある」



あると言った時の伏見は、それはもう嫌そうな顔をしていた。仕事があるならば朱綺も気兼ねなく吠舞羅へと戻れる。一緒にはいたいが、仕事ならば仕方がないうえに家主がいない此処にいるわけにもいくまい。此処の場所がいまいちよく分からないがなんとかなるだろう。迷子になったなんて過去は、すっかり朱綺の頭の中から抜け落ちていた。言われた通りにテレビをつけ、ニュース番組を見つめる。圧倒的にこの世界での知識が彼女には足りていない。それをよく理解しているから娯楽ものよりニュースを見てしまう。この世界にいくら対応しようとも何時か帰ると言うのに。何だかセンチメンタルな気分に自然と溜め息が漏れていく。今を見れば良いのに、どうして未来を考えてしまうのか。あーでもないこーでもないと思考を巡らす朱綺の首に腕が回され、背に微かな重みを感じる。どうやら思考の海に漂っている間に伏見が出てきたらしい。髪から水の滴が溢れ、彼女の服に落ちていく。



「猿比古、ちゃんと拭かないとダメだって言ったのに」
「ん、」
「タオル貸して。仕事あるなら早く準備しないと」
「面倒くさい、怠い」
「そう言われても…。私も帰らないといけないしさ。心配してるだろうし」
「帰るな、此処にいろ。吠舞羅の奴等なんか放っておけよ」
「…どうしたの?別に会えないわけじゃいよ?」



朱綺が帰ると言葉にした途端に伏見の腕が彼女の腰や背中に回される。まるで逃がさないとばかりの力に朱綺は戸惑いながら、宥めるように声をかけた。それでも顔をあげようとしない伏見に困ったように苦笑を浮かべ、その広い背中へと腕を回す。そして、ゆっくりとリズムをつけながら背を叩いた。



「よく分からないけど今ここに私はいるよ?消えたりしない」
「知ってる。けど、俺が朱綺のいない時に消えたみたいに消えるかもしれない」
「でも、手紙は残してくれた。大丈夫だよ、そんな簡単には消えたりしないから。ね?」



暫くして渋々と言った体で腕の力が緩められた。膝立ちをしていた朱綺は、ちゃんと座って伏見と目線を合わせる。中断していた髪を拭く行為を再び始め、この二ヶ月間の出来事を話していく。他愛もない話ばかりをしながら伏見が準備を終えるのを待った。迷子になられたら心配だからと途中まで送ってもらうこととなり、他の人に見付からないように寮を後にする。繋いだ手からの体温を感じながら見知った場所まで歩いた。お礼を言い、手を放そうとした時に腕を引かれた。唐突なことに驚く朱綺の額に何か柔らかいものが触れる。それが何なのか分かった彼女は頬を染め、伏見は悪戯が成功した子供のように笑った。






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