∴ 30 「南野、くん?」 彼の腕を掴んで揺すっても無反応で揺すられた力に合わせて、少し体が揺れただけだ。それ以外は何もなくて、"無"のみ。 「安心して。彼を精神から操ったんだ。"何も聞くな。人形になれ"って。だから彼は俺らの声もその他の音も聞こえていないし見えてもいないよ」 「うそ…」 「嘘じゃないよ。言ったでしょ?体だけじゃなく精神から操れるって」 それを、今やった… 何で今!?何で彼に!? 咲弥の体に緊張と恐怖が走り抜け、冷たい汗が流れる。嫌な予感しかしなくて、口の中が乾いていき上手く言葉が出ない。 「な、なんで、今…」 「咲弥とお喋りしたかったからだよ」 「ここ、じゃなくても、いいでしょ」 「二人っきりの時だと、意味無いからね」 意味がない?そんなことはない。ちゃんと話は聞く。万里の意見はしっかりと聞くから、だからこんな所で…しかも無関係の仁に魔法をかけてほしくない。 「や、やめて…」 それだけを精一杯発するが、万里は苦笑するだけでその願いを無視した。ケーキを食べながら微笑むばかりだ。 「割と疑ってない?俺のこと」 「疑ってる?」 「悪魔って思ってないよね?」 「し、仕方ないじゃないか…それに、疑ってもいいって言った…」 「まあ、言ったけどさ」 フォークを置いてこちらに向き直り、始終微笑を浮かべる万里を見て、通り過ぎて言った女子高生が「あの人カッコイイー」なんて騒いだ。その彼女達の日常的な会話と、万里の異質さとの差が激しくて頭がクラクラする。 彼女達からしたらカッコイイ男子高生なのだろうが、彼は今、友人に魔法をかけている上に、何をしようとしているのか判らない危険人物なのだ。 「天空くんは、何なの…全然解らない…」 「昼休み、ムロヒロと何処か行ったよね。珍しいね、何か話したの?」 「サタンの粒子のことを聞いた。君は私の目を手で覆い、あの粒子を見せたよね。ムロヒロくんが言うには、それが出来るのは光属性だけで、それも、王に近い魔法使いだけって…でも、君は、」 「ん?」 「全然白くないんだ。普通なんだ。ふ、普通の人間で…唯一違うのは、その金色の瞳だけ…」 お願いだから、このまま何もしないで。大人しくしていて。お願いだから… そんな思いが咲弥の心を押しつぶすように膨らんで苦しい。 「そうだよ。俺、ちゃんと言ったよね?全属性、レベルマックスで使えるって」 「解ってるよ。覚えてる。だから……だからやっぱり、悪魔なの?」 「………はあ、」 呆れたように万里は大袈裟にため息を付き、冷めた視線を投げてきた。そして仁を一瞥すると、じっとしていた仁が突然動き出す。 「え?」 仁の左手が上品にテーブルに付き、右手は万里が使っていたケーキ用のフォークへと伸びた。 それを逆手で握ると、左手の上へと移動してピタリと止まる。 「なに、何するのっ!?」 右手の甲には血管が浮いている。 それほどフォークを強く握っているのだ。鋭く細い先を下にして。 「全然信じてくれなかったんだ?ちょっと寂しいな」 「そんな、だっていきなり言われても、解んないじゃん!」 「そりゃそうだけどさ…ムロヒロにちゃんと説明されたんならもう疑う余地ないよね?」 「だ、だって…ねえ、何、やめて。南野くんを離して。関係ないよ!?」 冗談じゃない。仁のあの姿勢は、自分の手にフォークを刺す姿勢ではないか。 逆手に握りしめ、左手へと振り下ろそうと上げられている右手の高さは充分で、簡単に穴があく。 咲弥は顔を真っ青にして万里の腕を掴み、やめてと言うが、万里の表情は冷めたままだ。「えー?何、ケンカ?」なんて声が聞こえるが、そんなの気にしていられない。 「うん、南野は関係ないしここにいる人間、全員無関係だよ。でもそんなの、どうでも良くない?」 心配する声と、警戒して自分達から離れていこうと席をずらす音、「何あれ?」というドライな野次馬の声もする。万里の言う"ここにいる人間全員"が、自分達を注目している。注がれた視線と、投げかけられるざわめき。 だがそれは、すぐに止むのだ。 「…………は、」 突然の静寂が、咲弥を包み込んだ。 |