あの人が蔵を裏切る、そんなの無い。
それを繰り返したのももう何回目?数えきれないくらい何度も繰り返して繰り返して、普段使わない頭をフル回転させたからかな。さっきまで元気いっぱい健康体だったアタシの身体は突然熱に侵された。
「うう…頭痛い…」
ご飯を食べて少し部屋を離れると言って蔵が出て行った後、1人広い部屋で唸り声を上げて壁に凭れてた。そんな事ある筈がないけどソレに気付いてくれたみたく蔵は初めて逢った時と同じ、出掛ける様な装いをして直ぐに襖を開けた。
『名前ちゃん!どないしたん?』
「急に、身体が怠くなって」
『、めっちゃ熱あるやんか!』
「平気平気、蔵は何処か出掛けるの?」
『名前ちゃんも一緒にって思っててんけど…』
蔵と離れたくないのは山々だけど流石に外へ出る元気までは持ち合わせてない。無理して一緒に行っても、尚更迷惑も掛かるかもしれないし…。
「直ぐに帰って来る?」
『、夕刻には戻るけど』
「じゃあ行って来て、アタシはちゃんと寝てるから」
『…フラフラせえへん?』
「そこまでの元気は無いってば」
『ほんまは独りにさせたないねんけど…』
身体も心も全て心配してくれる様は嬉しくも子供っぽくて可愛い。それだけで十分だから早く帰って来てねって。
最後まで不安の眼をしてた蔵を見送ってはどっちが病人なんだって笑えて。だけどやっぱり蔵が居なくなると静寂が広がる部屋では寂しさが募る訳で、紛らわせるみたく布団に潜った。
(蔵おかえり!もう熱下がったよ)
(そっか。良かったな)
(うん、でも蔵は元気無い?)
(…財前がな、俺より徳川を選ぶって)
(え、)
(俺は財前に殺されたんや)
(ちょ、何言ってるの、殺されたって、アタシの目の前に…)
(それは幻言うねんで)
(蔵…?やだ蔵、止めてよ、そんな事言わないでよ!)
「くら…!!」
『熱はもう無いみたいやな。第一声が俺の名前って嬉しいんやけど俺の夢でも見てくれてたん?』
「、くら…?」
気が付けばニッコリ笑って汗を拭ってくれる蔵が居て。なに、今のは夢…?あの人の事で悩んで知恵熱出したからってあんなの無い…。
涙を浮かべて消えてくなんてそんな事…アタシが許さない。
『ずっと寝てたらしいやんか、もう夜半やっちゅうのによっぽど辛かったんや―――、』
「………………」
『名前ちゃん?』
「何処にも行かないで…」
布団から出て確かめるみたく蔵を抱き締めれば体温も心音もちゃんと感じて安心する。歴史なんかどうだって良い、蔵は死んじゃ駄目、生きてなきゃ駄目、絶対に。
徳川がどんな人かなんて知らないけど世間はきっと蔵を選ぶ、蔵が必要とされてる筈だから。あの人も裏切らない、裏切らないで。
『…俺は何処にも行かへんよ?』
「うん」
『名前ちゃんから離れられへん言うたのは俺やで』
「うん」
『せやから大丈夫や』
赤ん坊を宥める様に背中をポンポンと撫でられて、漸く平静を取り戻せた気がした。夢に唸されて取り乱すとか本当に赤ん坊と変わんないじゃん。
「、そういえば」
『うん?』
「おかえり、なさい」
『ハハッ、ただいま』
「いつ戻って来たの?」
『なんだかんだで遅なってしもて、ほんまはさっき帰って来たんや』
「そっか、」
『せやから名前ちゃんに怒られたらどないしよってヒヤヒヤしてたんやで?』
「何それー!」
珍しく悪戯っぽく笑う顔は新鮮で、もしアタシがもっと早く起きてたなら怒ってただろうけど許してあげても良いよ、なんて。だけどそんな上から目線なんか要らなくて、今此処に蔵が居てくれる、その事実が幸せ。あんな夢なんか忘れてやるもん。
『今日な、徳川との戦の話しをして来たんや』
「、え?」
『財前も皆も一緒に話しして、良え事があったんやで』
「………………」
関ケ原の戦い、その結末をアタシは知ってる。そんな事言える訳ないじゃん。
歴史なんかどうだって良い、今そう思ったのに止められない戦がそこにある、それを叩きつけられると最悪しか浮かばなくて。
『名前ちゃん、懐刀の意味って知ってる?』
「え、」
『懐刀は自分の身を守る為の護身用の刀、つまり命みたいなもんや』
「うん…」
話しが飛んだみたいに思えるこのタイミングでどうして急にそんな話しを持ち出したのか、アタシには分からない。
だけど、
『それを財前が俺に預けてくれた、っちゅうのは財前が俺に命を預けてくれた、そういう事やねんな』
「………………」
『せやから俺、他の皆もやけど財前を信じる。徳川に勝つから』
真っ直ぐ向けられた眼は綺麗過ぎて受け止められなかった。
視線を畳へと移したアタシは、さっきの夢を思い返して下口唇を噛んだ。
神様が存在するなら、今すぐ戦を無くして下さい。
(20100507)
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