熱の条件 | ナノ







祖母に呼ばれ、佳代子はラフな部屋着に着替えると、台所へと行った。料理をする二人を見て「ぼくもやる」と言うと、ビニール袋に調味料と肉を入れた物を渡され「もみもみしてね」と頼まれた。
嬉しい。教育番組で見た、親子料理教室みたいだ。

「おかあさん、何つくるの?」
「なんだと思う?ヒントは、おうちゃんの大好きなものよ」
「おかあさんのから揚げだ!」
「正解!」

お店のものや、お婆ちゃんやサチ子おばさんが作るものとは違う、ザクザクしていてスライスアーモンドが混ざった佳代子特性唐揚げ。
桜介はそれが大好きなのだ。

「たのしみー」
「いっぱい作るから、桜介、たーくさん手伝ってね?」
「うん!」

それから桜介は、佳代子と楽しく過ごした。寝る前は必ず本を読んでもらい、動物園にも行った。庭にくるリスを一緒に観察したり、大きなショッピングモールに行き、戦隊モノのショーを見た。
佳代子は常にすっぴんでひっつめ髪、マフラーに半分顔を埋めていたし、実家にある安物のダウンコートにユニクロのズボンとスニーカーという地味な服装だったから、誰も女優、保栖夏奈子だなんて思わなかったようだ。そもそも芸能人は札幌や小樽、函館方面に出没することが多い。「こんな田舎でまさか芸能人が」なんて思い込みがあるからバレずに済んだのかもしれない。

「桜介、また帰ってくるからね。いい子にしていてね。絶対、桜介を迎えに来る日がくるから、それまでばあばとじいじ達のお手伝いをするのよ」

でも、最終日は決まって佳代子は涙を流した。布団の中で必死に桜介を抱き締め、何度も何度も約束をするのだ。必ずまた帰ってくると。
せっかく楽しい日を過ごしてきたのに、桜介もこの日は必ず悲しくなる。

「おかあさん!行かないで。おかあさん!」

そう繰り返し、ひっくひっくと喉を鳴らしながら子供らしく泣いた。
和也の車に乗るギリギリまで佳代子にくっ付き、車が空港へと向かってしまってからは、祖母に抱き着いてめそめそと泣くのだ。

「ひっ、うっぅぅ、ぃ、いい、子にしてたら、おかあさん、また、帰ってくる…?」
「うん。大丈夫だあ。おうちゃんいい子だからおかあちゃんはすーぐ帰ってきてくれるよお」
「ふぅ、うっうっ、うわぁぁんっ」

もう桜介の口癖になっていた。
「いい子にしていたらおかあさん帰ってくる?」と祖母にいつも質問していたのだ。毎回大丈夫だと頷いてくれる祖母の言葉を信じて、桜介は本当に行儀良くいい子に育った。


その努力が報われたのか、小学校は東京の小学校になった。佳代子が迎えに来たのだ。

北海道の一軒家を離れ、オートロック付きの要塞のようなマンションが、桜介の新しい家となった。
北海道より暖かいはずなのに、床暖房がないせいか、北海道よりも寒く感じた。ここには野生のリスなんて出ないし、「鹿に注意」の看板もない。耳だって凍傷しないし、天候を気にして食料の蓄えを用意しなくてもいい。別世界のような土地だ。

隣の部屋は佳代子の専属マネージャー、仲間咲(なかまさき)という女性の部屋で、桜介は保栖夏奈子の息子ではなく、仲間咲の身内として過ごすことになった。

あまり説明はされなかったが、保栖夏奈子の息子であるということがバレてしまってはまずいことは、もう察知出来ていた。バレてしまってはお母さんと一緒に住めない。そんな恐怖が桜介の口を硬くしたのだ。

小学校はK大学付属の私立の小学校だった。所謂裏口入学というやつだ。
もし何かあったら、公立よりも私立の方が安心出来るからだろう。しかし、大して勉強していなかったものだから、授業についていくのが大変だった気がする。
特に英語と算数が解らなくて、クラスメイトにからかわれてばかりだった。
友達は多くはなかったが、少なくもなかった。家に呼ぶときは仲間の家で遊ぶことになっていたからバレる心配もなかったし、みんなでテレビゲームをしたり、特撮DVDを見ていれば大人しいものだった。

佳代子は相変わらず多忙で、すれ違う生活になりがちだったが、それでも一日一回は顔を合わせられるのだから、北海道の頃より随分とよく思える。

「桜介、お母さんねこれから仲間さんと映画のロケで沢山留守にするから、お家のこと宜しくね。事務所の木村さん呼んでおいたから大丈夫だとは思うけど…。ほら、この前桜介にお洋服をプレゼントしてくれた人よ。何かあったら木村さんに相談するのよ?宿題も木村さんが教えてくれるわ」
「うん、分かった。行ってらっしゃい」
「行ってきます。お土産、たーくさん買って帰るわね!」

留守になることもあるが、それでも一週間…多くて一ヶ月程度。その間、木村というでっぷりとした腹が自慢の人のいいおじさんや、菅野という、料理上手で勉強も出来るお姉さんが桜介の面倒をみてくれた。事務所総出で、桜介を守ってれていたように思う。
つまり、それほど保栖夏奈子という女優が大きな存在であるということだった。

このまま何事もなく過ごす。そう思っていたのだが、桜介は東京を離れることとなる。

「桜介、ごめんなさい。その、マスコミが貴方の事を調べようとしているみたいなの…」
「え?」