08.
哀歓とは
哀しみと歓び、つまり僕自身
impression.8 regret
昨日の夜、名前から送られてきた“起きてる?”というメールに直ぐ様発信ボタンを押した。
「起きてたで?」
《みたいだね》
まさか電話が掛かってくるとは思わなかったけど、って言いたそうにするけど、俺が掛けるん分かっててメール入れたんやろ?
「何や、あった?」
《うーん》
「俺にも言えへん事?」
《まさか》
濁らせながらもクスクス笑って落ち着かん様子に首を傾げる。
深夜にも関わらず窓の向こうから煩く聞こえる話し声や車のクラクションの嫌な騒音さえも遮断してしまう名前の声をもっともっと、ずっと聞いてたい。どんな話でもええから聞かせて?
《明日さ、》
「うん」
《一泊二日で旅行だって》
「ん?誰が?」
《うちのパパとママ》
仲ええねんなぁ、そんな相槌を打ちながらカーテンを開けると月が雲に隠されたり顔を出したり。
それは電話越しに聞こえる名前みたいで、声が聞こえては止まって、また聞こえて…
会話してるんやから当たり前やけど、名前の声が途切れる度に会いたくなった。
電話してる俺でさえそう思うんやから、もしかしたら謙也はそれ以上に同じ思いを抱えとるんやろか…なんて変な思考を巡らせてしもたんや。
《………》
「何で黙りなん?」
《…蔵らしく無いと思って》
「え?」
《蔵だったら「1人じゃ心配や」って言ってくれると思ったんだけど》
確かに、名前の言う通りや。
名前と過ごす時間は幸せな事やのに他に気取られて集中してへんなんやらしく無いなぁ?
「めっちゃ心配やで?」
《本当に?》
「当たり前やろ、変態でも現れたらどないすんねん」
《変態は蔵じゃん?》
「あー、電波悪くて聞こえへん」
アハハと声を出した後も引き笑いで、そない可笑しい話したつもりやなかったけど笑い声に俺もつられて頬が緩む。
「笑い過ぎやで名前ちゃん?」
《アハハ、ごめん》
「引き笑いしてたら癖になるからアカンよ」
《もうなってるかも》
「直しなさい」
《まぁいいじゃん。それよりさ、》
「ん?」
《やっぱり1人じゃ危ないでしょ?》
「せやな」
《泥棒が入るかもしれないしー、ストーカーに襲われるかもしれないしー?》
何が言いたいのか丸分かりな名前の言葉に、メールの主旨はこれかと思うと俺まで引き笑いしそうになって堪える。
「名前ん家泊まりには行かへんよ?」
先手打つと『えー!!』って拗ねるもんやから結局引き笑いしてしもて。
「クックッ、拗ねても駄目。親御さんが居てへんのに勝手な事したらアカンやろ?」
《でもー…》
「せやからおいで?」
《え?》
「俺ん部屋においで」
俺かて1人にさせる気は更々無いねん。そういう時に限って何が起きるか分からへんのは確かやから。
《泊まりに行ってもいいの?》
「来たいんやろ?」
《うん!行く!》
「せやけど名前から誘ってくるなんや厭らしいなぁ?」
《や、やらしくないもん!そういう考え方する蔵がやらしいんでしょ!》
「どうやろなぁ?」
《もういい!アタシ寝る!》
「ハハッ、明日に備えてゆっくり寝とき?」
《それが卑猥だってば!》
「そんな事あらへんて」
おやすみを言って電源ボタンを押した時には既に雲が無くなってて、ハッキリと月が輝いてた。
それを見上げて明日も晴れたらええなぁとカーテンを静かに閉めて翌日を迎えた。
きっと、この時から“哀歓”の“哀”に向けて走ってたんや。
□
「名前、」
『んん……』
「ちゃんと着替えな風邪引くで?」
『…んー………』
話通り俺の部屋にやって来た彼女は、お約束と言っていい情事後の気だるさで既に眼を瞑ってた。
そんなところさえも愛しいけど、風邪を引かれたら困る。心配するんは俺やし、名前が学校休むなんや嫌や。
苦笑しながら散らかした寝間着のスエットを拾い上げて無理矢理にでも着せようとすると、カタン、と音を立てて何かが落ちた。
「あ、携帯か…」
傷が付いてへんといいけど、と落ちた弾みで開いた携帯に手を伸ばす。
「、データ開きっぱなしやん」
映し出された液晶は待ち受け画面かと思いきやデータボックスの画像で、俺と名前のツーショット写メ。
この間撮ったやつや。
ちゃんと保存して、こうして見てくれてるんやと思うと擽ったくなるほど歓喜で。
「電池無いし、充電しといたらなアカンな」
幸せ眼で適当にクリアボタンを押して充電器を探してると、眼に入ってきたのは鍵付きのフォルダ。
「…………」
電源ボタンを押せば一気に待ち受け画面に戻れたのに何でクリアを押してしもたんか。
鍵付きのフォルダなんか見てしもたら気になって気になって仕方ないのに、見たらアカンて分かってるのに…
嫌な胸騒ぎがしてソレをクリックした。
「…暗証番号、」
当然の如く表示される“暗証番号を入力して下さい”の文字にドクドクと脈が早くなって。
アカン、見たらアカン、脳は危険信号を伝えるのに思い当たる数字を探してしまう。半ば震える左手を制止させて妥当な線で彼女の誕生日か俺の誕生日やと、数字を入れた。
“暗証番号が違います”
どっちを入れても変わらへん画面に大きく心臓が揺れた。
俺でも名前でもない…それなら…
何でか、何でそう思たんかは分からへんけど親指は“0317”と動いてた。
「―――――」
途端切り替わって映し出されたのは、1年前の名前と謙也がピースサインした写メやってん。
「…やっぱり、見るんや無かった」
頭に浮かんだのは“潮時”。
隣で『蔵』と寝言を発する名前の頭を撫でながら1年前の2人を無気力にじっと見つめてた。
昨日と打って変わって月が雲に隠されてた事を俺が知るはずも無く。
←