熱の条件 | ナノ







ドラマや映画の撮影がクランクアップすると、まとまった休みが取れるらしい。その頃を見計らって佳代子は東京からこのA町まで帰ってくる。そういう時は一週間程滞在してくれるのだ。いつもは日帰りか良くて一泊だから、桜介からしたら誕生日とクリスマスが一緒に押し寄せてきたかのようなお祭り騒ぎだ。

「おかあさんに、あとでセミ折ってあげるの」
「折り紙?」
「うん、ほいくえんでやったよ。あと、一緒にトーマスみる」
「オレもトーマスみる!」
「うん、シュンくんも一緒」

そんなことを話していると、車が砂利を踏む音が耳に届いた。

「おかあさんだ!」

それは正しく、和也が佳代子を連れて帰ってきた時の合図だ。桜介はクーピーを投げるように置くと、バタバタと玄関へ走っていく。
玄関の二重扉を開ける前に、ダウンコートを着て涙目の佳代子が飛び込んできた。

「桜介、ただいま!」
「おかあさん!」

しゃがみ込み、桜介の小さな体をこれでもかと佳代子は抱き締め、愛する息子の存在に歓喜しているように見えた。
桜介はダウンコートに埋もれ少し苦しかったが、佳代子が帰って来てくれたことが嬉しくて嬉しくて、必死に腕を伸ばしてコートをぎゅっと掴んだ。
後ろからは和也と、小学校から帰宅したりなが居る。和也が「ついでにりな迎えに行ったからさ、遅くなっちまった」と言っていたが、桜介はそれに反応出来ないくらい、母親との再会に胸がいっぱいになっていた。

「偉いね、ちゃんと待っていたのね。桜介は偉いわ。とってもいい子よ」

涙声でそう言い、桜介の頬を両手で挟み、そのふっくらとした子供らしい顔を見つめると、再び強く抱擁する。
佳代子は帰ってくるときはいつもそうだ。いつも瞳を濡らしている。悲しいのかな?と思って訊くと「桜介に会えるのが嬉しいの」と言っていた。
僕に会えて嬉しいんだ。僕もお母さんに会えて嬉しい。
でもまだ幼い彼は嬉しくて泣くということが解らない。ニコニコと笑って早くお家に入ろう?と佳代子の手を引いた。

しっかりと佳代子の手を握っているから、佳代子はコートを脱げずに、そのまま居間へ行き、座布団へ尻をつけて桜介が書いたという似顔絵を眺めた。あたたかい母の手をギュッと握りなが桜介は絵の説明を始める。

「これはおかあさんとぼく!あと、リスと、ねこと、おかあさんの好きな桜だよ」
「まあ、上手よ桜介。これ、お母さんがこの前テレビで着ていたお洋服?」
「うん!緑のやつ!このリスは、この前ぼくがあげたまつぼっくりを持ってったこだよ」
「よく来る子ね?この猫ちゃんもそう?」
「そう!」
「おうちゃん、リスがくるといつも松ぼっくり転がしに行くんだよ。おうちゃんがいないとき、ばあちゃんがそれやったら、怒ってた」

シュンはその怒っていた桜介が面白かったと笑う。

「そうそう。だから、リスのメシやりはおうちゃんにお願いしてんだってばあちゃん言ってたな」

和也も思い出し笑いをして、煙草に火をつけてから「畑見てくるわ」と部屋を出ていった。今思うと、桜介と佳代子の時間を邪魔しないようにと気を使ってくれていたのかもしれない。

佳代子は嬉しそうに微笑み、桜介を膝の上に抱き直していい子いい子と頭をなでた。しっとりと柔らかく、ささくれもあかぎれもない美しい母の手は、何度も桜介の髪を撫で付け、愛おしそうに自分を見つめる。その温もりは母だけのものだ。
祖父母や叔父夫婦から与えられるものではない。本当に欲しかったあたたかさが、今、桜介を包んでいる。
その幸福感がじわじわと体中を駆け巡り、満たしていく。"甘えられる"、"大好きな人から愛情をこれでもかと与えられる"その、幼児なら当たり前に獲られることが、桜介には何よりも幸せなのだ。

「こっちはねぇ、おだんご食べてるとこなんだよ。シュンくんにおしえてもらったの」
「シュンちゃんと描いたの?」
「うん!」

佳代子は向かい側に座るシュンに「桜介と遊んでくれてありがとう」と礼を言うと、シュンは少し照れたように「うん」と頷き、恥ずかしくなったのだろうか、台所へと逃げて行った。

「………」

二人きりになると、佳代子はうっとりと瞳を蕩けさせたような表情をし、ほう、と吐息する。
何処か脱力したような感じになってから、「やっぱり桜介といる時が一番幸せ」と呟いた。
その言葉はふわっと浮かんでしゅわしゅわと溶けて消えてしまう程に力が無く、儚い。ドラマやテレビで見せる凛々しい姿ではなく、忙しさから解放されたただの母親の姿だった。
桜介はそんな佳代子の姿を見ると「いつものおかあさんだ」と安心するのだ。

「あら、やだよ。佳代子、あんたコートも脱がんで…早く着替えてこっち手伝いなさい。今日はサチ子さん、パートで帰り遅いんだから夕飯作んの大変なんだあ」
「ああ、はいはい。急いで手伝いますよ」