∴ 32 五 アーパスへ花瓶を見せると彼女は飛び跳ねるほど喜び、愛らしい声でキャーキャーと騒いだ。「咲弥にしては素敵なセンスよ!ありがとう!」なんて礼を言いながらくるくると舞っていて可愛かった。 その笑顔を見るとホッとして、ほんの少しだけだけど元気になれた。 「やっぱり君は女の子なんだね」 〈当たり前でしょ!ほら、早く活けて!〉 「はいはい」 水を入れた花瓶に薔薇を差し、早速彼女の隣に置いてやる。そうすると可愛いキレイをこれでもかと繰り返しながら跳ねるのだ。 その無邪気さ、愛らしさが今は有難い。 アーパスは何も知らない。 この世界の仕組みも、社会の常識も、魔法使いのことも、学校での咲弥の立場も、万里の正体も…何も。 何も知らずにこうしてはしゃいでいるのだ。無垢なのだ。 その事実が今、どれ程咲弥を癒しているか。 「アーパス、悪魔って居ると思う?」 〈アクマ?なぁにそれ。動物?〉 「ううん。悪い神様だよ」 〈神様って居るの?〉 「私は居ると思うよ。いつもお祈りしているからね」 〈それは違うわ。咲弥がお祈りしてるのは精霊よ。神様じゃない〉 「あはは、そうだね。でも私にとっては神様みたいなものなんだ。それに、精霊じゃない神様もいるかもしれないよ」 〈ふぅん〉 お湯を沸かしてお茶をいれた。普段は温かい飲み物なんて出されない限り飲まないのだが、今はその温かさを欲している。 〈神様って総理大臣より偉い?〉 「総理大臣?もちろん、総理大臣より偉いよ」 〈じゃあ沢山働いてるの?〉 「沢山働いているんじゃないかな」 〈天皇よりも働いてる?〉 「てん……なかなか言いにくい質問するね」 笑うとアーパスは不思議そうな顔をしながら、「神様って偉いのね」と言った。よく解らないけど偉い存在だとは認識したらしい。 〈悪魔も偉いの?〉 「偉いのかは判らないけど、神様と同じくらいの力を持っているよ」 〈働いてる?〉 「そうだね……うん、働いてる」 〈でも悪い神様だから悪いことしてるの?ヤクザみたいなこと?〉 「ヤクザぁ!?あははは!そうかもね、ヤクザみたいかも。あはは!」 とんでもない発言に、咲弥は思わず吹き出した。アーパスの純粋で、そして天然な言葉が凄く愛しいし可愛らしい。 沼の奥底へと沈んでいた心が少しだけ浮上して、なんだか軽くなったように感じて、気持ちを切り替える為に深く息を吐く。 「ああ面白かった。アーパスは天才だね」 〈天才マジックペットだもの〉 「そうだね忘れていたよ。はあ、ちょっと落ち着いたな、夕飯にしよっか。今夜は何がいい?」 〈咲弥、私バラ食べてみたい!〉 *** その夜、咲弥は光魔法のことや悪魔のことを調べた。 天使や悪魔といった、宗教の象徴研究は昔は栄えていたようだが、この魔法の時代では殆ど研究されることが無いため、これと言った文献を見つける事が出来なかった。 代わりに浩に教えられた光魔法の仕組みについてはたくさんの記事がヒットしたので、それを熱心に読んだのだが結局、浩に教えてもらった以上のものは得られなかった。 万里は悪魔だから人を操れるし、悪魔だから不思議な魔法を使ってサタンの粒子を見せられる。もうこう考えるのが自然だし、そうとしか考えられない。 では、彼が本当の悪魔だとすると、厄災はどんなものになるのだろうか… 『魔女狩り…』 万里は魔女狩りも悪魔の厄災だと言っていた。そして現代だとその魔女狩りよりも巨大な厄災を起こせるとも。 『それよりも巨大ってなんだよ』 魔女狩りの発端は、悪魔と結託しキリスト教社会の破壊を謀る背教者という人種が「魔女」とされた。それが15世紀のことで、その時に大規模な魔女裁判という名の大量虐殺が行われたのである。魔女と言われるため誤解をしやすいが女性だけではなく、男性も含まれる。 無知による社会不安から発生した集団ヒステリー現象であったと考えられており、背教者迫害と言うよりは、知識人への恐怖により、当時の人間には考えられない知識を持つ人間を恐れ、魔女と認識して処刑したという説もある。 15世紀から18世紀までに全ヨーロッパで推定4万人から6万人が処刑された大迫害時代…それ以上の不幸がこの星に起こると万里は言うのだ。そしてその規模を抑えられるのは咲弥だと。 「……っ」 昼間の事を思い出して体が震えた。あんな事は初めてだ。 いつもは勝手に体を操作されてセクハラをされるだけだったのに、今日は精神から仁や他の人たちを操って自傷行為のような事をさせた…子供まで巻き込んで。 『何で今まで気付かなかったんだろう…』 そうだ、万里の魔法はこんな事も出来てしまう魔法なのだ。咲弥にいやらしい事をさせる魔法ではない。人を操って傷付けて、殺そうと思えば簡単に殺してしまえる。そんな恐ろしい魔法…悪魔の力を持っているのだ。 「………」 誰かに助けてほしい。どうしたらいいのだろうか、この悪魔とどう接していけばいいのか… そう絶望していると、机の隅に丁寧に畳まれたメモ用紙が視界に入った。 |