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店員や客達のおしゃべりが消え去り、虚しいBGMと地上でのクラクションの音だけがやたら大きく聞こえる。
周りの物が消えてしまったかなような静けさ…

「…っ!?」

辺りに視線を走らせると、屋上にいる人達が全員、仁と同じ体制になっていたのだ。

「な…なにこれ…」

皆、左手をテーブルに付いて右手はフォークや箸、ペンのような細長い物を逆手に握り、左手へ振り下ろさんと高く掲げている。
店員も客も、子供も、後ろの席のカップルや隣の席にいる女子高生も、あそこにいる老夫婦まで全員…咲弥と万里以外全てが。

「ごめんなさい!お願い…おねがいだからやめて!…信じます。天空くんが悪魔だって、信じるから…やめて…!!」

あまりの事に涙が溢れて倒れ込んだ。椅子を倒して床に手を着いた咲弥は、万里の足に縋るようにしがみつき、声を震わせて懇願する。

「どうしたの?」
「こんなのやめて、本当、やめて!…うっ、やだ…ひどい…お願いだから、」

全身が恐怖でカタカタと震え奥歯がガチガチ鳴った。やめてとお願いしか言葉が出せない。血の気が引いていき、真っ白な指を真っ青にさせ必死にスラックスを掴み、首を横に振る。

「悪魔ってさ、こういうことなんだよね。この程度だったら簡単に出来るんだよ。これよりもっと規模が大きいのはサタンの粒子に頼らなきゃ出来ないけど、このくらいだったら楽勝だよ。あ、全員を屋上から飛び降りさせることも出来るんだ」
「やめて!お願い!それだけはやめて…!も、嫌がらないから。天空くんの言うこときくから…私を天空くんにちゃんと差し出すから…」
「俺に素直に最後まで抱かれるって意味?…うーん、何かこういう無理やりっぽいのあんま好きじゃないんだよね。咲弥がちゃんと俺を求めてくれるまではシたくないかなぁ。ああ、まあもう咲弥は俺のことを好きなんだけどね。気付いてる?」

何を言っているのか理解が出来ぬ程、頭が働かずに涙をボロボロと流し、首を横に振ってばかり。
何でもしますから、と力無く言うことしか出来ず、惨めったらしく縋りつく。

「咲弥は無意識のうちに俺のこと好きになってるんだよね。うーん…いつかちゃんと気付いてくれたらいいなぁ。早く気付いてくれなきゃ大変なことになっちゃうし……聞いてる?」

万里の大きな手が降りてきて、咲弥の小さな頭を掴んだ。ボールを拾うようにそのまま持ち上げられ、涙で濡れた顔を上げさせられる。

「……っ、ぅ…」

自分を見下ろす、炎のようにユラユラと揺れる金色の瞳は、楽しそうに歪められていてその残酷な表情は正に悪魔だ。

「この目はね、ちゃんとした悪魔の証だよ。魔法使い達みたいな色素の抜けた間抜けな金色じゃないでしょ?立派なゴールドだ。咲弥はさ、本物の黄金を見た事がある?」
「……ぁ、あり、ます…」
「じゃあ分かるよね?あの滑らかで艶やかな輝き。まるで液体のような深い色にツヤ。金色なのに光によってたまにオレンジに見えたり、光沢で黒に見える部分もあったり。俺の瞳は正にそれだと思わない?全世界の馬鹿な王達には決して手に入れる事が出来ない美しさなんだ」
「ぅ、あっ…」

頭に指が食いこみ、そのまま上へと引っ張られ、痛みで顔が歪んだ。このまま頭蓋骨を砕かれるかと思うほどの力で、痛みで息ができない。
引っ張られるままに足を付いて起き上がり、万里の顔の高さまで上げられる。
悪魔の高い鼻が、咲弥の鼻先へと触れた。

「覚えて俺の目。これが悪魔だよ。綺麗でしょ?ただの無能で馬鹿で一つの魔法しか使えない愚かな人間なんかより、全然綺麗だ。この目は俺だけ。俺にしか出せない色だよ。覚えて。もう忘れないで」
「ぁ、うぅ…」
「もう解ったよね?咲弥は頭がいいからちゃんと理解できるはずだよ」
「ひっ……は、はい……」

その瞬間、世界に音が生まれた。
操られて止まっていた人達が動き出したのだ。

「ああもう、咲弥大丈夫?」
「え、皇どうかしたの?」

手を離された咲弥は再び床に倒れた。両手を付いて這いつくばるような体制の咲弥に対し、万里は大袈裟に驚いて膝を付く。

「咲弥がいきなり椅子から転げ落ちてさ。あー、ビックリした。怪我ない?」
「おいおい皇大丈夫か?擦りむいてねぇ?」
「………」

ローヴについた埃を落とすように肩や背中をぽんぽんと叩く万里に、椅子から腰を浮かしてこちらを伺う仁。
何も言葉を発せられず、首を縦に振ることしか出来ない。

それからはあまり記憶にない。何かしら理由をつけてその場を離れた気がする。