∴ 50 「まだ尻拭いするような事は起きてはいない。それに万里はまず皇を選んだ。優秀で有名で発言力もそれなりにはあるナンバーワン様だ。そんな人間が信じれば、上手く踊ってくれるだろ」 「ああ、ソウだね」 「僕達の組織が長年望んできたことだ。穢れた聖書を元に戻す。そのためには世界に悪魔の存在をじわじわと広めていかなくてはならない。その計画は始まったばかりだ。いいから落ち着け」 「スィ。その通りダ。悪かったよ」 苦笑しながらタバコを灰皿へと押し付け、アレッサンドロは頬杖を付いた。自分が創られてから25年。その間に様々な歴史を教えられた。異教徒のコンスタンティヌス、テンプル騎士団の壊滅。フリーメイソンの立ち上げ……そして、魔法発見により改変されていった歴史。 ローマは自身をより神聖なものへ、何よりも神聖なものへと強欲になり、魔法という歴史を取り入れ、本来のキリストではなくなってしまった。 その過ちを正すために、万里、浩、アレッサンドロが所属するとある修道会が今、革命を起こしているのである。 全ては研究成果の結晶である悪魔・万里にかかっている。 自分ではなく、万里に… 「………」 小さくため息をつき、顎髭を撫でながら浩を見た。 「まあ、イイよ。この大胆な集団自傷未遂が、どう変化していくのか楽しみダネ。スィニョール皇もどう動くのか見物サ。さっきまで彼がここに居てね、ちょっとイジワルを言っちゃったヨ」 「へえ、悪魔を否定するような事でも言ったのか?」 「うん、肯定なんてしてしまったら、それこそ彼は上手く動いてくれなくナリそうだ。今頃傷付いて万里に慰めてもらってルだろうね」 「慰められたら意味がないだろう」 「そんなことは無いよ。彼は聡明だから、グズグズに甘やかされてよしよしされたとしても、心の中では真相を知りたがってイルはずだよ。少し落ち着いたら、彼なりにまた調べ始める。そうしたらそこからまた、徐々に悪魔の存在が頭を出して行くんだ。今度は世界中にネ」 「ふうん。まあ、今は見守るだけだ」 そう言うと、浩は再び自身の彩色をミルクティーのような淡い白に変色させ、部屋を出て行った。 *** ヒューゴ・ブラウンは穏やかな笑みを浮かべながら、廊下でテキストを取り出す生徒二人を見下ろしていた。魔法史の教師でもある彼は、高等部の生徒からよく質問を受けるのだ。 「先生、2231年に出来た特別魔法教育化と、2236年に出来た特別魔法教育義務化というのはどう違うんですか?魔法学は2231年の時点ではあったんですよね?」 「ああ、それはだね、まず、2223年に魔法適正テストが全世界でスタートされましたね?そのテストの基準値を超えた人が、魔法使いの素質がある人だと認定されました。その人達の為の教育機関というのが、特別魔法教育化によって出来た専門学校なんですよ。このラシガンのようなね。既に魔力がある生徒を教育する為の学校を作りましょうという方針です。 そしてその4年後に、人は教育により魔力を高められるという実験結果が出ました。なので、2236年の特別魔法教育義務化というのは、専門学校ではない、普通校でも魔法を学ぶ授業を設けたのですよ。君たちが体育や美術を習うのと同じように、魔法科を全校に作ることが決まりました。 そしてそこから魔力があり、素質がある子は魔法学コースに行って魔法使いになったり、魔力がなくとも魔法と科学の結び付きに興味を持った子は技術職についたりもしています。君も、普通校で魔法学を学ぶうちにセンスと眠っていた才能が磨かれ、ラシガンに来たタイプでしたね?」 そう丁寧に説明をすると、熱心でまじめな出会い生徒はテキストにシャーペンでメモ書きを始める。 その様子を嬉しそうに眺めながらも、窓の外で風に揺られてガラスを軽く叩く木の枝の音を注意深く聞いていたのだ。 −コン、トン、コン、トントン…コン…… 『ア・カ・イ……ク・ツ・シ・タ……赤い靴下。これは何かを発見した時の合言葉だ』 二種類のトーンの異なる音で伝えられたメッセージ…モールス信号をヒューゴは解読すると、穏やかな表情は変えずに、生徒の顔を覗き込む。 「他に質問はありませんか?」 「大丈夫です。ブラウン先生ありがとうございました」 「はい、分からない事があったらまた聞いてください」 テキストを抱き、行儀よく頭を下げて去っていく生徒を見送ると、ヒューゴはその長過ぎる脚で廊下をずんずんと歩く。 伝えられたメッセージに胸騒ぎを覚え、ざわざわと肌が粟立った。 今から7年前の2363年の冬。 アメリカ、ワイオミング州とカンザス州にその施設はあった。 魔法探知機にヒットしないように上手に隠されたその施設の面積は、二つともそこまで大きくはない。せいぜい普通学校がすっぽり入る程度のもので、よくある工場施設のようなものだった。 見た目だけは。 中は蛻けの殻であったが、人体実験が行われていたのは確かだ。処理をし忘れたのだろうか、人間なのか猿なのか、生き物なのか判らない奇形の生物の死骸や、施術台。