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大きなソファに腰を下ろし益子焼の白い湯飲み茶碗を両手に持つと、そそがれたほうじ茶のあたたかさが手の平に伝わり、咲弥はそれだけで何だか泣きたくなった。
鼻の奥がツンとして、目が熱くなっていく。このまま何もしなければ涙を零してしまいそうで、怖くなって慌てて湯呑に唇を付けるが、熱くてすぐに離した。

「面白いですね、普通はサボるのなら教授がいない所に行くだろうに。皇くらいですよ俺の所に来るのは」
「…すみません、何処に行けばいいのか解らなくて…」
「寮に帰ればいいのでは?」
「……アーパスと喋る元気がないんです」
「ははは、何ですかそれは」

ここは中等部風属性科と高等部魔法史科を兼任している教師、ヒューゴ・ブラウンの部屋だ。
風属性全般の科が集まるこの棟の3階にヒューゴの私室がある。
授業を兼任する教師がいないせいか、ヒューゴの私室は広くて多い。風属性と魔法史の資料が収められている広い仕事部屋と、この応接間のような部屋と、仮眠室のようなプライベートな空間が用意されている。
応接間の方がやはり規模が小さく、ソファとテーブル、カップ類が入った棚と、彼の華々しい受賞歴が分かるトロフィーやメダルが飾ってあるだけだ。まあそれでも充分なのだが、ヒューゴ的には狭いように見える。向かい側のソファに座るヒューゴは窮屈そうに足を折り曲げてやたら体を縮こませて座っているからだ。

「アーパスは元気だし、女の子だから…」
「部屋に女の子がいるのは嬉しくないですか?元気がないなら俺みたいなおじさんじゃなくて可愛い女の子に慰めてもらいなさい」
「…迷惑ですか?」
「いや、全然」

まあ、ほかの教師よりも広い部屋や仮眠室のような部屋まで用意されているのは、ヒューゴが異様に大きいせいでもあるかもしれない。
なんせ身長が230センチもあり、スリム体型だが体重は勿論100キロ越えの化物のようなドイツ人だからだ。
今年で33歳になるヒューゴは、彫りが深いせい目元にくっきりとした影が出来てサングラスをしているかのように真っ暗。その真っ暗な奥にシャトルーズ・グリーンの瞳がギラリと光るものだから、漫画に出てくる怪物か悪魔のようで恐れられている。
銀髪のオールバックヘアや、咲弥と同じような白い肌のせいか、余計に目元の黒さが際立っていて、とても厳しそうな風貌だ。
実際はとても優しい先生で、こうして気さくに構ってくれる良き理解者なのだが、そう思わせるまで時間がかかってしまうだろう。
中等部の頃、咲弥のいるクラスをヒューゴが担任していたことがあり、そこから親しくなった。今ではラシガンで一番仲の良い教師かもしれない。

「皇が魔法の授業に出たがらないなんて、珍しくてビックリしているだけです。迷惑ではないので安心して下さい。それに真面目に過ごしてきたのですから、たまにサボっても罰は当たりません」

因みに中等部では魔法学を1、2限目に教える為、ヒューゴは午後は比較的暇になるのである。

「ありがとうございます。何か、信じられないことがあって」
「それは俺が聞いてもいいんですか?」
「うーん…」

この教師になら話してもいいのかもしれないと思ったが、流石に話しにくい。信じられないし、多分信じてもらえないし、巻き込んでもいいものか…
暫く考える素振りを見せた後、咲弥は首を横に振って肩を竦めた。

「先生は八属性以外に魔法があったらどうしますか?」
「八属性以外って、別に新たな属性が発見されたらということですか?」
「そうです」
「まあ、いいのではないでしょうか?その可能性は有り得るし、そうなったらより便利な世の中になります。……新しい属性が発見されましたか?」
「…そういう意味ではないですけど…」
「ですよね」

あははは、とヒューゴは笑うと、中腰で立ち上がり、背の高い棚の上にあるクッキーの缶を掴む。彼の身長なら完全に立たなくとも届いてしまうのだ。
贈り物で貰いそうな大きな缶だが、ヒューゴの手に包まれると弁当箱のように見えるから面白い。

「なんと言うか…先生は魔法のことをどう思ってますか?」

ヒューゴが缶を開けると、色んな形のクッキーがギッシリと詰まっているのが見えた。型抜きクッキーやアイスボックスクッキー、絞り出しクッキーにチョコチップクッキーと選り取りみどりだ。こんなクッキー缶をよく祖母の家で見たのを思い出した。
ヒューゴはそこからチョコチップクッキーを出すとポリポリと食べ始め、目顔で「どうぞ」とすすめてくる。正直甘いものはあまり好きではないのだが、嬉しいふりをして型抜きクッキーを一ついただいた。予想通りに甘い。

「どう思ってるか…うーん、そうですね、あまりに抽象的な質問なのでなんと言っていいか…まあよくある言葉で言うと"未知"程度には認識しています…」
「未知?」
「え、だってそうでしょう?」

それは一体どういう意味でだろうか?
咲弥はほうじ茶に口を付け、クッキーで甘くなった口の中をさり気なく清め、首を傾げながらヒューゴを見つめると、彼は言葉を選びながら話し始めた。