熱の条件 | ナノ






桜介の後ろから這い出てきたアキラは、起き上がると手櫛でさっと髪を整え、嬉しそうに笑んだ。

「結構苦労したんだ。四月から毎朝早く来て一人で改装したんだよ」

腰に手をあて、ぐるっと見渡している。
その達成感溢れる表情は格好よくて素敵だが、桜介を酷く困惑させた。
何故アキラがそんな事をするのか…アキラが一人で大きな棚を移動させ、この空間を綺麗にし、絨毯まで用意した。
それが自分と一緒に居られる空間が欲しくて?何故だ。メリットがないじゃないか。

「なん、何でですか…だって、僕と一緒にいても、三島くんにはいい事ないです」

一歩後ろに逃げる。だが、アキラはすぐに一歩進む。あっと言う間に背中が壁に付き、あとは左右どちらかに逃げるしかない。

「そんな事はないよ。いいことだらけだよ」

二人しかいない上に、こんなに近いのは刺激が強過ぎて、ドキドキからバクバクに変わった心音が煩くて仕方がない。

「いい事なんて無いんです…制裁されてしまうかもしれないし、もしかしたらもっともっと酷い目に遭うかもしれません。僕のせいで、先輩が怪我をしたり、同級生が学校を辞めたりしたんです。だから、こんな大変なこと、どうして…」

緊張と戸惑いで上手く舌が回らず、ちゃんと伝えられていない気がした。
その間、ジリジリとアキラとの距離が縮んで行くから、桜介は体を右側へスライドさせるように逃げる。
アキラの、少し辛い香水の香りが鼻腔を掠めた。教室にいる時は気付かなかった。スパイスのような、キリッとした男らしい香り。
ふと俯いていた顔を上げると、目の前には逞しい胸。こんなに近くに居るから香りに気付いたのかと思うと同時に、どちらかが少しでも動いたら密着する距離にいる事が分かり、桜介の顔がボンっ!と更に赤くなる。

「みし、まくん!だから、だから僕には、関わっちゃだめです。もう、無視しててください!それに、何でそんな僕に優しくするんですか、だって、僕は三島くんとお友達じゃないですし、それに、ちゃんとお話もしてない。会話が、会話が何か一方通行で、全然、キャッチボール出来てなくて、あ!その、出来てるけど、普通の友達みたいな感じじゃなくて、写メとかも撮らないし!ラインやツイッターだって、しないし、あと、趣味とかも……」

動揺した桜介は、パッと下を向き一生懸命口を動かした。
本来彼が伝えようとした事を言っているのだが、吃っている上に思った事をボンポンと言ってしまったため、何が何だか分からない文章になっている。

『うわー!何を言ってるのか全然分からないよー!』

あまりのハチャメチャぶりに叫び出したくなる。普通の友達みたいな感じじゃなくて、写メとかも撮らないし。って何だ。何が言いたかったのか本人にも分からない。
好きな人の前で何を訳がわからない事を言っているのかと自分に呆れた。
本当はもっと落ち着いて話し合うつもりだったのだ。でも、アキラがあまりに近くにいるのもだから平静でいられない。
まあ、こんな桜介の姿に引いて離れて行ってくれたら本望だ。とても恥ずかしい事だが…

『何でもいいから離れてほしい!』

いっそのこと、普通に引かせるのではなくドン引きの域にまでいってもらった方がいいのではないだろうか。
このまま一方的にダーッと喋って終わらせよう。
そう決心し、息を吸い込んだ刹那、

「僕は、三島く…!?」

−−キスをされた。

「んぅぅ…!?」

唇が動かない。
言葉を発しようと形を作った唇に、アキラのそれが被さっている。
信じられないが、視界いっぱいのアキラの顔が、証拠となって桜介を驚愕させる。

『え?えええええ!?』

一番最初に感じたのは、両頬への暖かさ。
アキラの掌に挟まれているのだ。
次に感じたのは頬骨に当たる眼鏡の無機質な冷たさと、唇の柔らかさ。
そして、視界いっぱいに広がる、アキラの綺麗な伏せられた睫毛。

「…ん、ぅ…」
「………」

大きな両手で顔を挟まれ、柔らかく薄い唇で自分の唇を何度もなぞられる。
アキラと、
大好きなアキラとキス……

『嘘だ。何これ。何で、僕は三島くんとキスしているの』

体が動かない。
息も出来ないし、指先すら動かせられない。
それくらい衝撃的で信じられない。これは夢でないのか?

「ん、ん………みしま、くん…」
「恵くん…!」

触れ合うだけのキスはすぐに終わり、彼の顔が離れていく。しかし、すぐに力強い腕に体を包まれ、ギュッと抱き締められた。
その力は痛いくらいで、桜介の体が少し軋む。こんなにキツく抱き締められたのは久しぶりだ。
好きな人からは初めてかもしれない。