熱の条件 | ナノ







恵桜介は北海道O市のAという町で生まれた。
O空港から車で二時間もかかる山の町が、彼が幼少期過ごした故郷だ。
周りには町唯一の大きなスーパーや一軒しかないコンビニ。潰れて会館になった元駅舎や、数件の家しかない。
あとは山と畑、牛舎のみだ。冬になると一面が雪に覆われ、本当に何もなくなる。
そんな静かな町で生まれた。

母親は保栖夏奈子、本名は恵佳代子(めぐみかよこ)。彼女は二十歳で桜介を産んだ。父親は不明である。桜介は亡くなったと教えられたが、写真やどんな人だったのか、一切教えられていない。
家には祖父母と伯父夫婦、その子供の女の子と男の子がいる。女の子のりさは桜介の三つ上、男の子のシュンは桜介の一つ上だ。
その家で彼は幼い時を過ごした。

「ほれ、おうちゃん、早く中に入りなさい。おかあちゃんはまだ帰って来ないよぉ。今空港を出たんだ」
「ううん、まってる」
「中で待ってればいいんだよ。風邪ひいちゃうでしょ」

雪が積もった庭先で、丸くなるように座り込み、母の帰りを待つ幼い桜介は、同じように外に出た祖母に肩を叩かれた。
マイナス七度の寒空の下、頬を赤くさせて四歳になったばかりの桜介はじっと道路の先を見つめる。
今日は晴れているから良く見える。建物なんて殆どないから、山向こうから車が来たらすぐに分かるのだ。
母の兄である和也(かずや)おじさんが乗っていった車は黒いワンボックス。それに母が乗って帰ってくる。白い世界の中に黒が現れたら、もうそれは和也の車以外有り得ない。

『おかあさんに会える。いっぱいいい子にしてたから、おかあさんはいっぱい一緒にいてくれるよね』

冷たくなった鼻を掻き、桜介は澄んだ大きな瞳を一心に道路の先へ向けた。
祖母の言葉は耳に届かない。風邪なんてどうでもいいんだ、それよりも、お母さんに早く会いたい。
だが、普通は外で待たせることなんてする訳はなく、頭のいい祖母は孫のシュンを連れてきて彼に

「おうちゃん、中でおばちゃんの似顔絵かこうよ。おうちゃんがかいたらおばちゃん喜ぶよ」

と言わせて桜介を家の中へと誘導させた。
桜介は母が喜んでくれるなら、と素直に頷き、走るように玄関へと飛び込んで行った。まるで、早く描いたらその分帰宅が早くなると思っているように。


−母の佳代子はO市の居酒屋で働いていたのだが、桜介を産んで暫くした頃、東京から旅行に来た芸能プロダクションの人間にスカウトされ、芸能界入りを果たした。
芸能界なんて稼げる人間はひと握りしかいないのに、田舎者だからだろうか、芸能人イコールお金持ち、と勘違いしてその世界へと入ったのだ。
桜介を育てていくのに金が必要だと思ったからかもしれない。いつまでも祖父母と兄の厄介にはなれないと考えていたのだろう。
だから芸能界で稼がなければならないと決意したようだ。

佳代子のビジュアルは流行り顔だったらしく、運良く佳代子は売れた。CMでチョイ役で出ただけなのに、「あの子は誰だ」と問い合わせか殺到したのだ。
そこからは保栖夏奈子の名で活躍することとなる。雑誌で特集され、ドラマにも沢山出るようになり、瞬く間に売れっ子芸能人の仲間入りを果たした。
そして、桜介の存在は隠し子として、今も事務所から硬く守られている。保栖夏奈子の隠し子スキャンダルは、まだ一度も出ていない。−


画用紙にクーピーで佳代子の似顔絵を描く。グリグリと押し付けるように肌色を塗っていき、大きな目は黒い丸。豊かな黒髪は滝のような線をいくつも描いた。
以前、ドラマで着ているのを見たグリーンのワンピースを描き足して、その横にちょこんと肌色と茶色の塊を付け加える。これは自分だ。
そして周りの余白にはリスや猫といった自分の好きな動物や、佳代子の好きな桜の花を描いた。どれも黄色や茶色、桃色の塗りつぶされた塊に見えるが、桜介から見たらちゃんとした動物と花である。

「シュンくんは、なにかいてるの?」
「ガオレッド!」

隣に座るシュンは赤いクーピーで上手に戦隊ヒーローのスーツ姿を描いている。桜介とは違い、ちゃんと頭があり、首があり、指も五本だ。桜介もシュンを見習おうともう一枚画用紙を出して佳代子を再び描いた。

「おかあさん、このまえテレビでおだんご食べてた」
「何だんご?」
「あんこだよ」
「あんこならおうちゃん、黒くぬンだよ。茶色じゃだめだよ」
「シュンくん、こっちにおだんごかいてみて?」
「おうちゃん、団子かけねーの?」
「どうかくの?」
「しょうがねぇなぁ!」

シュンはもう桜介の実の兄のようなものだ。得意気になり、兄らしく別の紙に団子を描いてくれる。優しくていつも桜介の面倒をみてくれた。

「ありがとお。これ、見ながらかくの」
「上手くかけたらおばちゃん、たくさん遊んでくれるよ!」
「ほんと!?ぼく、じょうずにかくね!」

シュンの言葉に桜介はパアッと表情を明るくさせ、丁寧に丁寧にテレビで団子を食していた佳代子の姿を描いた。