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「失礼します。水属性科二年S組、皇咲弥です」
「ピアチェーレ!スィニョール皇、待ってましたよ。ボクは火属性科三年生担当のアレッサンドロ・マルコーニです。気軽にアレックスとか、アレクって呼んでくださいネ」

火属性科教師・アレッサンドロの私室へ入ると、この陽気なイタリア人は両手を広げて咲弥を歓迎し、日本ではあまり体験しない頬へのキスをされた。教師でも生徒にそういうことをするのだな、とぼんやり思いながらも笑顔で受け入れ、腰に手を回されたままソファへと案内される。
アレッサンドロは有名な教師だからもともと知っていた。何故有名なのかは、単純にイケメンで生徒の人気が高いからだ。

「今コーヒーを淹れますからチョット待っててくださいネ。ああ嬉しいなあ。ボクは君とじっくりお話してみたかったんですヨ」

アレッサンドロの部屋は火属性科の部屋とは思えないほど何も無い 。全体的に明るくて白い室内にはパキラやアレカヤシといったリビングに置くような観葉植物がある。棚だらけのヒューゴの部屋とは違い、下がオレンジの腰壁にはアーティスティックな写真がいくつも飾ってあるし、天井からぶら下がっている照明もデイジーの花をそのまま逆さまにしたようなオシャレなものだ。ヘリンボーン柄の床は、この部屋だけの特別なデザインらしい。アレッサンドロがリフォームしたのだろうか。
上品なクリーム色のソファに細くスタイリッシュな木のローテーブル。ソファの向かいにはなんとテレビやオーディオ機器がある。
奥には仕事用の机とパソコンがあるが、そこだけ唯一"教師っぽさ"があると言った感じで、あとはオシャレなモデルルームみたいだ。

「ありがとうございます」と彼の方を向くと、アレッサンドロは手をヒラヒラと振りながら隣の給湯室へと消えていった。「ボクは世界一のバリスタですから期待していて下さーい」なんておどけて見せながら。

豊かで艶やかな黒髪を整髪料でルーズに後ろへと流したヘアスタイルは、アレッサンドロの色気をこれでもかと引き出している。長い前髪は右側へと緩やかに流し、それを時折掻き上げる姿はイタリア生まれのイケメンだから似合う仕草だなと咲弥は思った。
キメの細かい美しい白い肌に、眠そうな中に怪しく輝くパリジャンブルーの瞳と、綺麗に整えられた顎鬚がまたセクシーで、彼のような濃い顔だからこそ似合っている。
上質なスーツを着こなし、スマートでスッキリしている体のラインを出すアレッサンドロは教師というよりモデルみたいで、ファンが多い。
そしてこの明るい性格とフレンドリーな接し方で余計に人気が高いのだ。
水属性の咲弥は火属性の授業を受ける事は無いので、名前と見た目だけ知っている程度で、こうやって会話をするのは初めてに等しい。まあそれはお互い様だろうが。

「お待たせしましタ!特別にボクの炎で温めたお湯を使いましたヨ。愛情をたーっぷり込めたから絶対美味しいはずサ。さあ、召し上がれ」
「いただきます」

咲弥に気を使ってなのだろうか、泉のように青いカップに、白鳥が羽ばたいている陶器の装飾が施されており水属性を連想させる。ソーサーはその羽ばたきに水しぶきをあげているように縁が波打っていて美しい。確か台湾の有名なブランドのものだった気がする。
とても歓迎されていることが伝わり、咲弥は嬉しいけれど気まずい気持ちにもなった。

そんな咲弥の隣にアレッサンドロは自然と座り、まるで恋人でも相手にするかのように肩に手を回してくる。そして馴れ馴れしく後頭部に一つキスをしてきた。
これが万里だったらバカと叫んで睨みつけるし、日本人の教師なら問題に思うのだが、フレンドリーでこうもオープンなイタリア人と考えると仕方ないかなと思えてくる。
でもここまでスキンシップをされるのは流石に困るので、苦笑しながら離れるようにずれて座り直した。イケメンにされて嬉しい性癖があるわけではないからだ。

「それで、ボクに話ってなんだい?もしかして、好きな女の子の口説き方とか?」
「あはは、いえ、そういうのではなくて」
「ア!もしかして、ボクを口説きに来たのかな?んんー?」

そうおどけるアレッサンドロを見ると何だか話しにくい。咲弥の聞きたいことはアレッサンドロからしたら抽象的で頭の悪い質問だからだ。

「ああ、その…凄くくだらないことなのですが、先生は悪魔についてどう思っていますか?その、先生のお父様がカメルレンゴで、そういうことにはお詳しいと聞いたので…」
「オー、悪魔ですか」
「イタリアだと日本よりはメジャーですよね?」

口にして後悔した。なんて馬鹿そうな質問だ。馬鹿な上に失礼だ。すぐにすみませんと謝りながらアレッサンドロを向くと、彼はニコニコとした人好きする表情を崩さずに少し考える素振りを見せてから話し始めた。
咲弥が思っているよりも彼は真摯に受け止めてくれているらしい。

「天使ではなく悪魔なのですネ?」
「はい、出来れば悪魔でお願いします。すみません、変なことを訊いて」
「ダイジョーブです。スィニョール皇のような生徒が興味を持つのには何らかの相応な理由があるのだろうとは思っていマスからネ」

生徒に質問をされたら答えるのが教師デス。そうウィンクをするアレッサンドロに、咲弥は安心して頷いた。

「そーですネ…日本の仏教では、悪魔は仏の道を邪魔するもの…主に煩悩と言われていマスね。そしてヨーロッパのサタンやデーモンを単純に翻訳した言葉が"悪魔"で、オニやテングと言った日本特有の文化でもありません。西洋から伝えられたキャラクターです」
「キャラクターですか…」