熱の条件 | ナノ






黒いジャージ姿にショッキングピンクのサングラス。長い前髪に隠れた小顔は、輪郭が髪で隠れているせいか更に小さく見える。
そして、気だるそうに力が入っていないこの、

「どーも」

ぐったりした声色。
同級生の中野島直人だ。

「こんばんは…」
「どーもこんばんは。メシ作りに来たんだけど」
「え…」

右手を上げてこれ、と見せる直人。何やら食材が入ったレジ袋をぶら下げている。意味が分からず、「何で?」と訊きたいが、口を開く前に直人は部屋へと上がってきた。

「籠原さんが、生徒会の仕事で遅くなるらしいから、代わりに僕が恵くんとメシ食えって言われたんだよ」
「あ、じゃあ、食堂に言ったら…」
「まー、頼まれたのは浅田さんらしーけど、浅田さんがだるいからって僕に命令してきたわけ」
「はあ」

桜介の質問に答えず、腕まくりをして早速手を洗っている。洗面所があるのだが、横着な性格なのか、シンクで手に食器用洗剤を付けて泡立てている。
見づらそうなショッキングピンクのサングラスを掛けたまま、勝手にキッチンを漁り作業をし始めた。

「生姜焼きでいいでしょ?少しは油っぽくなったほーがいいんじゃない?」
「油っぽく?」
「何かカスカスに見えんの。ヘチマたわしみたいな」

突然の訪問、突然の料理。そしてこの突然の失礼な発言に、桜介は何も言えずにパクパクと口を動かすだけ。
直人とは一度もクラスが一緒になったこともなければ、二人で会話をしたこともない。それまでは鷹臣と過ごしてきたし、鷹臣と交えての交流。最近では嗣彦を交えて直人や黎治郎、鴻一と過ごすことばかりだ。
直人と二人きりなんて初めてだし、今まで考えられなかった。
しかも食堂ではなく自室での食事だなんて、どうしたらいいのか尚更分からない。

「な、中野島くん、何で作るんですか?わざわざ作ってもらわなくても、食堂で食べれば…」
「籠原さんとか浅田さんが食堂で食おうっつったら先輩命令だし行くけど、僕、食堂でメシ食わないから」
「え?」
「だから、僕いつも食堂で食ってないじゃん。僕だけコーヒー飲んでるの見てんでしょ」
「あ…そういえば…」

桜介は俯いたまま黙々と食すのみだったから気にしなかったが、確かに直人はいつも飲み物のみだった気がする。

「はぁ?僕、前からこうなんだけど。何も見てなかったのかよ」
「す、すみません…」
「……まっ、仕方ないけど。僕、読モしてるから。だから常にダイエットなわけ。食堂のメシだとカロリー高いから、下のスーパーで食材買って作ってんだよ」

何処にあったのかおろし金を出し、生姜を摩り始めた。桜介は嗣彦と同室になってから、一度も自炊をしていない。正直、調理器具があるのか全く把握していなかったりする。
因みに下のスーパーというのは、下の階にあるスーパーマーケットという意味ではなく、山の下。つまりは学校の前から出ているバスに乗って駅前の商店街まで下りた所にあるスーパーマーケットのことだ。

「そうだったんですか…凄いですね、ちゃんと自炊されて。僕、料理出来ないんでいつも食堂を利用してばかりです」
「別にいいじゃん。白河さんとずっと食堂使ってたんだし。ねえ、玉ねぎ食えるよね?」
「はい、大丈夫です。……あ、すみません、何かお手伝いしますね」
「はー、なんもしなくていい」

ビニール袋に摩った生姜や醤油などの調味料と、豚肉を入れて揉みこんでいる。直人の見た目からは想像出来ない手際の良さに、内心感心した。いつも面倒くさそう、何事にも無関心といった彼だから、料理なんて全く興味がないと思っていたのだ。
服やトレードマークの眼鏡には力を入れているので、それ以外のことはどうでもいいといったスタンスに見える。読者モデルの仕事だって、体型に気をつけてまで続けているとは思えなかった。
そして、何もしなくていいと言われてしまい、どうしたらいいのか分からず手持ち無沙汰にウロウロしてしまう。

「ウザいから座ってれば?」
「……すみません」

渋々ソファに座り、ぼんやりと直人を観察する。
どうせ手料理をご馳走してもらうのなら、アキラに作ってもらいたいなと妄想した。
きっとアキラのことだから、ソムリエエプロンを付けて、手際良くフライパンを振るのだろう。洋食も和食も中華もささっと作り、スマートに皿に盛り付ける。
「君の為に心を込めて作ったんだ」
なんて甘いセリフを言ってくれるかもしれない。はあ、何で此処にいるのがアキラではなく直人なのだろうか…
と、そこまで妄想して、それはあまりに直人に対して失礼だろうと気付いた。

『せっかく作ってもらってるんだから』