眠れぬ暁をきみは知らない | ナノ
幼い魔物



カウンター席に座り、なるべく短い説明を口にする。朱綺自身も何が起きたかは良く分かっていなかったが、それは相手の方が顕著であった。とんだ空想の話だろうが、それが事実なのだから仕方がない。それに、これと同じ事を彼女は以前にも経験があった。そう、伏見の一件だ。あれから一ヶ月が経つわけだが、まさか自分自身がこうなるとは夢にも思ってはいなかった。一先ず、此処が何処だかはっきりさせてから以後の事は考えよう。そんな思考と共に告げられた地名は鎮目町であった。何処かで聞いたようなと朱綺は眉を寄せる。しかし、はっきりとは思い出せずに頷くに留めておく。きっと自分は情けない顔をしているんだろうなぁ。そう思いはしたが取り繕う気力さえない。



「つまり朱綺ちゃんは異世界の住人かもしれへんと」
「そうなるんですかね。すいません、変な話になってしまって」
「にしても慌てたりしないんだね」
「以前ちょっとだけ知り合いに似たような事がありまして。その人は帰れたんで多分平気かなって思いまして」



そう、彼は戻れたのだ。ならば自分にもそれが当てはまるだろう。出来るだけポジティブに考え、厚意で出してくれたカモミールを口にする。多少なりとも落ち着いた気がして上手く働いてくれない表情筋がぎこちなく笑みを作った。そんな朱綺をアンナは悲しげに瞳を揺らしながら見つめていることに本人はまったく気が付かない。彼女の心から覗くのは何時も寂しいと言う感情だけ。それを知ってるのは幼いアンナだけである。その寂しい気持ちが昔の自分に酷似しており、だから彼女の手を取ってしまう。自分よりも、ずっと大人のはずな雪篠朱綺と言う人間の脆さを感じ取り、故に放っておけない気持ちにさせられる。



「あの、取り敢えず近くのビジネスホテルの場所を教えて頂けませんか?お金はあるみたいなんで後の事は気楽に考えます」
「そうは言っても此処の事は分かんないんだよね?それじゃあ大変だよ」
「う、それは…」
「……ミコト、」



不意に朱綺から離れ、アンナはソファーに座る周防へと駆け寄った。何かを訴えるような視線を向けられ、何だと問えば彼女は朱綺を此処に置いてと言う。それを聞いた張本人は飲んでいたカップを落としそうになり、それを慌ててキャッチしてから勢い良く否定の言葉を口にした。これ以上の迷惑を掛けるわけにはいかないという心情からの言葉だったのだが、アンナは悲しそうに表情を暗くさせる。それを目にし、朱綺は良心が痛んだ。極めつけに涙目で袖を引かれれば、反論の言葉を吐き出せる訳がない。何とか打開策を考えようとしたが、あまりにも悲しげに訴えてくる瞳に思考が乱されてしまう。



「ダメ…?」
「あの、ですね…私が言ってることは嘘かもしれないんですよ?ですから見知らぬ人間を住まわせてなんて簡単に言ったらダメなんです」
「朱綺は嘘つかない。それに名前を知った時点で知らない人じゃないもん」
「え、えー…困ったなぁ」
「朱綺は此処がやだ?嫌い?」
「そう言うわけじゃ…」
「じゃあ良いよね?」



丸め込みに掛かったところ自分が丸め込まれると言う失態を演じた朱綺は目線を合わせるために折っていた膝を伸ばし、困ったように保護者であろう周防を見やる。我関せずとばかりに酒を呑んでいるので次いで十束、草薙を見れば微笑ましい光景を見るがごとく微笑んでいるだけ。アンナへと視線を戻せば、未だに引いたままの袖を更に引きながら涙目で訴え続けていた。これでは自分が悪いような気分までしてきて罪悪感にさいなまれていく。ここで誰かが拒否の姿勢を示せば良いのだが、誰もが二人のやり取りを見守るのみである。朱綺にとっては気まずく流れていた静寂を打ち破ったのは周防の一言であった。



「…好きにしろ」
「お、キングのお許しが出たね」
「ミコト、ありがとう」
「あ、あの!ちょっと待って下さい」
「諦めぇや、朱綺ちゃん。尊がええって言っとるし、こんままやとアンナが泣いてまうで」
「え………お、お世話になります」



草薙の言葉に反射的に下を向けば、今にも泣いてしまいそうな表情で自分を見上げるアンナと目が合ってしまう。そこで朱綺の心は折れてしまった。こんな幼い子供を泣かせてしまうのは本当に申し訳ない。そのうえ上目遣いとくれば、折れない筈がない。世話になる旨を伝えた途端に彼女の顔は輝き、朱綺の腰の辺りへと抱き着く。それを受け止めながら申し訳ありませんと今一度、謝罪の言葉を述べた。






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