∴ 2 「その人物の名前は恵桜介というのだけれど、彼には話しかけてはいけないんだ。どんなに親切にしたくてもね。無視をしなければならない」 肝心な内容は、「何だそれは?」と言いたくなるものだが、アキラは軽く頷いたまま黙り、無言で先を即した。 「そういう裏校則が今月に出来た。決めたのは二つ年上の白河先輩。三年生だからこの前の卒業式で卒業して、もう寮も出ている。白河先輩は恵くんの恋人で、恵くんが入学した中学一年生の頃からずっと同室だ。四年間、一緒に暮らしてきた。随分と独占欲が強いらしく、常に恵くんを自分の横に置いていたよ。その独占欲のせいなのか、白河先輩が認めた人間以外は、恵くんとの事務的な会話以外の会話、つまり談笑。それを禁止し、一緒に勉強したり、遊んだり、共に昼食を食べたり…なども勿論禁止にした。破った人間は、ただでは済まない」 「…質問したい事が多すぎるんだけど、まだ訊かない方がいいかな」 そう言うと、鐐平は一瞬眉間にシワを寄せ、開けっ放しだった玄関扉を締めた。 部屋に上がるのかと思ったが、彼はそのままで、扉に背を付けてまた項を掻いた。 彼の癖らしい。 「一応、全て話すから質問はそれからで」 そして、声のトーンが少し落ちる。 「入学してすぐに、恵くんは白河先輩に気に入られたようで、休み時間や放課後は、常に白河先輩が横に居た。先輩が高等科に上がっても、校舎はフェンスを挟んで隣同士だし、先輩が恵くんの元へ来る頻度は変わらず。だから、恵くんと親しい人間はそんなに居なかったんだ。話しかけられるチャンスは授業中だけだし、先輩は恐れられていたから、僕ら後輩は先輩が来たら恵くんから離れていた。先輩が卒業したら、恵くんと仲良くなろうと誰もが思っていたはずだよ。可愛い上に謙虚で控え目な性格だったから、とても好かれているしね。三学期になって先輩の卒業が近付くにつれ、浮き足立つ人が増え始めた矢先に、各学年の寮長が先輩から呼び出された。先輩と恵くんの部屋に行くと、裏校則と言われる新ルールを告げられた。破ったら、それなりの制裁を与えられることになる。先輩の言うことは絶対だからね。それからは、僕ら寮長が生徒達にその事を伝えて、この裏校則を嫌々ながらも守っている状態」 そこまで話すと、終わりらしく視線で「質問は?」と投げかけてきた。 アキラは荷物が入ったダンボールの上に腰を下ろし、少し考えてから口を開く。 「あのさ…その決まりって守らなければならないことかい?なんだか酷く子供じみていてバカバカしいのだけど」 率直な感想がこれ。 好きな子がほかの奴と仲良くしているのが嫌だから、仲良くするな。なんて幼い発想過ぎて呆れてしまう。 そんなの卒業したら知ったこっちゃないだろう。 もう学校にいない人間なんて気にしないで仲良くしたい奴はそうすればいいだけだ。卒業した人間の言うことなんて、真面目にきく者がいるはずがない。 それに、恵桜介本人が嫌がるのではないか 「そう。子供が駄々をこねているだけだ。好きな子は自分だけのものだから、ほかの奴は手を出すなと言っているだけ。そんなの、周りの人間は簡単に無視をするさ。本人がいなくなるのだから、監視の目はないし、恵くんといくらでも好きなだけ会話が出来る。しかし、それは誰もしない。皆、ちゃんと守っている」 「そんな下らないルールを守っていると言うことは、それなりに恐ろしい制裁なのかな。それに寮の部屋は同学年同士でしか使えないはずなのに、その恵くんと先輩は同室なんだろ?ということは、先輩はとても強い権力がある人物なのかい?」 「飲み込みが早いな」 アキラからの質問を聞き、鐐平は感心したように呟く。 一回で理解できないような説明をしている自覚はあるらしい。 「制裁については、今まで二つある。新三年生の寮長が翌日恵くんに話し掛けた。「これでいいのか」と。恋人同士の遊びにしては、度が過ぎているし、恵くんには何のメリットがないルールだ。白河先輩のただの我が儘なはず。だから恵くんがどう思っているのか確かめたかったらしい。恵くん本人はなんて答えたのかは判らないけれど、問い詰めた後、その寮長は寮の階段から落ちて、今入院している」 「…事故ではなくて?」 「足を踏み外したらしい。本人が言うには事故だそうだ。足と鎖骨を折ったみたいだ。でも、必要以上に会話をしないみたいだよ。何かショックを受けているようで、口数が極端に減ったと聞いた」 「その先輩寮長と、恵くんの会話は誰から聞いたんだい?」 「恵くんの新しいルームメイトである籠原先輩から。籠原先輩というのは、白河先輩に気に入られている後輩のうちの一人」 「じゃあその籠原先輩が、制裁を下したってことかな」 「そうは言っていないけれど、籠原先輩が関係していると皆思っている」 「……なるほどね」 桜介に問い詰めた後で、事故が起きた。 本人は必要以上に話したがらない。 これは制裁ととれるだろう。 しかも、桜介に詰め寄ったところを籠原という先輩に見られている。恐らく、白河は自分の代わりになる人物を、桜介の監視役にしたのだ。 「二つ目は、岡部という同級生がいたんだけど、彼が急に退学した」 「え?」 突拍子もない言葉に顔を上げる。 制裁は暴力とは限らないのか。 「彼の家は自営業なのだけれど、急に経営が苦しくなり、二日前に出て行ったよ」 「それは、恵くんに話しかけたから?」 「多分そうじゃないかな。岡部は恵くんに付き纏っていたし、白河先輩が出て行ってからは、ストーカーみたいだったから」 「でも、生徒が生徒の親の会社をどうすることも出来ないだろ?」 |