何かと何かを合成したような、昔で言う錬金術でもやったのではないかと思わせる不気味な"跡"が数多く見られた。 何を創っていたのかは解らない。だが、確かに人間を使って何かを創っていたのかは確かだ。人を燃やして処理をした火魔法の痕跡が見られたからだ。 ヒューゴの所属するFBIでは、この二つの施設の調査が今も行われており、そしてその調査は、とある組織にも繋がった。 ガチャン! 勢い良く風属性の棟にある自身の私室の扉を開けると、パソコンを操作しながらこちらに頭を下げる南野仁の姿が。 彼はこのラシガンで高校二年生の生徒として存在しているが実は違う。歳は今年27。立派なヒューゴの部下だ。 「何か見つけたのか?」 「はい、大和デパートの防犯カメラに入り込んだんですけどね」 「大和デパート?」 何故大和デパートなのだろう。 意味が解らぬまま仁の隣へ行ってモニターを覗き込むと、そこには屋上のフードコートエリアにて、買い物客に混じり、皇咲弥と天空万里、そして南野仁が映っている。 カメラの角度的に仁は背中を向けており表情は解らないが、万里と談笑しているようだ。咲弥はつまらなさそうに飲み物を飲んで俯いているのが辛うじて分かる。カメラの右端に表示されているデジタル時計から、昨日だと分かる。 「これがどうした」 「分かりにくいんで並べます」 屋上に設置された防犯カメラは一台ではない。何台もあり、様々な箇所を映している。その中から一つを選ぶと、今3人が映っている画面の隣に、もう一つの映像を映した。それは屋上の随分と端の方で、ベンチに座って飲み物を飲んでいるカップルの後ろ姿が、右斜め上から撮影されている。 そのベンチの右端の方を指差した。 「先輩、これ見えますか?俺のピアス浮いてるんですけど」 「ピアス?」 指された所を目を細めて見ると、ベンチの影に隠れるようして、確かにアクセサリーのような丸く小さい物が浮いている。下から風で煽られているかのようにふよふよと上下しているのが確認出来た。これは言われなければ分からないほど影を被ってしまっていて、正直ピアスなのかも判らない。時折陽の光があたり、チカリと反射するのを見て辛うじてキラキラした石があると判断出来る程度だ。 「これはお前の魔法か?」 「そうです。俺、常にどこかしらで魔法発動させてるんですよ」 「……それが役に立ったと?」 「おそらく。……見ていて下さい」 言われた通り眺めていると、浮いていたピアスは静かに沈んでいき、デッキ材の床へと着地した。 仁達が映っている方を見ると、変わらずに万里と仁がおしゃべりをしていて、咲弥はつまらなさそうにしているだけ。 その状況が4分26秒ほど続くと、突然、咲弥がひっくり返った。 『ん?』 椅子ごと派手に倒れた咲弥に、万里は椅子から降りて介抱し、仁は心配そうに腰を浮かせて見ている。 すると、ベンチ付近のピアスは再び浮き始めた。 「先輩、この時の俺は一度も魔法を解除してないんすよ」 「解除していない?」 「はい。常に浮くようにピアスに魔法をかけていました。でも、4分26秒間、ピアスは浮かずにいた。これがおかしいんです。そんな長い間解除なんてしていない」 「……なんだって?」 では、あのピアスが沈んだという事は、何者かがその魔法を妨害していたと言うことか?いや、妨害なんてされたら仁なら気付くはずだ。4分以上も気付かないなんて有り得ない。 「この魔法は特別なことか?何か意味があってやっていたのか?」 「いや、特に意味はありません。ただ、何かあった時の為にこうして離れた場所に俺の私物を浮かせとくんです。あれの中には先輩にしか通じない俺の情報が入ってるんで、いざとなったらなるべく先輩の元に届くように魔法で飛ばすつもりです」 「その保険のために、常に魔法を使っているのか?」 「そうですよ。睡眠時以外では常に」 「睡眠時以外?となると、この映像は…」 「はい。おかしいんですよ」 仁クラスになると、ピアスのような軽量のものを低い位置で常に浮かせることなんて、何も意識せずとも出来る魔法だ。呼吸することと同じように、何の負担もなく持続出来る。 それなのに、この時だけは魔法が解除された。 「…意識はあったのか?」 「勿論ありました……でも、皇が転ぶ瞬間を、何故かちゃんと見ていないんすよ」 「それは、一体…」 ヒューゴは仁からマウスを奪うと、別の角度から仁達の見えるカメラを探した。仁の顔−特に口の動きを確認したかったのだ。 しかし、都合良く仁の顔を確認出来るカメラ映像は無くて、どれも別の場所を映している。 仕方なく、カメラ映像を元に戻して今度は万里の表情を観察した。 「"俺が行ってた所って偏差値低いから"、"南野が来たらすぐ学年一位になれるよ"、"もうマジやばいんだって。俺見たら分かるでしょ?"…天空がこんな事をお前に話しかけているみたいだが、覚えているか?」 万里の口の動きを確認しながら、声に出して仁を見る。すると彼はスッキリしないような顔をして、鼻から息をもらした。 |