12.
君を笑顔にしたいだけで走ったのに
時は脆い
12 空が溢した涙
『今日学校に来る前に警察が来た』
名前の言葉に俺もオサムちゃんも口を開けたまま眼を見張った。何がどうなっとるんか分からん現実に、言葉を失う以上の何物でもない。
乾燥した空気が漂う生徒指導室で、聞こえてくるのは名前の嗚咽だけ。
「それで、試験紙で何か、検査されて、家の中もいっぱい、調べられて、」
『………………』
『…それで、警察は何て言うたんや?』
「…昨日、白石蔵ノ介と何をしてたんだって」
ドラマとか漫画でなら良くある1シーンなんじゃろう。じゃが、ドラム缶や紙から見た背景と実際眼に入る背景とじゃ違い過ぎる。
「蔵はそんな事しないもん、大丈夫だもん…警察って、何やってんの…!」
『…せやな、白石は大丈夫や』
「オサムちゃん、」
『さっき警察から電話あってんけど、もうすぐ家に帰してくれる言うてたから』
「、本当!?」
置き去りにされたみたいに2人の会話を一歩後ろで聞いとったが、良かったと素直に思える自分が居る事に酷く安堵した。無いと思い込んでたのに疑心が消えた事に対する安堵か、白石が無事に帰って来る事に対する安堵なんかは分からんのじゃが…。
『ほんまや。名前は白石と一緒に居ったから、アイツが何も無いって分かってたやんな?』
『当たり前じゃんか…昨日一緒じゃなくたって分かるもん…!』
『うん』
『アタシ、行って来る!』
『、行く?』
『蔵の事迎えに行く!蔵は昨日からずっと1人だったんだもん…!!』
ちょっと待った、俺も一緒に
言う間も与えてくれず出て行くアイツの背中を見ると、俺には白石を迎えてやる資格も無いじゃないかって思わずには居れんかった。
「…止めんで良かったんかのぅ?」
『名前ちゃんが頑固なんは仁王も知っとるやろ?』
一応、聞いてみた言葉じゃった。
この男もきっと名前が自分を想っとる気持ちを感じた筈じゃから。別れた、とは言ってもオサムちゃんから流れる空気も名前へと向いてた気がしたから。
『せやけど意外やな?仁王のが止める思てんけどなぁ』
「……………」
『仁王やって、昨日あの娘と一緒やったんやろ?』
全部知ってます、そんな風に笑う大人を前にすれば自分がどれだけ子供やと思い知らされることか。同級生と居るとガキ臭いと感じることが多かったのに、ブン太と話して青臭いと思った事が過る。
「俺は多分、アイツみたいに白石の事、思えんかったぜよ」
『……………』
「情けないないのぅ…」
『仁王、こんな話し知っとるか?』
窓のサッシに背中を預けて、頭を外へ出せば白を抱えた広い空が広がった。
人も自由に動いて自由に情感を持つのに、雲みたく大きくなれんのは何でじゃろう。そう思いながらオサムちゃんの声を聞いた。
ある男が、就職してから3年付き合った彼女から子供が出来たと話を聞いた。その時感じたのは嬉しいという気持ちと正反対である不快感。
それは彼女が浮気を繰り返していたから自分の子供なのか分からなかったから。浮気だって始めは嫉妬に狂って彼女を責めたらしいが、何度も繰り返される内に妬く事も億劫で徐々にそんな感情も無くなった。それでも別れんかったんは面倒臭いのと、やっぱり3年という時間に情が残ってたかららしい。
俺からすれば面倒臭いというのも十分に分かるけど、何も言わずその女の前から姿を消すと思う。それぞれ思うところが違うのは仕方ないことじゃが、理解は出来ん。
そしてその男はと言うと、どうするか悩んだ結果、彼女と結婚すると決心した。結婚すれば彼女も変わってくれるかもしれないと踏んだし、何より子供が出来た事に対して付き合い当初の笑顔じゃったからと。嬉しそうに、幸せそうに笑う彼女を見ていると自分も確かに一緒に笑ってた。
「それで、今も幸せに暮らしとるって?」
『んー、まだ続きがあんねんなぁ…』
「なんじゃ?」
『……彼女が、妊娠して5ヶ月が経った時や―――』
籍を入れて、式も挙げて、新居を構えて幸せに暮らしとる時。幸せな筈じゃのに、彼女の浮気癖は直らんかった。もうすぐ母親になると言うのに別の男の影は消える事が無くて、その日も男と会っとったんじゃ。男の運転で市外まで行った帰り道、スピードを出した車はそのまま対向車と衝突、浮気相手も彼女も重傷を負った。
救急車で運ばれて当人達は助かったがお腹の子は流れて、彼女は植物状態。浮気相手は直ぐに意識を戻したが、口を開くなり『俺とアイツは関係無い』の一点張りじゃった。
「…最悪、でしかないのぅ」
『せやろ?その男も、言葉が無かったみたいや』
「じゃろうな」
『せやけどな、その後、ある女の子に出逢ったんや』
「、」
『一回り近く離れた年下の女の子に会うて、好きや好きや言われて…始めは冗談で“俺も好きやでー”なんや言うとったけど、いつの間にか本気で好きになってた』
「……………」
『離婚もしてへんし、奥さんの世話もせなあかんのにその子が頭から離れへんなって…男の幸せはその女の子と一緒に過ごす事になってしもたんや』
続きは聞く迄もなく分かる。
男は愛されて本当に幸せそうじゃった。
女の子じゃって、どんな関係であろうと毎日その男の傍で笑っとった。
2人は、お互いが居るだけで、それだけで良かったんじゃ。
『せやけどそういう関係も終わってしもた。奥さんがな、眼覚ましたんや』
『眼覚まして、全部思い返して、男がずっと世話してくれとった事に泣きながら有難うって言うた』
『今更やけど…ごめんなさいって謝って、後遺症で足が動かへんなったことも自分への罰やって受け入れてた』
『男はな、奥さんやなくて女の子を愛してたけど、奥さんの事捨てられへんかったんや…』
ほんまに情けない男は、もっと別に居るんやで?
笑いながら話を終えたオサムちゃんは煙草を手に部屋を出て行った。
「……………」
名前は多分、全部知っとって別れを受け入れたんじゃろう。
“フラれたから”忘れたいんじゃなくて“好きだから”忘れたい。
安易にアイツを抱いてしまった事に、何て謝罪をすれば償えるんか、空に嘆いたけど答えは勿論返ってこんかった。
(20091028)
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